バルセロナ五輪女子柔道銀メダリストであり、現在はスポーツ社会学者として活躍する溝口紀子氏に、日本のスポーツ界、組織、政治に対する見解をうかがいます。後編は、スポーツ界でジェンダー平等を実現するためにはどんなことが必要なのか、さまざまな不条理が起きたとき、アスリートやその周囲の人々に何ができるのか、などについて語ってくださいました。
*「前編:五輪は多様性をもたらす「黒船」…日本の問題が海外で可視化」からの続き
差別に「ノー」
――フランス革命の精神である、自由・平等・博愛というものは、人類普遍のテーマだと思います。ノーレイシズムという主張は、政治ではない。差別を絶対に許さない「ゼロトレランス」の姿勢で「ノー」と言うのは当然のこと。FIFA(国際サッカー連盟)は差別行為を一発アウトにしています。
大坂なおみ選手のアクションについて「テニスに政治を持ち込んだ」と言って非難する人がいますが、そういう問題ではない。人を殺すな、黒人を殺すなという、彼女の主張自体が、世界中のアスリートに通底するようになってほしいと思うし、オリンピックも平和のための祭典という形が本来はあるべき姿だと思います。
溝口紀子(以下、溝口) 逆に、「テニスに政治を持ち込んだ」という発言自体が政治的です。また、森氏の発言の一部を切り取って批判しているだとか、言葉狩りだなどと言ってる人たちほど、問題を矮小化していますよね。自分たちに自浄作用がないことを発信している、日本の恥です。蔑視発言は事実なのにそれを認めないというのはある意味、逆照射で自分たちの姿が映し出されて、パニック状態になっているんです。それぐらい大きな変革、人権への意識のパラダイムシフトは起きていますよね。
迷走する組織委会長職の後継問題
――森前会長の後継問題について、溝口さんはどうご覧になりましたか。
溝口 問題の核心が何かをきちんと解析できているのだったら、後継者はやはり若い人や女性の人材を、外部からでも探すと思います。それなのに森氏が選んだのは同じ早稲田大学出身での1年先輩の川淵さんでした。例えるならば、ラグビーで言うところの「スローフォワード」、前にボールを投げてしまう反則行為のような悪手で、問題がさらに悪化するということ自体が読めていません。そこに、森氏のガバナンス能力、統率できる能力の限界がまざまざと見えました。組織の新陳代謝のためには、自分より若い人に託すことが定石です。
もう一つは、森氏も後ろ(若手)にパスを渡したかったかもしれないんですが、「森一強」体制でずっと自分がボールを抱えたまま最後にトライを決めるというのを繰り返してきたから、パスを回せる後継者を育ててこなかったわけですよね。それで結局は、ピッチ(組織委員会)の外にいた森氏の「娘」と呼ばれる橋本聖子氏に交代したというところです。
森一強は、実は森氏だけが悪いわけではありません。森一強にさせていた周りが悪いんです。森氏に「この人には敵わないな、後を譲ろうかな」と思わせるような人材を育てさせない。それは日本社会のあちこちでも言えるのではないかと思います。「若い芽を摘む」という表現がありますよね。だから若くて力のある人は、海外に出てしまうじゃないですか。
スポーツ界が脱・政治を実現するために
――日本のスポーツ界では結局、政治の支配が続いています。橋本聖子氏が組織委員会新会長になったことで、空いた五輪大臣のポストは玉突き人事のように丸川珠代氏に決まりました。丸川氏はかねてから選択的夫婦別姓制度に反対している議員で、当然、その主張は五輪憲章と相いれないものです。これはスポーツ界とは全く関係のない自民党人事です。こういった政治による支配から今後、スポーツ界が変わっていくためには何が必要だと思いますか。
溝口 今回も感じたのですが、私たちは残念ながら、政治の世界の手のひらに乗せられて、遊ばれているだけです。しかし、選手たちにとって不条理なことがあったら、声をあげて反論できるようにしなくてはいけません。
「スポーツ団体ガバナンスコード」
スポーツの価値を損ねかねない不祥事などを未然に防ぐために、スポーツ振興・普及に従事する団体が守るべき規律のこと。2019年6月にスポーツ庁が策定した。中央競技団体向けと、一般スポーツ団体向けのガバナンスコードがある。