山口さんはたとえ会長として内部に入れなくても今の立ち位置で正解だと思います。これだけ世論が山口香を支持しているんだという広まること自体が、強いメッセージになる。そうすれば、山口さんを疎ましいと言って排除することはできなくなります。その中でだんだん空気が変わってくるでしょうし、山口さんに表立って賛同してくる人は、今は少なくても増えるのは時間の問題でしょう。それでほんとうに「力」がついてきたら、山口さんを組織の内部から押し上げていく勢力が出てくると思います。今は、道半ばというか、機を見ている状態です。ただ、道半ばでも、新会長が橋本聖子氏になった。昔ならそれでも男性が選ばれたでしょう。それが女性になったというだけでも、一歩前進かなと私は思っています。
姿が見えないJOC
――以前、溝口さんが言われた言葉で「もうJOC自体が『政治』になってきてしまっている」というのが非常に印象に残っています。
溝口 JOCはIOCの傘下に入っています。そのIOCが政治なので、しかたがないですよね。
――そもそも組織委員会というのは、JOCの事務方のお手伝いをする組織です。IOCが本来直接やりとりすべきなのはJOCですが、見事に今回、JOCの姿が見えませんでした。そのための機関であり、そのための役所であるにもかかわらず。他国ではありえないことだと思います。
溝口 そうなんですよね。私もJOCの存在が見えないのはとても不安です。山下(泰裕)JOC会長はなぜいつも関係者会議に呼ばれないのかという疑問があります。IOC会長、組織委員会会長、東京都知事、五輪担当大臣の四者が並びますが、本来はJOC会長が加わって五者会議になるべきなのです。
今回の五輪は首都東京開催であるということで、JOCが霞んでしまいました。組織委員会がJOCのようなことをしています。本当は政治的に中立の立場でいなければいけないのに、政治に凌駕されている。どんどんJOCの存在、発言が小さくなっています。
――菅首相も、最初はオリンピックを巡る人事には介入しないとは言っていましたが、そうではなかった。
溝口 今まで以上に政府の介入が強くなっていると感じます。それは、もちろん自国開催ということもあるんですが、コロナによって政権への支持が揺らいでいるからではないでしょうか。オリンピックを成功させれば、支持率が逆転して、その後の総選挙に勝てるんじゃないか。その起爆剤に五輪を利用したいという思惑が見え隠れします。そういったプロパガンダ(政治色)がより強くなって、圧力がある中だからこそ、JOCやオリンピアン、私たちが声を上げていかなくてはいけません。
本来の五輪のあり方としては、政治とは、第三の勢力でいるべきなんです。果たして、東西冷戦という政治状況によってボイコットを余儀なくされた1980年のモスクワ五輪から学んでいるのでしょうか。当時、現役の全盛期で苦しんでいたのが山下会長ですから、いちばんわかっていらっしゃるはずなんです。こういう時ほど政府が介入してはいけないという声をもっとJOCの内側から出すべきです。
もう一つ、二階(俊博)氏(自民党幹事長)が今回のゴタゴタでボランティアを辞めるという人たちに対して、「そんなことで」辞めると言っても、と発言しました(編集部注・後に自民党により「そのようなことで」と訂正された)。言葉というのは、思っていることが、正直に出てしまうんです。「そんなことで」。
いまスポーツ界の最前線にいるのは、スポーツを「する」「見る」「支える」人たちなんです。だから、ボランティアとして支えてくれる人たちのことも、五輪に出場する選手と変わらず大切なんだという認識を持たなければいけません。五輪にとってボランティアの人たちは、いわば、社会生活を支える上で不可欠なエッセンシャルワーカーですよ。その人たちに対する心配りや眼差しは、今、報道も含めてまったく見られません。
――いわば政治の失態で、ただでさえ、世論の8割が中止を望んでいる五輪に対するイメージがさらに悪くなってしまいました。それがアスリートにまで波及することがないように、われわれメディアも止めなくてはいけません。そのためにも自浄作用を働かさないといけないですね。
溝口 これほど五輪開催に対して否定的な意見が充満している状況の中では、選手たちは進むも地獄、退くも地獄です。メディアの人たちは、その選手たちにきちんと焦点を当てて、頑張りを伝えていって欲しいですね。やはり選手たちがいちばん悩み苦しんでいると思います。現在のスポーツ選手は、スポーツ従事者であり、スポーツは経済活動、生計そのものでもあるからです。
――溝口さんがスポーツのことにとどまらず、政治や社会のことまで常に鳥瞰、俯瞰して発言ができるというのは、どこから来ているのでしょう。
溝口 私は、アカデミアに身を置いていて、社会学が専門です。社会の見えない空気を分析するのが仕事で、それをスポーツの視点から研究しています。だからこそ私はおかしいことはおかしいと言わなくてはいけないと思うのです。スポーツ関係者、組織委、あるいは柔道連盟の人たちから見れば、溝口は余計なことを言っていると思うかもしれません。しかし、スポーツ競技団体の内側の人間でもこうやって問題が見えているんだよ、と訴えかけることが、オリンピックの価値を上げ、スポーツの価値を上げると思うんです。
「スポーツ団体ガバナンスコード」
スポーツの価値を損ねかねない不祥事などを未然に防ぐために、スポーツ振興・普及に従事する団体が守るべき規律のこと。2019年6月にスポーツ庁が策定した。中央競技団体向けと、一般スポーツ団体向けのガバナンスコードがある。