ようやく子供が手を離れてカラオケに行った頃には、ユーミンだけで何百曲もあって選ぶのが大変、『春よ、来い』を 何度か歌ったくらいだ。あんなに日本の田舎を嫌ったかに見えるユーミンが「日本の美」を歌った不思議な歌で、「君に預けし 我が心は」「なつかしき声がする」「遠き春よ」と文語調である。なのに続くのは「待っています」と普通の口語体。今回、「ご夫妻は仲良しです」と安倍夫妻との長い交友を明らかにしたユーミンは、もしかして『美しい国へ』 という安倍首相のナショナリスティックな「日本美の再発見」にも、影響を与えているのかもしれない。
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バブルがはじけた後、友人たちはカラオケでよく、ラテンアメリカを思わせる『真夏の夜の夢』や『輪舞曲(ロンド)』を 歌った。テキーラだのフォルクローレだのが出てくるそれらの歌は異国情緒とともに、ガラスと鉄の現代建築の中に生きる私たちを憩わせる土着性もあった。そしてバブル崩壊がボディブローのように効いてきたのは、ずっと後だった。
それは私たちの子供世代、彼らは物心つく頃から「右肩下がり」である。就職氷河期から、就職さえもできない非正規雇用の時代になって、稼いでも稼いでも年収200万円の時代。名ばかり店長、ネットカフェ難民、引きこもり、派遣切り、現在の若者にとって、かつてのユーミンのゴージャスな世界は「ありえない話」だ。
そしていつの間にか、ユーミンは安倍夫妻のお友達になってしまっていた。2013年には安倍政権のもとで紫綬褒章を 受けた。3000万枚の CDアルバムを売り上げたユーミンには国家からの勲章が授けられた。
安倍首相退陣にさいしてのユーミンの今回の発言は、ある意味で無邪気なものである。これから権力を失う首相に親愛のエールを送っても何も得はない。なぜ、今こんなことを言うのだろうと、不思議な気がした。
一方で、繊細で健気な天性の詩人、林芙美子が、20代の半ばに『放浪記』(1930年)がベストセラーになって流行作家になったのち、その著名性と筆力を軍部に利用され、従軍作家となり戦争への旗を振ったことも思い出した。
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しかし、安倍前首相はA級戦犯の祖父を尊敬し、政治家を世襲し、東日本大震災で苦しんでいることを「復興オリンピック」として利用し不正にオリンピック開催を決め、さらに万博を誘致し、あれほどの原発過酷事故を経てエネルギー政策を根本的に見直さず、グローバル企業の誘致に奔走して自国の独立自営業者を減少させ、桜を見る会、森友学園、加計学園などお友達を優遇して国家財政に損害を与え、それに関わったノンキャリア官僚が自殺してもほおかむりし、官僚を指図してうやむやに終わらせて、「責任を感ずる」と言いつつも、一向に責任を取ることなく首相の座に居座り続けた政治家である。この人と「同じ価値観を共有できる」「同い年だし、ロマンの在り方が同じ」と言うことは私ならありえない。
ユーミンは、安倍前首相の進める憲法改正や戦争法規の考え方とも「同じ価値観」を共有しているのだろうか。
もしかすると、ユーミンの言いたかったことは、「何不自由ない家に生まれ、ラッキーにデビューして、お金も名誉も得た。好きなことして何が悪いの」ということなのかもしれない。これが「政治家となるべく大事に育てられ、毎日のように高級店で何万円という会食をして何が悪い」という安倍氏と感性が合うということだけなのか。人々が台風への恐怖に右往左往している時間に、自民党の議員たちを集めて宴会をできる感性である。「みんなを幸せにする」経世済民という考えは1ミリもない。普通の人々から乖離した自民党議員のズレとユーミンのズレは、似ているように思える。
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『ヴィソツキーあるいは、さえぎられた歌』と いう本を昔読んだ。ヴィソツキー は1938年生まれ、モスクワ芸術座で演劇を学び、より市民の中に入るため吟遊詩人になった。ソ連の全体主義国家を厳しく批判する彼は1冊の詩集もレコードも出せなかったが、その歌は民衆の中に広まり、妻で女優のマリナ・ヴラディが、夫が42歳で死んだ後にこの本を書いた。彼の歌は、石井好子や新井英一がカバーしている。
ヴィソツキーより少し前にチリに生まれたビクトル・ハラ はシンガーソングライターとして活躍、民主主義的なアジェンデ政権が打倒されたのち、成立した軍事政権に虐殺された。アメリカが正義なきベトナム戦争を戦っていた頃、ジョーン・バエズは『勝利を我らに』、ボブ・ディランは『風に吹かれて』、ピーター・ポール&マリーは『悲惨な戦争』、ピート・シーガーは『腰まで泥まみれ』を歌って自国の政府を批判した。
私は、こういう歌のほうが性に合う。ユーミンは、「自分さえよければいい」「群れなすのはダサい」「チャリティは偽善」というまさに「新自由主義」「個人主義」の時代の女神だった。
しかし、個人の自己責任の時代は終わったように見える。社会の歪みが個人に抱え込まされ、追い詰められて自殺するのは嫌だ。貧困や失業は自己責任ではない。私は、「ものを言う自由」「平和を希求し、間違った政府に抵抗する自由」のほうを大事にしたい。今、香港で、ベラルーシで闘っている若者たちを応援したい。一人ではこんな状況は変えられない。
アメリカでもヨーロッパでも、俳優や歌手が政府に批判的な意見を言う権利は認められているし、その勇気は賞賛される。性差別、人種差別でもLGBTでも、芸能人が果敢な声を上げて事態を変えてきた。時には何万人にもおよぶ大衆行動に発展した。
一方、日本では逆に政府批判をする芸能人はバッシングに遭う。今回、ユーミンは首相をかばって批判を浴びた珍しいケースだ。彼女にも意見や感想を言う自由はある。しかし時代を読むのに敏感なユーミンがかなり場違いで調子っぱずれなことを言ったものだ、と思う。
私は、初期のユーミンを聞くのはやめないだろう。しかし、ユーミンの標榜する「個人主義」の時代が終わったことを、今回深く感じたのだった。
「中央フリーウェイ」
1976年、荒井由実の名前で発表したアルバム「14番目の月」の収録曲に『中央フリーウェイ』がある。
キャンティ
1960年に港区飯倉片町(当時)にオープンしたイタリアンレストラン。著名人が集まることで知られている。
『少しだけ片想い』『ルージュの伝言』
『少しだけ片想い』、『ルージュの伝言』ともに、1975年荒井由実の名前で発表したアルバム「COBALT HOUR」の収録曲。
『翳りゆく部屋』
1976年荒井由実としてシングル・リリース。
『ベルベット・イースター』
1973年荒井由実の名前で発表したアルバム「ひこうき雲」の収録曲。
『ひこうき雲 』
1973年荒井由実の名前で発表したアルバム「ひこうき雲」の収録曲。
『あの日にかえりたい』
1975年荒井由実としてシングル・リリース。
『「いちご白書」をもう一度』
1975年に「バンバン」がリリース。作詞・作曲/荒井由実
長者番付
金持ちの順位を示す番付。特に、税務署が公表した高額納税者の名簿をいう。高額納税者の公表は、個人情報の保護や名簿を利用した犯罪の防止などの理由により、2006年に廃止された。
『春よ、来い』
1994年、シングル・リリース。同年発表したアルバム「THE DANCING SUN」収録曲。
『美しい国へ』
安倍晋三著、2006年、文春新書。
『真夏の夜の夢』
1993年、発表したアルバム「U-miz」の収録曲。
『輪舞曲(ロンド)』
1995年、発表したアルバム「KATHMANDU」の収録曲。
『ヴィソツキーあるいは、さえぎられた歌』
マリナ・ヴラディ著、1992年、リブロポート。
ヴィソツキー
ヴラジーミル・セミョーノヴィチ・ヴィソツキー(1038-1980)。ソヴィエト連邦の詩人、俳優、シンガーソングライター。
ビクトル・ハラ
1932-1973年。チリのフォルクローレのシンガーソングライター、舞台演出家。
ジョーン・バエズ
1941年生まれ、アメリカのシンガーソングライター。
『勝利を我らに』
原題:We Shall Overcome。アメリカのプロテストソング。
『風に吹かれて』
原題:Blowin' in the Wind ボブ・ディランのセカンドアルバム(1963年)に収録。
『悲惨な戦争』
原題:Cruel War アメリカのフォークソング。ピーター・ポール&マリーが1962年にアルバムに収録した。
ピーター・ポール&マリー
1960年代アメリカの3人組のフォークソンググループ。ベトナム反戦メッセージを歌にしたことで有名。
ピート・シーガー
1919-2014年。アメリカのフォーク歌手。60年代にプロテストソングを歌い、公民権運動をリードした。
『腰まで泥まみれ』
原題:Waist Deep in the Big Muddy ピート・シーガーが1966年にかいた曲。