(1)防衛白書の地図とイージス・アショア問題からみる日本の科学軽視
2018年11月のimidasの拙稿「そんな地図で大丈夫か?」では『防衛白書』の地図に初歩的な誤りが多数含まれ、防衛省に科学的知見を尊重する姿勢と主権者に情勢を説明する誠実性が欠けていることを指摘した。幸いこの問題は、新聞にも「『防衛白書』の地図に掲載されている尖閣諸島の位置が20年間違い続けていた」(「中日新聞」2019年1月13日)ことや「手直ししたはずの『平成30年版防衛白書』の地図もやっぱりダメだった」(「朝日新聞」2019年8月17日)ことを中心に記事にしていただいた。これもimidasが一般向けのメディアとして最初にこの問題に着目し、執筆の機会を与えていただいた賜物と感謝している。
そして、2019年夏に表面化したイージス・アショアの適地選定調査と住民への説明が極めて杜撰であった問題は、残念ながら防衛省の科学的知見を尊重する姿勢の欠如と主権者への説明の軽視という拙稿の指摘が地図に限らないものであったことを知らしめた。イージス・アショア問題については、田代博氏が自身のホームページ上でまとめているので、事実関係や問題点の詳細についてはそちらをご参照いただきたいが、それに一言付け加えるのなら、この問題のお粗末さを見れば見るほど、関係者には科学軽視云々以前に基礎的な社会常識自体が欠如しているのではないかとの疑念を禁じ得ない。パソコンで作成した図面を印刷し、紙面上で直接分度器を用いて仰角を測るというアナクロさも驚くべきだが、そこで出た15度や20度という仰角に対しておかしい値だと思わなかったのには呆れるしかない。仰角15度は、スキー場の中級者向けゲレンデの斜面を見上げた角度に匹敵する角度なのだが。地形に関する一般常識もない人間が日本の防衛を担っているのだとすれば、まことに危うい。
ひとつ防衛省に限らず、この数年、政府統計や公文書の問題が同時多発的に露見したことを鑑みれば、それらは個々の省庁の担当者の力量の問題というよりも、行政府、あるいは日本社会全体が抱える構造的な問題の発露だと理解せざるをえない。これらに共通するのは、「科学的に導かれる事実を尊重しようとせず、自分たちに都合のよい見解を安直に開陳し、それが無理筋であるとの批判を受けても押し通そうとして顧みない姿勢」である。しかし、科学的知見を軽視した組織・社会に未来はないことは、70数年前の日本が教えている。
(2)主権者は自ら判断しているか――2019年参院選で用いられた地図を例に
行政が科学的知見を見失って独善に陥っている時、それを正すのは主権者の役目である。2019年7月の参議院選挙はその格好の機会になるはずだったが、少なくとも筆者が専門とする地図をめぐっては、次に述べるように、正されたとはとてもいえない。
政治家は“ことば”が命の職業であり、地図も相手に情報を伝え説得する役割をもつ“ことば”の一種である。ならば、政治家は地図を自在に用いて、日本や世界の諸地域の実情を説明し、自己の政策を提示できてしかるべきだろう。管見の限り、地図の扱いに最も長けているのは自民党(他の政党は地図をほとんど用いず、そのため地域の実情に根差した具体的な政策の提案に弱さがみられる)だが、残念なことに明らかな落第生が2名いた。北海道選挙区の高橋はるみ候補と、愛知県選挙区の酒井やすゆき候補である。
高橋候補は19年の参議院選挙中、公式HPに『私の政策』と題したパンフレットを掲載(2019年10月現在も閲覧可能)していた(第1図)。有権者が高橋候補の人物と政策を知るうえで最も基本となる情報源だろう。パンフレットで高橋氏は「私はこの広大な北海道をすみずみまでまわり、誰よりも北海道のことを考え、汗をかいてきた」と、道知事4期の実績と北海道への愛を強調する。しかし、そこに掲載されている北海道の形状(特に北方領土)は全く事実と異なる。北海道知事を4期もやりながら、北海道の形すら覚えることができなかったのだろうか。
酒井候補は選挙中も現在も公式HPに自らの根幹となる政策として『AICHIメガリング構想』を、地図(自民党愛知県連のパンフレットにも同じ地図が掲載されている)とともに掲げている(第2図)。しかし、この地図は論評も憚られる水準でデタラメである(詳しくは直接図中に記した)。数多ある誤りの中でも、酒井氏は刈谷市の出身で、刈谷市議から愛知県議、国会議員に上り詰めたのだが、刈谷市にある「刈谷ハイウェイオアシス」を実際に位置している伊勢湾岸自動車道沿線ではなく東名高速道路沿いに描いてしまっていることは言い訳無用の失態だ。酒井氏は国政では「国土交通委員会筆頭理事」の要職にあり、高速道路については誰よりも熟知していることを期待される立場のはずなのだが。
なるほど、高橋氏も酒井氏も、自ら北海道やメガリング構想の図を描画しているわけではなかろう。しかし、公式HP・パンフレットである以上、候補者本人が綿密な監修を行った上で自身の責任において決済していなければならないはずで、このようなデタラメな内容の責は本人に帰する。選挙期間中にでも誤りに気が付き、自ら改めて謝罪なりを行えば、打撃は最小限に抑えられるはずだが、それもなされていない。政治は結果責任である以上、「高橋はるみ氏は北海道知事を4期も務めたのに北海道の形も理解できていない」「酒井やすゆき氏は刈谷市出身で日本の道路行政の中枢にいるが、刈谷ハイウェイオアシスが伊勢湾岸自動車道沿いにあることを知らない」、そして「こんな人物を政権党(自由民主党)は公認して国政の場に送り出した」と指弾されても文句は言えなかろう(それでも自民党は地図を活用しようとする姿勢がある分だけ他の党よりマシと言えなくもないのだが……)。
しかしながら、両候補ともそれぞれの選挙区でトップ当選を果たした。有権者が票を入れたから当選したわけだが、この理由は次のうちのどれかしか考えられない。