沖縄戦の記憶を巻き込みつつ『聖なる夜 聖なる穴』はクライマックスにおいて、捨て身のテロ行為を描き出す。モデルとなったひめゆりの塔事件で、投じられたのは火炎瓶だった。しかし本作中でその史実は改変され、ガソリンを浴び火だるまと化した男の突進として捉え直される。男の全身を包んだ炎はまた、コザ暴動の夜に燃え盛った炎と結びつけられ、大和=日本及びその眷属(けんぞく)である米軍に対する不信と憎悪を表明する。テロの標的は史実と同じく、昭和天皇の代理として同地を訪れた皇太子。つまり沖縄の犠牲の上に築かれた、戦後日本の平和そのものである。
『聖なる夜 聖なる穴』に続く『亜熱帯の涙』でも、桐山は「南島」を舞台に選んでいる。とはいえ作品の風合いはだいぶ異なる。南方の無人島に流れ着いた男女が村を築き、漂着民を根付かせ、一個の文明を立ち上げてゆく物語。創世記やラブレーの諸作を連想させる、奔放なイマジネーションが溢れる怪作だ。しかしそうして拓かれた一種のユートピア空間も、日本を思わせる軍事国家の侵略により島民は全滅、すべてが無に帰すことになる。沖縄の問題を、よりスケールの大きい文明史的視座から捉え直した試みと言えるだろう。共同体や国家を凄惨な暴力の関数として描き出す、桐山ならではの手法はここでも生かされている。
なお「南島」を巡る言説について、一定の批判が存在していたことは、付言しておくべきかもしれない。1970年代の政治的挫折を経て、左翼知識人の多くが「南島」の問題に雪崩(なだ)れ込んでいった。だがそれは現実の葛藤を都合よく忘れ、人畜無害な議論に耽るための口実だったのではないか。評論家の村井紀が著書『南島イデオロギーの発生』等で展開したこの指摘は、なるほど思想史的に見ればただしいかもしれない。ただ桐山の創作は、そうした批判を織り込みつつなお、さらに一歩前に進もうとしていたように見える。急逝によりその試みは潰(つい)えたが、この系統にこそ彼の作家としての可能性の核があったように思える。桐山が生きていたら、本土復帰50年を迎えてなお変わらない沖縄の現状をどう捉え、どう描いただろうか。関心は尽きない。
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ここまで作家・桐山襲の美徳と可能性について書いてきたが、最後にその問題点にも触れておきたい。といっても作家の側に瑕疵(かし)があるわけではない。今日我々がその作品を読む際にぶつかるギャップについてだ。紹介してきたとおり、彼の作品の多くは1960年代から70年代にかけての出来事を題材にしている。発表当時でさえ旧聞に属していたそれら事象は、今日ではいっそう疎遠で馴染みにくく感じられるはずだ。知識として知ってはいても、身に沁みた経験として受け取ることが難しいというのが実情ではないだろうか。
かくいう筆者も例外ではない。1977年生まれの自分にとって、学生運動を巡る諸々はすべて、生まれる前の歴史に過ぎなかった。端(はな)から共有すべき土台などあるはずもない。じっさい桐山を論じた文章の多くは、運動華やかなりし「あの時代」を記憶に留める人々によって書かれており、その熱量には驚かされることが多い。しかしそうした過熱ぶりを見るにつけ、微妙な疎外感を覚えるのも事実だ。では桐山の文学は、特定の世代によって書かれ、特定の世代によって支持されるだけの、間口の狭いものなのだろうか。もちろんそうではない。
昭和が終わり平成が始まった1989年、桐山は『都市叙景断章』を発表する。それに併せてインタビューに答えている(「インタビュー文芸時評 小説の読み方作り方 桐山襲と「都市叙景断章」」『桐山襲全作品Ⅱ』作品社 所収)。同作は、過去を失い都市を彷徨する「僕」が、ふとしたきっかけで連合赤軍による同志リンチ殺人事件の記憶を蘇えらせてゆく小説だ。聞き手の富岡幸一郎はその内容に触れ、なぜそこまで「あの時代」に拘るのかと問う。そしてやや挑発的に「これを今の若者が読んで理解できるでしょうか」と問い掛けている。それに対する応答として桐山が持ち出してくるのが「現在に対する憎しみ」という、いささかぎょっとする表現だった。
あらかじめ断っておけば「現在に対する憎しみ」とは、単に「現在」を拒絶し、遠ざける態度ではない。むろん「あの時代」はよかった、「現在」は駄目だという懐古趣味でもない。むしろより深く「現在」と向き合うための、方法的「憎しみ」とでも言うべきものだ。「歴史的過去を踏まえなければ現在というものの異様さは見えない」と桐山は言う。「無知と無思考」がまかり通る「現在」を「全面的に否定」することで初めて、歴史に連なるほんとうの「現在を描き切」ることができるのではないか、という主旨の発言だ。
やや抽象的ではあるが、言わんとするところは明確だろう。桐山が書く「過去」は、追憶や郷愁の対象ではなかった。いまだ解決を見ぬ難問であり、語り得ぬ歴史であり続けている。それを語る「言葉」を回復するための試みが、彼の作家活動のすべてであったと言ってもいい。「あの時代」は桐山にとって、圧倒的に不気味な対象として現前し続けていた。彼の小説がしばしば複雑な語りの構造を備え、人称の操作や時制の混淆を含むのは、奇を衒(てら)った実験小説を書くためではない。それは不可能な対象に切り込むために生じた、必然的な捩(ねじ)れなのだ。
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「現在」を取り戻すために「過去」に立ち返ること。「過去」の時点から再び「現在」を見つめ直すこと。桐山が執拗に「あの時代」に拘るのは、自身の青春がそこにあるからではない。解きほぐすことのできない矛盾が、置き去りにされているからだった。だからこそ桐山の文学は、1960年代から70年代の政治状況と不可分に結びついている。両者を切り離して扱おうとする思考習慣こそが、彼に言わせれば「現在というものの異様さ」の現われなのだ。このズレはたぶん、作家一人の資質に帰すことのできない、想像力の地殻変動を表している