「派遣村? 前の年もやってたよね」と思う人もいるかもしれないが、2008年年末の派遣村の主体はNPOや労働組合。今回は政府の「貧困・困窮者支援チーム」が音頭を取り、全国の自治体に呼びかけながら行われた“公的事業”。国が「年末に仕事や住まいがないのは自己責任」と切り捨てるのではなくて、「とりあえずなんとかしなければ」と動き出したということだ。この違いは大きい。
しかし、東京のように大がかりな宿泊施設を提供した自治体は少ない。何らかのアクションを起こした自治体は全国136カ所に上ったが、「12月30日までハローワークの窓口を開く」といった程度にとどまったところも少なくなかったようだ。
前の年は派遣村の村長を務め、今回は内閣府参与という立場でリーダーシップを取った湯浅誠氏と話す機会があったのだが、自治体の担当者からは「なぜわざわざ年末年始に来るのか。もっと早い段階で相談窓口に来ればいいのに」といった声も少なからず聞こえてきた、という。
ただ、生活困窮者の多くはその日一日をしのぐので精いっぱいで、なかなか先を見すえて役所やハローワークに相談に行くのがむずかしい、という現状も忘れるべきではない。また彼らは情報から遮断されており、どんな社会的サービスがあるのか、いったいどこの窓口に行けばよいのかもわからない、という人も少なくない。
その点、派遣村は前年の強烈な印象があり、さらにコンビニに告知のポスターを張るなど広報も大々的に行われるので、利用者の目にとまりやすく、「よくわからないけれど、ここに行けばなんとかなるのでは」と思ってもらいやすい。さらに、役所のなんとか課というところに行けばまた「それは自己責任ですよ」と言われそう、と警戒している人も、“村”というやさしい響きに「ここなら」と足を向けやすい、という利点もある。
こうやって考えると、やはりまずはこの年末年始の派遣村をメインの柱としながら、平常時の相談やサービスを利用しやすいものにしていくしかなさそうである。
それにしても、行政などで実際に困窮者の相談にあたる人たちまでが、「いつも窓口は開いているのに来ないで、なぜ正月に来たいって言うわけ?」と本気で言っているとしたら、かなり先行きは暗い。先ほど記したような彼らのさまざまな事情を考慮し、「簡単に窓口にはたどり着けないものなのだ」ということを理解する想像力もない、ということだからだ。
とはいえ、よく考えると行政の担当者だけが想像力がないというはずはない。もしかすると、エリートコースを歩んできた政治家や大臣たちは、失業者や生活困窮者の存在すら、理解できないのではないだろうか。
湯浅氏は、「いろいろ課題はあるけれど、でもこれまでの政府よりは目線がやや下のほうに向いていると思いますよ」とうまい表現をしていた。目線を向けただけで結局はよくわかりませんでした、では意味がない。なぜ職を失って再就職できない人たちがいるのか、なぜ彼らが家まで失うのか。そして、なぜその人たちが適切な公共サービスになかなかつながらないのか。そこまできちんと把握して対応策が取られなければ、「今年は平時から相談者がいっぱい来ていますから、年越しの派遣村を特別に開設する必要はありません」と言える日が来るのは、残念ながらまだ先ということになりそうだ。