新型コロナウイルス感染拡大防止のために、外出や営業の「自粛」が広く要請されるようになってからというもの、感染者や医療従事者に嫌がらせを行ったり、営業を続けるライブハウスや飲食店に苦情の電話を入れたりするなど、「自粛警察」といわれる行為が多発している。
人々が「感染拡大防止」のために自発的に行っていると思われるこれらの行為には、実はファシズムを支持した民衆の行動に通じるものがあるのではないか。このたび『ファシズムの教室 なぜ集団は暴走するのか』(2020年4月、大月書店)を刊行した田野大輔教授に、「自粛警察」の問題について話をうかがった。
『ファシズムの教室』で論じたこと
『ファシズムの教室 なぜ集団は暴走するのか』は、私が大学で10年にわたって実施してきた「ファシズムの体験学習」の内容を紹介しつつ、ファシズムが人々の感情を巻き込んで拡大していく仕組みを解説したものである(編集部注:「ファシズムの体験学習」については、2018年の記事「ファシズムは楽しい?」をご覧ください)。
ファシズムというと、独裁者による上からの強権的な支配というイメージが強いが、実は下からの自発的な協力を動員して成り立っている面が大きい。ナチスの時代にも、多くのドイツ人は自分の欲求を満たすために、公的な権威を後ろ盾にして他人を攻撃するような行動をとっていた。たとえば恐怖政治の代名詞となっているゲシュタポ(秘密国家警察)にしても、実際には一般市民の密告に頼って業務を遂行していて、その密告も隣人とのトラブルなど私怨にもとづくものが多かったことが判明している。そうしたファシズムの危険な動員力に目を開かせるために私が実施してきたのが、上述の「ファシズムの体験学習」である。
この授業では、約250人の受講生が白シャツ・ジーパンという「制服」を着て、独裁者役の私に「ハイル、タノ!」と敬礼して忠誠を誓い、カップル役の学生を取り囲んで「リア充爆発しろ!」と叫んで糾弾するなど、一連の示威行動を展開する。そうすると、参加者はいつのまにか何の罪もないカップルに罵声を浴びせることに平気になるばかりか、集団のなかでちゃんと声を出していないメンバーに苛立ちさえ抱くようになる。指導者の命令に従って集団で行動していると自分の行動に対する責任感が麻痺してきて、異端者を排除するような攻撃的な行動にも平気になってしまうのである。
こういう心理的な変化にこそファシズムの危険性があることを示し、これと類似した仕組みをもつ現代の問題に警鐘を鳴らしたいという思いが、『ファシズムの教室』執筆の動機であった。同書は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で書籍の流通に支障が生じるという、非常に不利な状況下での刊行となったが、不幸中の幸いというべきか、多くの読者に好評をもって迎えられているようだ。
「自粛警察」に見るファシズム
ファシズムと類似した現代の問題として執筆の時点で私の念頭にあったのは、昨今の日本で広がっているヘイトスピーチや排外主義運動の動きで、本書でもかなりの紙幅を割いて、これらの現象のファシズム的な特徴を分析している。ところが、運命の巡り合わせというべきか、新型コロナ感染拡大に伴う緊急事態宣言の発令直後の刊行となったために、本書は私の予想を超えた形で、非常にタイムリーな問題を解明する手引きのごとき役割をあてがわれることになった。刊行後に相次いだ各種メディアからの取材依頼も、いま注目の問題とファシズムとの類似性を問うものがほとんどであった。
その問題とはほかでもなく、緊急事態宣言下の日本で活発化している「自粛警察」「コロナ自警団」と呼ばれる動きのことである。感染者が出た大学に脅迫電話をかけたり、営業を続ける飲食店に嫌がらせをしたりする過激なバッシングが多発しており、そうした動きに私のいうファシズムの特徴が如実にあらわれていると考えた読者が多いようだ。
「自粛警察」が発生したのはなぜか
コロナ禍に見舞われた日本で、「自粛警察」のような動きが発生したのはなぜだろうか。その原因は何よりも、政府が「自粛要請」という曖昧な形で危機をやり過ごそうとしたことにある。「自粛要請」というのは、個々人の自助努力と自己責任に対応をゆだねるということである。政府にとっては安上がりな方法だが、充分な休業補償が提供されず、従わなくても処罰されるわけではないので、生活のために仕事や外出を続ける人も当然出てくる。そうすると一部の人たちの間に、自分は自粛しているのにあいつは自粛していないじゃないかという不公平感が生じる。今後日本各地でばらばらに「自粛要請」の解除が進んでいくと、そうした不満はますます増大することになるだろう。
みんなで力を合わせて危機を乗り切ろうとしているときに、自粛していない人は勝手な行動をとっているように見える。そのような人を懲らしめてやれという他罰感情に対して、政府の「自粛要請」はお墨付きを与えてしまうことになる。「自粛警察」のような行動に出る人たちは、政府の要請を錦の御旗にして他人に正義の鉄槌を下し、大きな権威に従う小さな権力者として存分に力をふるうことに魅力を感じているのである。それはまさしく、私のいうファシズムに典型的な行動といえる。
こうした行動は、社会に大きな不安が生じたときにあらわれやすい。大きな不安が生じると多くの人が自己防衛の必要にかられて、他人に過度の同調を要求するようになる。政府が個々人に辛抱を強いることで危機を乗り切ろうとしたことが、結果的に人々の不安や不満を増大させ、要請に従わない人への攻撃を引き起こしたといえるだろう。ファシズムの特徴に引きつけて考えると、目下日本で生じている事態はおおむね以上のように理解することができる。
「非常事態」下のドイツで
日本の危機対応のどこに問題があるかは、ドイツの状況と比較することでさらに明確になる。