こういう吉本の断定は、当時の私には受け入れがたいものだった。私自身は、苦しい大学生活のなかで、かろうじて詩を読み、詩を書きということをはじめようとしていた身だったからだ。吉本隆明にとっては「戦後詩史論」の差し当たりの結論に相当する部分だったが、私にとってはそれが出発点だった。いたしかたのないことだが、後発の世代は、先行世代の総括にいきなり直面することになるのだ。論考「修辞的な現在」のなかで吉本は、当時の若手詩人の代表のひとりだった平出隆の詩「吹上坂」とシンガーソングライターさだまさしの「無縁坂」の歌詞をならべて、「比較することも滑稽であるといった戦後当初の現代詩と流行歌曲の作詞との隔たりを、ここで感ずることはできない」(同書、229頁)と記している。
雑誌『海燕』に1982年3月から1983年2月まで1年間連載し『マス・イメージ論』にまとめられる論考で吉本隆明が綴ろうとしていたものも、この論考「修辞的な現在」の延長にあったといえる。『マス・イメージ論』の論考は「変成論」「停滞論」「推理論」「世界論」……といった具合に、それぞれに漢字三つのきわめて抽象的なタイトルが付されている。しかし、基本的には「修辞的な現在」の焦点を詩から小説へと移しながら綴られた文芸時評である。私自身、同人誌評などを書きながら思うことだが、時評の書き手はできるならたんなる時評ではなく、それ自体、テーマをもった文章としたいものだ。そのとき時評として書くのにふさわしい対象が同時に抽象的なテーマを体現してくれればと願ってしまうのだ。ところがこれがなかなか難題である。『マス・イメージ論』では、その当時話題になっていた小説、詩などに、中島みゆきの歌詞、山岸凉子、萩尾望都のマンガなどが引き寄せられて、そこからそのつど抽象的なテーマが打ち出されているのである。
吉本自身は『マス・イメージ論』が刊行される際に付された「あとがき」でこう綴っている。
カルチャーとサブカルチャーの領域のさまざまな制作品を、それぞれの個性ある作者の想像力の表出としてより、「現在」という巨きな作者のマス・イメージが産みだしたものとみたら、「現在」という作者ははたして何者なのか、その産みだした制作品は何を語っているのか。これが論じてみたかったことがらと、論ずるさいの着眼であった。(吉本隆明『マス・イメージ論』福武書店、1984年、286頁)
そもそもなにをもって「現在」とするのか、というそれ自体大きな問題がここには孕まれていた。そして、連載論考はまさしく2回目の「停滞論」において、中野孝次や大江健三郎を中心に当時の日本の著名な文学者を網羅するかのようにして展開されてゆく、反核署名運動に直面したのである。吉本は、文学者たちによる反核署名運動を「社会ファシストたち」による「ソフト・スターリン主義」と呼んで徹底批判を提示した。そして、その「停滞論」を巻頭に置く形で『「反核」異論』が編集され、1982年12月に『マス・イメージ論』に先立って深夜叢書社から刊行されることになる。
『「反核」異論』のなかで吉本は「停滞論」の内容を敷衍しつつ、とくに当時果敢に試みられていたポーランドの〈連帯〉の運動に強い関心と期待を示した。ソ連を平和勢力とする発想を払拭しきれていない反核運動は貴重な〈連帯〉の運動を潰す隠れ蓑の役割を果たしている、というのが吉本の批判の大事な要点のひとつだった。その時点で吉本によって〈連帯〉の運動は「レーニン以後はじめての社会主義構想」(『「反核」異論』135頁)と見なされていたのである。
しかし、そのような〈連帯〉の運動への期待と関心は『マス・イメージ論』とどのように関係するのか、という問いは残る。端的にいって、吉本が当時抱いていた〈連帯〉への期待と関心は、『マス・イメージ論』が捉えようとしていた「現在」に入るのか、入らないのか、ということである。吉本は、反核署名に連なった文学者たちはもはや「現在」から脱落している、と見なしていた。とはいえ、吉本は2000万人にまでおよんだとされる署名者の「世界心情」(同書、51頁)そのものを否定はしていない。しかし、それがマスコミや各種の運動団体をつうじた文学者の署名運動によって「退化した倫理的反動」(同書、53頁)として表出されたところに病的なものを見ていた。これらの表現は初出『読書人』への連載原稿「「反核」運動の思想批判」からのものだが、その論考を吉本はこう結んでいた。
反核運動の理念の批判から、反核運動を退化した倫理的反動として噴出させた、高度な資本主義および「社会主義」管理国家と社会の解剖と、その根源的な批判へ。その道はながい。(同書、53頁)
その「ながい」道が『ハイ・イメージ論』の論考として展開されてゆくことになるのだが、私自身が「思想家」としての吉本隆明をきちんと読もうとしはじめたのはそれからである。学外の反核集会ではそれなりにひとが集っても、いざ学内に戻ると自分たちが圧倒的に少数派であり続けるのはどうしてか、とあらためて問いなおす必要があったのだ。自分たちの感覚が他の学生とあまりにずれていることへの遅まきの反省でもあった。それでも、その圧倒的少数派をふくめて「現在」だろうという思いは残っていて、いまでもそうだ。そのあたりのことを吉本が抱いていた〈連帯〉への期待と関心に重ねて理解したいと私は考えてきた。