市川 フィクションや物語の役割は大きいですよね。すごく広まりやすいし、意味のある大事な表現手段だなと私も思います。もちろん文章表現だけではなくて、映像やデジタル技術なんかも使って、さまざまな状況にあって声を上げにくい人、いないことにされている人の声を汲み上げて、いろんな表現をしていければいいなと思いますね。
「読書バリアフリー」が社会に必要な理由とは?
市川 今日、佐野さんに伺いたいと思ったことがあります。それは、去年の芥川賞受賞から取材で「あなたにとって本を読むこと、書くこととは何ですか?」とよく聞かれたんですよ。私はその質問に困ってしまっていたんです。佐野さんは「読書体験記コンクール」で入賞もしているし、きっと読むことも書くこともお好きだと思うんですけど、佐野さんにとって、本を読むこと、書くことって何だと思いますか?
佐野 まず、本を読むことについては、私にはそれしかなかったということがあります。私は車椅子を手に入れる前は、本当に本を読むことぐらいしかできなかったんです。あとは絵を描くとかですかね。周りの人は、サッカーや鬼ごっこをしていたけど、できなかったので本を読むという消極的な理由がスタートにはなっています。
ただ大きくなって、障害を持って生きる中で、周りの大人たちに伝えなければいけないことが増えてきたんです。そういうときに、読むことは、語弊を恐れずに言えば、「武器」ですかね。本を読むことで、大人に伝えるための「武器」をそろえていたと思います。
本を読むと、自分の知らない世界を実際に体験できなくても知ることができる。知ることで、さっき言ったような、いないことにされている人が世の中にいることなどを知ることができるんですよね。本を読んで知ることは、社会に何か言葉を伝える一歩にもなりうると思います。
書くということに関しては、私にとっては一枚の「鎧(よろい)」だと思ってます。というのも、何かを社会に伝えようとすると、「障害者のくせに」とか「若いくせに、生意気だ」と言われることもあったんです。でも、作文は匿名で書こうと思えば書けるんです。そういう意味で「鎧」になるんです。
市川 「武器」と「鎧」。とても面白い表現ですね。最近読んで面白かった本はありますか?
佐野 最近面白かったのは、『困ってるひと』(大野更紗著 ポプラ文庫)や『〝嵐〟のあとを生きる人たち―「それいゆ」の15年が映し出すもの』(大嶋栄子著 かりん舎)などですかね。最近は小説より当事者研究の本をよく読んでいます。
市川 出版界に要望はありますか?
佐野 これは市川さんと同じ意見で「読書バリアフリー」がもっと社会に浸透してほしいです。というのも、私は進行性の病気を持っているので、徐々に紙の本が持てなくなるんです。本によって病気の進行を目の当たりにさせられる。前に手で持てた大好きだった本が持てなくなってゆくのは辛いんです。なので、本のデジタル化がもっと当たり前になればいいなと思います。障害がなくて、いまは普通に本が読めている人は、そういう辛さにあまり気づかないのではないかと。それは障害者が社会からいないことにされているということにもつながってくると思います。すごく極端なことを言うと、いま障害がなく普通に暮らしている人でも、いつ何が起こるかわからないわけですよね。大きな病気になって入院することもある。そんなときに、デジタルだからこそ本が読めるという状況が救いになることもあると思います。本はどんな人にも開かれている扉だと思うので、紙にこだわることでその扉を閉ざさないで欲しいなと思います。私ももっと言語化する能力を蓄えてきちんと社会に発信していけるようにがんばりたいです。
市川 「読書バリアフリー」に関しては、私も引き続き社会に発信していきますね。お互いぜひ、がんばりましょう。
佐野 はい、がんばります。ありがとうございました。