しかしこの曲、日本の女性を励ますより何より、ヨーコ本人を励ますことになった。『ただの私』によれば、「五年前にロンドンのE・M・Iスタジオでマイクの前に立ったときは、私が女であり、日本人であり、ミセス・レノンであり、しかもビートルズに介在してきた女だ、ということになっていたので、エンジニアがみんなトイレに立ってしまって、レコーディングができない、という場面もありました。ジョンと私がハーモニーを歌っていて、二人とも同じくらいの声を出して歌ってるのに、ジョンの声が大きく、私の声がヤケに低いので、調べてみると、エンジニア・ルームで私の声の音量をグッと下げていた、なんてことを発見したこともあります」とある。
さらにヨーコは言う。
「『女の癖に』自分で作った歌などうたい、プロダクションにまで手を出す、というのがいけなかったわけです」「有名な女性ロッカーでも、そういう男性の意地悪を避けるために、男性プロデューサーを使ったり、作曲も男性と共同の名前で出したり(初期のキャロル・キングがいい例)色々工夫してます。ジャニス・ジョプリンのように、ついに社会に殺されてしまって、黙ってしまった女は別ですが、ロック界で現在活躍してる女は、みんな苦労する、とこぼしてます」(前掲書)
ほんと、それ~~~! と同意の叫びをあげたくなる。私も何度かそういう話を女性ミュージシャンから聞いてきた。ここで(1973年当時)ヨーコが声をあげたことは意義があったが、音楽業界でこうしたことを解決していく動きが生まれるのは、この30年後だ。
「女性上位ばんざい」のレコーディングでは気心知れた、ヨーコとジョンのステージでもいつもバック・バンドを務めていたバンド、エレファンツ・メモリーのメンバーたちと「初めて自分の思うように仕事ができ」、「人間としてみんなが心から、この歌についてきてくれるのが感じられ」(前掲書)たそう。なんだかもう、涙が出る。
でも、彼女を見下したのはスタジオの男たちだけじゃない。実は夫であるジョン・レノンも「男性上位主義の環境に育った人」で、ふたりが同棲しだした当初、届いた新聞を先にヨーコが読んだことにジョンが「えっ?」となって、ヨーコはさらにそのことに「えっ?」となり、結果、まぁ、お金持ちなふたりなので、新聞をたくさんとることにしたと『ただの私』に書いている。新聞は男が先に読むものって、ジョン、なんだ、それ?
それでもジョンは、ヨーコと暮らす中で「女は世界の奴隷か!(Woman Is The Nigger Of The World)」(1972年)という曲を、ヨーコと一緒に書いて歌うようになる。それはこんな歌詞で歌う。
♪女には家にいろと言いながら 友達にするには世間知らずで物足りないと文句を言う(中略) 自由でありたいと願う女性の意志を若いうちに打ち砕く(中略) 女は世界の奴隷だ すぐ隣にいる女性を見てみろよ♪(翻訳・筆者)
1曲丸ごと通して女性がいかに虐げられ、差別されているかを歌うこの曲、タイトルは元々ヨーコが1969年に『NOVA』という雑誌のインタビューで語った言葉だが、黒人差別的な表現である「Nigger」という単語があるため、放送禁止にした局もあった。
どうしてヨーコはこんな差別的な単語を使ったのか?
BLM問題に詳しい翻訳家の押野素子さんは、「この単語をヨーコが使ったのは、黒人を侮辱する意味ではなく、女性への抑圧や差別が、黒人を虐げ、抑圧するのと同じぐらい苛烈なものとして捉えているからだと思います」と語る。
1969年ロンドンにいたヨーコはレコーディングでエンジニアたちに意地悪されただけでなく、男社会の中で凄絶なバッシングを受けていた(詳しくは後述していく)。それは黒人への酷い差別や抑圧にも通じるもので、抗い、闘うべきものだとヨーコは考え、女性の苦しみを伝え、立ち上がる決意として敢えてこの単語を当てたのではないだろうか。この単語にこそ、ヨーコの想いが込められているように思う。
ジョンは、その意志を尊重するために、行動を共にしていた公民権運動の同志たちに、この単語の使用が黒人たちを傷つけることにならないか? を慎重に尋ねて回り、大丈夫だという確信を得て歌ったそうだが、ヨーコは強烈な言葉遣いをすることで耳目を集めることも、もしかして考えていたかもしれない。
そして、この曲が入ったアルバム『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』には、ヨーコの歌った「シスターズ・オー・シスターズ」も収録している。こちらはもしかして、世界で初のシスターフッド・ソングかもしれない。
♪自由 ああ 自由 私たちが望むものはそれだ 今こそそのために私たちは生きる シスターズ、おお、シスターズ、あきらめるのはやめよう 新しい世界を築くのに手遅れということはない 新世界、おお、新しい世界 そのために私たちは生きる シスターたちよ、私たちは生きるために学ぶのだ♪(「シスターズ・オー・シスターズ」作詞・オノ・ヨーコ 翻訳・筆者)
ヨーコは前向きに女性たちへつながりを呼び掛けていた。『ただの私』でも「あなたは一人ではない。苦しみ、自覚しはじめてる姉妹(シスター)が世界中にいる」と強く訴えている。ヨーコはずっとずっと女性の連帯を願ってきた人なのだ。
日本はヨーコをどう受け止めた?
しかし、よくよく考えるとフェミニストのリーダーであるオノ・ヨーコ像は、彼女の故郷、この日本で今も昔も一般的だろうか? そりゃ、音楽ファンの間では知られているかもしれない。アメリカのロック・ミュージシャン、キム・ゴードン(元ソニック・ユース)は2003年、インタビューで「ヨーコみたいだといわれないようにかなり意識しているわけよ。だって、あのヴォーカルのスタイルといい、フェミニストの歌詞といい、すごいじゃない!もう全部、最高の形でやられちゃってる(中略)無意識のうちにみんな、なにかしらの影響は受けているんじゃないかしら」(『美術手帖』2003年11月号)と語る。シンディ・ローパーも10代で義父のセクハラから逃げたくて家出する時、ヨーコの詩集『グレープフルーツ』を一冊抱きかかえて出たという話は、音楽ファンの間では有名だ。
私自身思い出すと、ヨーコの電話を受けていた20歳の頃、ヨーコを怖い女性だと思い込んでいた。ぶっきらぼうな話し方もあるが、「ビートルズを解散させた東洋の魔女」といった偽装されたイメージに、私も侵されていたとしか言いようがない。『ただの私』で編集を担った映画作家の飯村隆彦は、もう一冊の彼が編んだ本『ヨーコ・オノ 人と作品』(2001年、水声社)に、「東洋の『何をやってるのかわからない女』という西側ジャーナリズムの偏見丸出しの非難に、日本のジャーナリズムも追従した」と書いた。そういう日本のジャーナリズムの姿勢の根底には「日本の男性は、日本の女性が外国の男性にもてはやされることにはコンプレックスがある」とした。
「フルクサス」
1960年代初めから、アメリカ人の美術家ジョージ・マチューナスが主導し、世界的な展開をみせた芸術運動。イベントを中心にさまざまなジャンルで、J.ボイス、N. J.パイク、G.ブレクト、W.フォステル、O.ヒギンズ、L. M.ヤング、B.ヴォーティエ、J.メカス、靉嘔、小杉武久、一柳慧、小野洋子などが参加した。ニューヨーク、ケルン、コペンハーゲンなど欧米の各地で活動を展開。フルクサスは、ラテン語で「流れる、なびく、変化する」などの意味。ヨーロッパを中心とした伝統的な芸術に対し前衛的性質を掲げてはいるが、厳密な定義はない。