
機内から見たカルタヘナの街 撮影:篠田有史
雲の合間から眼下に、時間がギュッと閉じ込められた〈石の街〉カルタヘナの形が見えてきた。カメラマンの篠田有史くんは飛行機の窓から写真を撮ると言って、エアバスA320の窓側の席でそのチャンスを待っていた。とうとうカリブにやってきた。日本を発ってはや5日目、というのも最初の取材先であるコロンビアの首都、標高2600m超の高原都市ボゴタで体調を崩さぬよう、経由地の、やはり高原にあるメキシコシティで2日間の調整期間を設けたからだ。それにこの時期のメキシコが単なるトランジットではもったいない。
9月のメキシコは、独立記念日を迎え、街全体に祝賀ムードが漂っていた。メキシコシティ在住の友人とサン・アンヘルのメルカードにある食堂でこの時期ならではの、チレエンノガーダを久しぶりに食べる。大きなパプリカに似た唐辛子の肉詰に、胡桃の白いソースをかけ、赤いザクロの実とパセリを散らした見た目にも美しい料理で、この時期に食べるのである。

メキシコの伝統料理「チレエンノガーダ」 撮影:篠田有史
夜はエル・グリート(叫び)のあるソカロ広場は大変な賑わいだろう。しかも「ビーバ・メヒコ(メキシコ万歳)」と叫ぶのは、メキシコ史上初の女性大統領シェインバウムだ。せっかくこの時期に来たのだから、昔経験したように独立記念日を祝う歓喜の渦中に身を置きたいとも思ったのだが、ボゴタに移動するのが翌朝早いので我慢して、テレビの生中継で祝った。画面にはシェインバウムの迫力ある表情が映り、ホテルの部屋の窓からは打ち上げ花火が見えた。
ボゴタは25年前に雑誌の取材でラテンアメリカの都市を巡った折に、ブエノスアイレスに向かうはずの搭乗機がエンジン不調でエルドラド空港に緊急着陸し、代替機を待つ間、何時間か街をぶらついた経験があって以来だった。
コロンビアの首都の空港での入国審査は、僕が車椅子だったので優先レーンで審査も簡単に通過できると思っていた。だが、そうはならなかった。同行するジャーナリストの工藤律子くんが強面の入国審査官に滞在の目的を訊かれて、ガブリエル・ガルシア=マルケスについての取材と答えたためらしい。だったらエドゥアルド・カバジェロ・カルデロンも知っているか、と彼女は突っ込まれた。コロンビアを代表する有名な作家なんだぞと言って、ボゴタ出身であることやらなんやらを挙げ、どうだと迫っている。まるで試験みたいだ。
コスタつまりカリブ海沿岸地方出身のガブリエル・ガルシア=マルケスは、山岳地帯のボゴタでは必ずしも受け入れられない場合があるという。1982年に彼がノーベル文学賞を受賞したときの反応も地方による差、つまり、〈ボゴタっ子(ボゴターノ)〉と〈海岸地方人(コステーニョ)〉による反応の違いがあったようだ。1981年、『予告された殺人の記録』が出版された折に、この小説のモデルとなった事件の取材に当たったスペインの大衆誌「インテルビウ」の記者がそう書いていたのを覚えている。当時この発表されたばかりの中篇小説を訳す機会があり、その記事を根拠に、「今や名だたる〈マコンド〉のモデル、現在人口5000人の町アラカタカでは教会の鐘ひとつ鳴らず、静まり返っていたという。祝祭と故郷喪失、いかにも彼に相応しいエピソードだ」と単行本の解説に書いた。だが今思うと、根拠にした記事は見方が一面的で、全体を捉えてはいなかった気がする。僕もいささか勇み足だったようだ。
くだんの審査官は〈入国審査〉にかなり長い時間を費やした。同行者が持つ、今年デザインが変更された新型のパスポートと僕のパスポートのデザインが違うと言って、隣のブースの審査官のところに確認に行き、正しいパスポートかどうか念のために確認するのは私の仕事だ、などと息巻いている。僕たちに問題の作家のことをもっと気にかけてほしいと思っているのだろう。考えすぎかもしれないが、ここでもコステーニョ対カチャーコ(山岳地方人、正確にはボゴターノ)、つまりカリブっ子対ボゴタっ子のご当地対決を地で行くような場面に初っ端から出くわしたらしかった。
入国審査を終え、税関を通過してから、タクシーでホテルに向かう。空港から南東に延びるエル・ドラド通りはモンセラーテの丘へと続く。丘の麓の山の手は坂の街で、瀟洒な建物が林立している。日本大使館もこの地区にある。煉瓦造りの建物が多いのは、地震が少ないことを示している。下町につきもののグロテスクなグラフィティが見られなくなり、高級住宅やマンションがほどよく建つ丘をタクシーは上って行った。

ボゴタ市内へ。山沿いには高級住宅がたちならぶ 撮影:篠田有史