無名の人こそ時代を反映
「虎は死して皮を留(とど)め、人は死して名を残す」。これは鎌倉時代に書かれた説話集『十訓抄(じっきんしょう)』に書かれた言葉で、「虎が死んで美しい皮を残すように、人は死んだ後に名前が残るような生き方をすべきである」という意味だそうです。『十訓抄』の編者が不明であることが、この言葉の実現がいかに難しいかを示しています。むしろ、「一将功成りて万骨枯る」の方が現実に即しています。歴史を動かしたのは「名前の残った人たち」であり、その陰にいる数千、数万の「無名の人たち」は霞のような存在として、テストで取り上げられて後世の人間を悩ます機会すら奪われています。
もちろん、「名前を残す」ことが人間の価値を示しているわけではありません。また、名前を残した人たちも無名の人たちから現れ出ていますし、無名の人たちを無視して偉業を達成できるわけではありません。むしろ、圧倒的に大多数であるため、有名人よりも無名人の方が彼らの生きた時代を反映していると言えます。ただ、そもそも名前すら残っていない人たちですので、限られた情報しか歴史書に記されていませんし、歴史書が残っていない「有史以前」の人たちはすべからく無名人なわけです。それでは、魅力ある「無名人」について知るすべはないのでしょうか。
残される「からだ」=骨
「無名人」が後世に残してくれるほぼ唯一のもの、それが「からだ」であり、具体的には彼らの「骨」です。骨はリン酸化カルシウムという広い意味での鉱物を主成分とするため、硬く壊れにくい性質を持っています。そのため、条件さえ整えば、1000年、2000年はもちろん、1万年以上も残っていることがあります。皮膚や筋肉、内臓といった「軟部組織」は骨に比べると軟らかく、あっという間に腐って無くなってしまいます。良く知られている「ミイラ」は「軟部組織」が腐り落ちていない「からだ」ですが、「ミイラ化」は非常にまれな現象ですし、世界最古のミイラでも約1万年前のものしか残っていません。ただし、土に埋葬された「からだ」がすべて「骨」になって残っているわけではありません。日本列島のように火山が多い地域は土壌が酸性であるため、骨ですら溶けてしまいます。また、埋葬された場所に植物が生えていると、その根が骨を破壊したり、根から出る有機酸が骨を溶かしたりしてしまいます。
埋葬された骨が壊れてしまう具体的な年数は条件によって異なりますが、おおよそ10年ほどで破壊が進み、30年以上経過すると、ボロボロで湿気たウエハースのような塊になってしまい、専門家が見ても骨かどうか判断に迷ってしまう場合もあります。
保存状態のよしあし
逆に条件が良いと、大昔の骨でもほとんど完形に近い状態で見つかる場合もあります。例えば、縄文時代の人骨です。縄文時代は今から約1万6000~3000年前の時代ですが、彼らの骨は日本全国で4000個体以上が発見されています。これは、縄文時代の人たちが貝殻を積み重ねた貝塚を自分たちの埋葬場所としていた風習が原因です。貝殻は骨と同じく炭酸カルシウムで出来ており、大量に積み重なっているため、中に埋まっている人骨を保護してくれるのです。現在の考え方だと、「ゴミ捨て場に遺体を埋めるなんて」と思われるかもしれませんが、縄文時代人にとって、使い終わったものを還す場所が貝塚だったようです。これとは真逆なのが、奈良・平安時代の人たちです。この時代の人骨はほとんど見つかっておらず、全国でも100個体程度、しかも骨の保存状態は例のウエハース状態です。
その原因には諸説ありますが、当時庶民の葬制はいわゆる風葬であったことと関係があるかもしれません。なぜなら、仏教が庶民の間に広がり、土葬が行われる鎌倉時代には、5000個体以上の人骨が見つかっているためです。
同じ骨は存在しない
さて、昔の人の骨が残ったとしても、「骨からたいした情報なんか引き出せないだろう」「そもそも情報を引き出せるのか?」と思われるかもしれません。「そもそも骨に個性があるのか?」とも。しかし、その答えは、私たちの周りを見れば一目瞭然です。例えば、顔。自分とまったく同じ顔の人は、一卵性双生児の方であっても存在しません。この顔の個性は、土台にある骨の個性を反映しています。例えば、鼻の高さや細さなどは、ほとんど骨の形状で決定していますし、眼の幅や顔の中の位置なども骨によって決まっています。
また、身長やプロポーションも人によって異なりますが、頭の骨から足先の骨までのサイズが身長を決める大きな要因の一つです。さらに言えば、解剖学の教科書などでは「人骨の数は約200個」と書かれていますが、全部で208個の骨を持つ人もいれば、200個の人もいて、本当に個性的なのです。私たちの体の中にある骨は、私たちの存在と同じく、この世に同じものは二つとありません。
骨には情報が蓄積している
この骨の持つ個性を利用して、骨から情報を読み解くことができます。先ほどの例から言えば、骨の形から生前の顔つきを復元する「復顔」という方法が開発されていますし、太ももにある大腿骨や二の腕にある上腕骨などの骨の長さから、身長を計算式から推定する方法も開発されています。また、骨の形、特に骨盤の形は、「出産」という生物学的な役割がありますので、性別を推定するのに適しています。骨のある部分、例えば恥骨結合面は年齢とともに変化していくことが明らかになっていますので、その形状から死亡時の年齢を推定することもできます。骨の太さや筋肉が骨に付着する部分の形状などから、生前にどのような体の使い方をしていたのか、とか、利き腕はどちらなのか、といった情報を推測することもできます。
骨に症状が出てしまう病気、例えば骨転移性がんや結核、変形性膝関節症(へんけいせいしつかんせつしょう)などにかかっていたことも推定することができますし、文化的風習、例えば踵(かかと)を地面に着けてしゃがみ込む姿勢、いわゆる「う○こ座り」を常習していたのか、も推測することができます。
また、骨が一部分壊れている場合、それが自然に出来たものか、誰か別の人物が危害を加えたものか、それとも動物が噛んだだけなのか、など形成理由を明らかにすることも可能です。最近では、骨に残ったコラーゲンなどから、その人がどのような食事をとっていたのかとか、骨からその人のDNAを抽出し、遺伝的な特性を明らかにするDNA分析なども行われています。
こういった骨から得た情報は生前の状況との「答え合わせ」を数多く行い、科学的な方法として確立されてきました。そのため、修練や経験こそ必要ですが、ある程度の教育さえ受ければ誰でも習得可能な方法です。