大きな衝撃を受けた三島の死
私が文学に親しむようになったのは、中学3年生頃からで、戦後派文学の全盛期でした。そのなかに三島由紀夫がいたわけですが、必ずしも三島だけではなく、いろいろな作家の作品を乱読しました。その後、大阪の新聞社に就職しました。1970年11月25日は出社時間が遅く、正午を少し回った頃、社の前まで行ったところ、人垣ができていて、ニュース速報が貼り出されていたんです。当時は、重大ニュースがあると、大きな紙に墨書きして貼り出していました。第一報は「三島由紀夫、自衛隊に乱入」とあり、割腹自決したことは編集局に行ってから知りました。
このニュースは私にとっても大変な衝撃でした。もしかしたら文学にはなんの意味もないのではないか、と思ったのです。三島は命とともに文学も投げ棄てたと受け取ったんですね。そればかりか、この人生さえも生きるのに値しないのではないか、とまで考え、暗澹たる気持ちになりました。
その気持ちから抜け出そうと始めたのが、三島の全作品を一から読み直すことでした。その結果、幾冊も本を書くことになったのです。やがて若い仲間たちと研究書や事典を編纂、2005年には『三島由紀夫研究』(鼎書房)を創刊しました。
08年からは山梨県の山中湖畔にある三島由紀夫文学館の館長をつとめるようになりました。初代館長は三島と親しかった文芸評論家の佐伯彰一さん(故人)で、体調を崩されたため私が引き継ぎました。当館の展示は、三島の基礎研究の核となる、主に幼少期の草稿類や創作ノートが中心で、東京オリンピックの取材ノートもあります。
没後45年に国際シンポジウム開催
2015年は、没後45年だったこともあり、いろいろな行事が行われました。なかでも東京大学駒場キャンパス(11月14日、15日)と青山学院アスタジオ(11月22日)で開催された「国際三島由紀夫シンポジウム2015」は大規模なものでした。登壇者は、三島作品の翻訳を手がけたドナルド・キーンさんをはじめ、細江英公(写真家)、高橋睦郎(詩人)、竹本忠雄(思想家)、中村哲郎(演劇評論家)、平野啓一郎(小説家)、宮本亜門(演出家)と数えれば切りがありません。また、イルメラ・日地谷=キルシュネライト(ベルリン自由大学教授)をはじめ、フランスやアメリカ、韓国など、海外の三島研究者も集い、講演や討議を行いました。私は冒頭、基調講演として、三島が東西の古典を踏まえて創作していることを指摘、今後の研究の課題としてほしい旨、話しました。三島を深く知るには、古典からの理解が必要だと考えるからです。
このシンポジウムからもわかるように、三島は現在ただ今も、世界各地で熱く問題にされているのです。
私は、16年11月、『三島由紀夫の時代 芸術家11人との交錯』(水声社)を刊行しました。三島と深く関わった人々、川端康成、蓮田善明、武田泰淳、大岡昇平、福田恆存、澁澤龍彦、林房雄、橋川文三、江藤淳ら作家や評論家、歌舞伎役者の六世中村歌右衛門、細江英公との、親密であるとともに厳しい関わりを扱い、三島が生きた昭和の時代を多角的に考えてみようとしたのです。それはまた、三島の最期へ至る道筋を浮かび上がらせることになったと思います。
同じ月、16歳でのデビュー作『花ざかりの森』の自筆原稿が見つかりました。なにしろ「三島由紀夫」のペンネームを使って発表した最初の作品ですから、大きな話題になりました。その作品の掲載誌「文藝文化」の中心的存在だった蓮田善明(ぜんめい)の遺族宅から見つかったため、改めて三島と善明との深い関わりあいを考えさせられました。
小説は今後も読み継がれるのか
三島の小説の多くは、格調が高く、美しい文章でつづられています。それだけに、今の若い世代には難解かもしれませんね。大学の卒論で取り上げている人が減少していると聞きますから、徐々に古典化していくのでしょうが、致し方ありません。しかし、作品によっては、ラジオで取り上げられたり映画化されたりすると、新たに読みたいと思う人もいるようです。三島最後のエンターテインメント『命売ります』がそうです。2016年6月にNHKラジオで宇治田隆史による脚色で放送されると、文庫が売れました。
今年(17年)5月には映画『美しい星』(監督 吉田大八、配給 ギャガ)が公開予定で、こちらも昨年から文庫が売り上げを伸ばしています。
1961年4月にソ連はアメリカに先駆けて人間衛星「ボストーク1号」を打ち上げました。人が初めて乗ったので当時は人間衛星と呼ばれていました。62年10月にはキューバ危機が勃発し、ソ連が原子爆弾を落とすのではとおそれたアメリカでは、核シェルターが盛んに建造されました。そのような世界破滅の危機時代を背景として書かれただけに、大胆な脚色をしているとはいえ、いろいろ考えさせられることも多いはずです。
こんなふうに、きっかけさえあれば、今日でも三島作品は読者の心を摑(つか)むのです。
そして、三島が小説やその行動で扱った問題は、今なお、我々にとって切実な問題であり、色褪せることはありません。たとえば、市ヶ谷で割腹することにより突き付けた、自衛隊の問題、憲法改正問題は、間違いなく、現在ただ今、日本の大きな課題となっています。
多彩な戯曲の数々
三島は優れた戯曲もたくさん書いています。そして、海外でもたびたび上演され、その人気は一向に衰えません。そればかりか上演に際して、演出家や俳優、プロデューサーたちが知恵を絞って現在にリンクさせますから、一層人気が高まるようです。実際に『鹿鳴館』や『サド侯爵夫人』(初演はそれぞれ1956年、65年)などは毎年のように繰り返し舞台に上っていますし、2016年3月には宮本亜門さんの演出によって『ライ王のテラス』(原作は『癩王のテラス』)が久しぶりに上演されました。宮本さんは11年『金閣寺』をミュージカルとして生まれ変わらせ、再演もしています。
今年は3月2日から19日まで新国立劇場の主催公演で『白蟻の巣』(演出 谷賢一)が上演されます。『白蟻の巣』は、三島が多幕物において才能を発揮するようになった最初の戯曲で、男女の愛憎を見事な劇的構成で表現しています。おそらく、これを機会に上演する機会が増えるのではないかと思います。新国立劇場では、直後の3月26日から4月16日に、中劇場で、これまでも三島作品を手がけてきた美輪明宏演出・主演で『葵上・卒塔婆小町』が上演されます。宮城を皮切りに7か所で地方公演もあり、三島演劇の根強い人気をうかがわせます。
『葵上』や『卒塔婆小町』を含め、能を現代化した『近代能楽集』はいずれも繰り返し上演されています。作品は8編(9編あったが1編は三島が廃曲とした)あり、昨年亡くなった蜷川幸雄さんも『卒塔婆小町』『弱法師(よろぼし)』(初演はどちらも1976年)を演出、再演もしています。
いずれも一幕で、舞台装置もごく簡単なため、中学校や高校でよく上演されているようですが、プロの演出家、俳優にとっては試金石ともなる手強い作品です。