モノや情報が溢れかえるいま、それらをいかに取捨選択し、再構築して創造的に生きるか。知的生産技術としてのキュレーションの実践を読み解いた『拡張するキュレーション』(集英社新書)の著者で美術評論家の暮沢剛巳さんと、AI社会における知的創造の方法と原理を論じた『知的創造の条件』(筑摩選書)の著者で社会学者の吉見俊哉さんが対談した。
暮沢 「キュレーション」という言葉は、展覧会企画・展示に関する仕事全般を指します。ところがこの言葉は、現代美術に限って使われる印象が強い。他の分野、たとえば古美術や仏像、郷土史の展覧会を企画することには「キュレーション」という言葉はほとんど使われません。私は美術やデザインを専門としてきましたが、業界内のそうした慣例に対して強い違和感を抱いていました。また一方、最近ではインターネットによる情報収集が「キュレーション」と呼ばれることも増えてきました。私は、この二つの「キュレーション(展覧会企画とネット上の情報収集)」というのは、情報の編集・加工によって新しい価値をつくるという面で共通するのではないか。拙著『拡張するキュレーション』では、そうした問題意識に即して、民藝や博物館、ツーリズムなどさまざまなキュレーションの実践事例を集めて構成しました。
こうした問題意識は、美術業界の内部ではなかなか共有してもらえないのですが、吉見さんが昨年刊行された『知的創造の条件』を読んだとき、私の問題意識に近いのではないかと思いました。本や論文などで創造的な言葉をどのように成立させていくのかを説明した吉見さんの同書は、基本的に言語情報を扱っています。一方、私が取り上げた展覧会などは、「モノ」、つまり非言語を扱っているのですが、どちらも「情報」ということでは共通しています。
吉見 私も同感です。20世紀末以降、ミュージアム(美術館・博物館)も図書館も、インターネットの発達によって、情報空間の中に“溶けだして”います。こうした大きな変化の中で、何が起きているのか。私は資料庫や文書館などで培われてきた「アーカイブ」の概念を使ってそれを考え、暮沢さんはミュージアムの中で培われてきた「キュレーション」の概念を拡張してそれを捉えようとしたのだと思います。さらに暮沢さんの言うキュレーションは、松岡正剛さんの「編集工学」という概念とも重なるところがあるように感じました。いままでバラバラだった「知的創造」や「キュレーション」あるいは「編集工学」といった技術が、デジタル技術の発達による情報革命の中で融合しているように感じています。
暮沢 「キュレーション」と「編集工学」が重なるという指摘は興味深いですね。情報の加工という点ではたしかに似ています。違いがあるとすれば、「キュレーション」では空間が、一方の「編集工学」ではエディトリアルが重要であるというデザインの部分かもしれません。
アーカイブとキュレーション
吉見 展覧会を企画するキュレーションの手前には、まず物や情報などを、膨大に蓄積していく、アーカイブのプロセスがあります。ミュージアムにおいて、このアーカイブとキュレーションの関係を、暮沢さんはどのように考えていますか。
暮沢 歴史的に見ると、ミュージアムのルーツは、王侯貴族などの戦利品を集めた「珍奇な陳列室(キャビネ・ド・キュリオジテ)」や「驚異の部屋(ヴンダー・カンマー)」などと呼ばれたものです。つまりミュージアムの形成には、権力を誇示するために宝物を集めるというプロセスが最初にありました。そして、大量に収集されたものを整理するには、分類しなければいけない。その分類の基準や序列を形成するときに、キュレーションが関わってきます。
吉見 まずアーカイブがあり、次にキュレーションがある。さらにその先には、キュレーションされたある一つの世界からそれぞれの来訪者が何かを学んだりするような、社会的なプロセスがありますよね。
暮沢 ミュージアムに何を残すか、会場にどのように並べるか、そしてどうやって来館者にその情報を伝えるのか。ミュージアムにとって、その三つはとても大事です。大英博物館のような巨大な施設の場合、アーカイブを担当するアーキビスト、展覧会企画を担当するキュレーター、教育を担当するエデュケーターなど、その三つは徹底的に分業化が進んでいます。ただ、私は、アーカイブや教育に関わるような部分も、キュレーションに含めて考えることができるのではないかと考えています。キュレーターというのは、一般的に学芸員と呼ばれ、これは国家資格の必要な専門職であると認識されているように思います。ただ、キュレーションを情報の加工・編集というもっと拡張した概念に広げて考えられないか、と思ったのが本書を書いた大きな動機です。
「事故」や「失敗」をキュレーションする
吉見 『拡張するキュレーション』の中で興味深かったのは、「『事故』のキュレーション」という章です。以前、私はスウェーデンのストックホルムにある「ヴァーサ号博物館」というミュージアムを訪れたことがあります。1628年に、当時強大な権力をもっていたスウェーデン王国の君主グスタフ二世が、ヨーロッパ一巨大な軍艦「ヴァーサ号」をつくらせたのですが、進水後すぐに沈没してしまい、30数人が死亡する事故が起きました。当時、沈没の原因を検証すると、船を巨大化しすぎた君主の計画がそもそも間違っていたことがわかった。ところが、強大な権力をもつ君主の計画に、つくっているときには誰も異を唱えられなかったわけです。それから300年以上がたった20世紀半ばに、あるアマチュア海洋史家によって沈没船が発見され、引き揚げられました。スウェーデンは、この歴史的な大失敗を後世に伝えるために、「ヴァーサ号博物館」をつくり、巨大な沈没船をその真ん中のホールに展示したのです。つまり、国家的大失敗についての見事な博物館を国立で設立したわけです。
ホワイト・キューブ
壁面が白く、装飾や凹凸のない均質的な展示空間。1929年に開館したMoMA(ニューヨーク近代美術館)で採用され、近代的な展示空間として一般化した。