これはジャン=ジャック・ルソーの言う「pity」というのにもつながっていて、東浩紀が言うように「一般意志2.0」の問題ともつながる。やっぱりテーマ性にこだわるなら、できるだけテーマを狭くしないで幅広く捉えられるほうがいいと思ったので、「情の時代」に決めました。
暮沢 作家にとってもさまざまなアプローチができて、選択の余地が広がりますね。
津田 そうなんです。ただ、「情」にはこういう複数の意味があるといっても、漢字圏ではない海外の作家には「何じゃそれ」っていう話になる(笑)。そこで、「情」に相当する英単語を探さなきゃいけないなと思っていたところ、東浩紀が「passionがいいんじゃないの?」と言ってくれたんです。passionはもともと語源がキリストの「受難」なんですね。さらに「passive」とも語源がつながっている。人間がpassive(受け身)になると心が変化するから、それでpassion(情熱)になる。そういう心の動きとか感情という意味があるんです。あるいは「情け」や「哀れみ」というのは、compassionですが、そのなかにもpassionという文字が含まれている。そういうふうに多義的に取れる単語だったので、カナダの哲学者イアン・ハッキングの著書『Taming of Chance(邦題:偶然を飼いならす)』をもじって「Taming Y/Our Passion」という英語のタイトルが決まったという感じですね。面白いことに、それまで門外漢の僕が芸術監督をやるということで批判的な声もあったんですが、2017年8月1日にこのテーマが発表されたときには「あれ? 意外とテーマ設定がしっかりしてるのでは?」という反応が多かったんですね(笑)。
なぜ「ジェンダー平等」でなければならないのか
暮沢 そのテーマを基に、今度は作家を選定していくことになるわけですね。そこで今回最も話題になってるのは、ジェンダー平等という方針ですよね。これはちょっと二重の意味で驚きました。まず一つが、男女の参加アーティストをまったく同数にするという徹底ぶりですよね。あともう一つが、今までの津田さんの言論活動を見ていて、そんなに熱心にジェンダーのことを取り上げていた印象がなかったということです。そういう人がなぜ、ここでジェンダーということを言いだしたんだろうと。
津田 そうですね。今回、作家を選定するキュレーターの一人にメキシコ人男性のペドロ・レイエスという人がいて、ジェンダー平等については、実は彼の存在がとても大きかったんです。「情の時代」というテーマを設定してから初回の会議で、彼は女性作家ばかりをあげていました。彼はこのテーマから、フェミニズムっぽい文脈を最初から感じ取っていた。だから、実は本当の流れをつくったのは、ペドロ・レイエスなんです。ただあまりフェミニズムが前面に出すぎると一般の人が引いてしまうかもしれないっていう意見があって、僕も当初はそういう意見に納得してた部分がありました。
暮沢 最終的に、男女同数というところまで徹底しようと思われた直接のきっかけというのは何だったんでしょうか?
津田 2018年の秋までは、考えていませんでした。でも、気がついたら女性アーティストが4割ぐらいにまで増えていたんです。4割が女性というのは多いほうだという話をチーフ・キュレーターの飯田志保子さんから聞いて、6対4で女性が少ないのにどういうことだろう、と。それで、調べてみると、ほぼすべての芸術祭で、男性のアーティストが女性の3倍から4倍になっている。これは何だろうと思ったわけです。そこで、美術業界のなかでの男女比について調べ始めました。そうすると、例えば美術館の学芸員は6割以上が女性なのに、トップの館⻑の男⼥⽐を⾒ると⼥性は 2 割に満たない。女性アーティストに聞いてみたら、「それは、美術大学の構造が原因ですよ」という話になったんです。美大も女子学生が圧倒的に多いのに女性の教員は2割に満たない。つまり、美術界の中では⼥性の数は多いのに、館長や教員は男性が占めていて、男性優位の構造ができているんです。もちろん、美⼤の男性教員がみんなセクシズムに基づいているというわけではなく、むしろ美術をやっているからリベラルで⼥性差別なんてしないと思っている⼈のほうが多数派でしょう。しかし結局、男性って男性であるだけで、無意識のバイアスが働いてしまうことがあって、それがこうした構造を作っているんだと思います。
このあいだ京都造形芸術大学でゲスト講師として授業をしたときに、自分にとっても反省する出来事がありました。授業でトリエンナーレの話をしたあとに、「お薦めの作家は誰ですか」という質問が来たんですね。芸術監督としては「すべての作家がお薦めです」と言うのが正解なんですけど、そのときは二人の作家を紹介したんです。けれども、その次の女性の質問で、「ジェンダー平等の話をしていましたけど、今お薦めだと言われた作家が二人とも男性でした」と。これ、すごいガツンときたんですね。僕は、二人の男性アーティストを挙げたことで、女性を差別する意図もなかったし、むしろ参加する⼥性アーティストは素晴らしいと思っていました。けれども、とっさに聞かれたときに紹介した作家が、二人とも男性だったんです。
暮沢 美術学校の構造についての指摘は、一男性教員として耳が痛いですね。それはそれで、結局、津田さん自身も実はジェンダーバイアスから逃れられていないと。
津田 そのとおりです。どんなに気を付けていても、男性は男性であることから逃れられない。だから、選ぶ側の女性を増やして男⼥同数にするというのが、構造的なバイアスを減らしていくことになるんだと思います。そこから一歩先を進めた話としてあるのが、美術業界には女性キュレーターこそ男性を選びがちという傾向もあって、これもおそらく一種のジェンダーバイアスですよね。
暮沢 それはどういうことなんでしょう?
津田 男性社会のなかで⽣き残ってきたのが女性キュレーターたちなので、やっぱり男性の価値観が内⾯化されている部分もあるでしょう。また、女性が女性を選ぶと「女性だから質を犠牲にして女性を選んだんでしょ?」という批判を受けやすいので、そういうことを避けたいというバイアスもおそらく働くでしょう。さまざまな構造的な問題があると思います。やっぱり構造を握ってるのは圧倒的に男性なので、その構造についてはまず男性が変える必要があったと思います。