村上 極地生活の面白いところなんですが、人間は未知の場所に行ったとき、まず「ない」ものを探す性質があると思います。「ある」ものはそんなに意識しないのに、「ない」ものを意識しはじめると、「ない」ことが多大なストレスになる。アメリカ人にとっては、バスケットコートは生活に不可欠なんでしょうね。
何が「ない」かという感覚は、人によっても国柄によっても違いがあります。大多数の日本人は、バスケットコートがなくてもストレスを感じないでしょう。それよりも、日本人は多目的ルームを求める傾向があります。たとえば和室が典型ですね。食事もできて、読書もヨガもできて、布団を敷けば寝室にもなる。それから浴槽も日本人には不可欠ですよね。どちらも昭和基地に「ある」ものです。
宇宙に「ない」もの
村上 この「ない」に対する感覚が、宇宙にいったらどうなるか。私は、最近はそれを考えています。
宇宙空間で最優先されるのは、生物としての人間の命をつなぐものですよね。水、空気、食料。これまでのように、訓練された宇宙飛行士が短期間、宇宙に滞在するなら、それだけ持っていけば何とかなりました。けれども、宇宙ステーションに半年滞在するようになってから、少し勝手が変わってきたんです。
今まで、宇宙飛行士は、なんならおしっこも我慢できるぐらいの、スペシャルな「我慢」能力を持っている人が選ばれてきました。ところが、宇宙での滞在が長引くと、何でも「我慢」できるはずだった人の心が、どうも折れてしまうことがある。あるいはチームとして集まると、どうにも難しい形で揉める。そういう事態が頻発するようになってきた。
人間のフィジカルな面を保つ水や食料、空気をそろえるだけでは、この問題は解決できないかもしれない。そして、これからの宇宙飛行士には、「我慢」以外の能力が求められるのかもしれない。そういうことに、NASA(アメリカ航空宇宙局)もようやく気づき始めました。
そこで注目されているのが、60年以上の歴史がある南極越冬隊です。越冬隊は、初期の頃は当然、過酷な状況に対してタフな人、「我慢できる」人を選んできました。
でも、最近はそうでもない。絶対南極に行きたいというパッションを持って、仕事をやめてきた人がいる一方で、転勤の延長で「南極行ってきてね」と言われて来た人もいます。個々の動機に温度差があります。その中で、プロフェッショナルな仕事をするにはどういう人が適しているのか。歴代の越冬隊員のおかげで、我慢できる能力より、誰かのために何かを続けられるという能力のほうが重要なんだということがわかってきました。
宇宙が非日常から日常の場になるとき
荻田 確かにこれまで宇宙というのは、「行け行けゴーゴー」というか、非日常の文脈で語られてきたように思います。地球を救うヒーロー、あるいは宇宙を開拓するパイオニアのような。映画だと、エアロスミスをバックミュージックに、ブルース・ウィリスがヘルメット持ってスローで歩いてくる、みたいなイメージ。スペースシャトルがドーンって打ち上げられるのが物語のピークで、わぁっと拍手して終わり。でも、実際に長期間、宇宙に行くとなったら、打ち上げの後には日常が待っているんですよね。日常的に「行け行けゴーゴー」の精神状態を保ち続けるのは難しいでしょう。
荻田 たとえば食事。私が極地を歩いているときの食事は、味や盛り付けなんて二の次、三の次。自分としても栄養を摂取するための「餌」としか思っていないんですが、あくまで冒険という非日常の中、目的を達成するまで、と割り切っているから、そんな食事を続けられます。宇宙飛行士も、数日だったら効率重視、栄養重視のチューブ食や固形食に耐えられるかもしれないけど、それが1年間毎日毎食、となったら絶対に続くわけがない。
村上 いま、NASAなどが主導する形で火星有人探査計画が真剣に進められていますが、地球と火星を往復するだけでも数年はかかると考えられています。宇宙船の中は、狭い密閉空間で、人間関係は固定されるし、水も食事も空気も有限で、しかも何かあっても帰ることは極めて難しい。精神的なバランスを崩してしまってもおかしくないくらい厳しい環境です。
そんな環境に人間を送り出す前に、地球でシミュレーションをしておきましょうと、近年、海外でさまざまな実験が実施されています。私も、火星に環境が似ているとされる北極圏とアメリカ・ユタ州の砂漠にそれぞれ模擬火星基地を建て、宇宙飛行士を住まわせるという実験に、ずっと関わってきました。
南極観測隊
正式名称は「南極地域観測隊」。南極圏の東オングル島に位置する昭和基地(国立極地研究所所管)を主な拠点として、天文学、地質学、生物学上の観測、調査などを行う。1年以上を南極で過ごす冬隊(越冬隊)と、夏季のみを過ごして帰還する夏隊がある。1956年に予備隊(第1次隊)が派遣された。2019年2月時点では第60次隊が南極で活動中。
昭和基地
南極大陸から4キロほど離れた東オングル島に建てられた、国立極地研究所所管の観測基地。1957年、第1次南極観測隊によって建設された。大小50以上の建物で構成されている。
アムンゼン・スコット基地
1957年に南極点付近に建設されたアメリカの観測施設。2007年からは、建物全体をジャッキで持ち上げる高床式構造となっている。名称は、1900年代初頭に南極点への初到達に挑戦した探検家、ロアルド・アムンゼン(1872~1928、ノルウェー)と、ロバート・F・スコット(1868~1912、イギリス)に由来する。
マナスル
ヒマラヤ山脈に属する、ネパールの山岳。標高8163メートル(世界8位)。日本は1952年から調査隊を派遣し、1956年5月、第3次日本マナスル登山隊(槇有恒隊長)の今西寿雄らが初登頂に成功。日本人として初の 8000メートル峰登頂となった。
『南極物語』
1983年に公開された日本映画。蔵原惟繕監督、高倉健主演。第1次南極観測隊の体験談をもとに、昭和基地に取り残された樺太犬「タロ」と「ジロ」の姿を描き、大ヒットした。
大場満郎
1953年生まれ。83年、南米アマゾン川の源流から6000キロをいかだで下る。86年、北磁極を単独踏破。94年から北極海単独徒歩横断に挑戦し、97年、4度目の挑戦で、世界初の北極海単独徒歩横断に成功。99年には南極大陸単独徒歩横断に挑戦し、成功。世界で初めて南北両極の単独徒歩横断に成功した。2000年、植村直己冒険賞受賞。著書に『南極大陸単独横断行』(2001年、講談社)など。
南極観測船「しらせ」
1983年から2008年にかけ、第25~49次隊を南極に運んだ南極観測船。南極観測船としては「宗谷」(1956~62年)、「ふじ」(65~83年)に続く三代目。2009年からは新しい「しらせ」が運航している。