橋下大阪市長はかねてから「ヘイトスピーチ(差別的憎悪表現)」の対策を検討しており、7月の記者会見で「直接対応する」と発言。それを受けて桜井氏が面談を申し込み、今回の対面となった形だ。
ヘイトスピーチに反対する市民団体には、橋下氏が「最近は在特会も穏やかになってきた」と発言したようだという情報を受けて、両者の面談で歩み寄りや手打ちが行われるのではないかという懸念も広がっていた。しかし実際には、想像以上のケンカ腰で始まった面談はそのまま怒号を飛ばしての応酬になり、30分の予定が10分弱で打ち切りとなった。
この面談の様子はテレビの全国ニュースでも取り上げられ、解説者らはおおむね「ののしり合いだけで中身はなかった」と評価しないようであったが、私個人の考えは少し違う。「従軍慰安婦制度は世界の国の軍隊が持っていた」といった橋下氏のこれまでの発言から考えると、「日本だけが悪者にされるのは間違っている」という点においては“在特会”と意気投合する可能性もあったはずだ。しかし、橋下氏は言葉づかいこそ乱暴ではあったが、「民族とか国籍をひとくくりにして評価するような発言はやめろ」「おまえみたいな差別主義者は大阪にはいらない」と、ヘイトスピーチが「表現の自由」などではなくて「国籍・民族差別」であることを明らかにし、それを断固否定したのだ。ヘイトスピーチデモが行われている自治体の首長が、ここまではっきり「ヘイトスピーチは差別。やめろ」と言ったことはなかったはずだ。
ところがネットでは、「ののしり合い」というのを抜きにしても、反ヘイトスピーチ側からも橋下氏への批判の声が一部で上がっていた。「橋下氏の言動は人気取りのパフォーマンスにすぎない」というのだ。
私もその可能性は完全には否定できないと思うが、たとえそうであっても大きな問題はないのではないだろうか。たとえば選挙になると候補者は「私は子どもや高齢者が住みよい福祉の町づくりをします」などと言うが、本人が本当に福祉のマインドを持っているかどうかは、よくわからない。ただ、当選して公約を守るために本当に福祉政策に力を入れてくれれば、有権者の利益になることはたしかだ。
また、こういう考え方もできるだろう。橋下氏は世論や世の中の空気を読むことに関しては、天才的な嗅覚(きゅうかく)を持っている人だ。その橋下氏が桜井氏を「差別主義者」と激しく拒絶したということは、それがいまは多くの有権者からの支持につながるはず、と読んだともいえる。だとしたら、一昨年あたりから急激に勢力を拡大してきたヘイトスピーチデモも、そろそろ世間から批判され、否定される時期にさしかかっているということなのではないだろうか。
とはいえ、「橋下氏、よくやった」とばかり言ってはいられない。桜井氏を支持する人たちは、「全国ニュースに我らが代表が大きく取り上げられた」「これで支持層が広がる」と大喜びだ。桜井氏の著作もこの面談の報道を機に、大きく売り上げを伸ばしているとも聞いた。良識的、常識的な人であれば、特定の民族や国家に対して「消えろ」などと耳をふさぎたくなるような醜い言葉を投げかけるヘイトスピーチが人として許されるものではないことは、「表現の自由」云々のはるか以前の問題であると感じるはずだ。本連載は「常識を疑え」というタイトルであるが、今回ばかりは「常識を信じろ」と言いたい気持ちである。