あたりまえのことだが、医者も人間なのでさまざまな病気にもなれば、ケガをすることもある。そういうときに「医者が患者になったとき」などと題して本やエッセイを書いたりする人がいるが、ふだんは頑丈そのものの私も昨年(2024年)の12月に思わぬ病気で手術や入院を経験したので、この機会にそこで気づいたことを書かせてもらいたいと思う。
とはいえ、病気そのものと経過は大げさに騒ぎ立てるほどのものではない。その説明に多くの字数を割いてもあまり読む人の参考にはならないと思うが、日記風に簡単に書いてみたい。
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●12月X日(金)
日中はなんの問題もなく、赴任先の診療所(北海道むかわ町の穂別診療所)で勤務。毎週のことだが、金曜日の夜は診療後、クルマを運転して新千歳空港に向かい、東京行きの飛行機に乗る。その機内で鈍い腹痛が発生。「空港ロビーで食べたおにぎりが原因の胃腸炎か」と考えた。
●X+1日(土)
朝から都内の大学病院総合診療科で外来診療の予定であったが、早朝、まだ腹痛がおさまらず、それに加えて微熱もあることに気づき、当日欠勤の連絡をする。昼まで寝ていたが症状が軽快しないので、さらに悪化したら赴任先にたどりつけなくなると考え、夕方の飛行機で北海道に戻る。フライト中や、到着してから宿舎までの運転中に、腹痛、吐き気、倦怠感がどんどん強くなったが、「とにかく帰らなくては」という思いの方が強く、なんとか無事に帰還した。
●X+2日(日)
宿舎でいちにち寝ていた。途中、赴任先まで取材者が来てのインタビューが予定されており、先方に連絡がつかないうちに「到着しました」との電話を受ける。なんとか待ち合わせ場所まで出かけて行き、撮影だけしてインタビューは後日、オンラインで行っていただくこととする。この時点ですでに、背中を丸めた姿勢でなければ痛くて歩行できない、という腹膜炎の兆候が出ていたのだが、自分では「そんなわけはない」と否認。あとから考えれば「正常性バイアス」という心理的機序だったのだろう。
●X+3日(月)
朝になっても状態は同じだったので、月曜は週のうち最も忙しいのだが、連絡して当日欠勤。この時点で勤務先の診療所に行って検査を受けるべきだったが、実はこの日がいちばんしんどく、ベッドから起き上がって着替えて3分ほどとはいえクルマを運転して診療所まで行く、という気にとてもなれなかった。
●X+4日(火)
やはり状態は同じ。さすがに「これはおかしい」と思い、早朝、同僚医師である診療所所長に「これから行きます」と連絡。入院になるかもと思い、ショルダーバッグに数枚の下着やタオルを必死に詰めたが、パソコンの入ったカバンは重くてとても持てなかった。
診療所では医局に顔を出してあいさつするのが精いっぱい、すぐに処置室に駆け込み処置台に横たわった。それから血液検査とCT。結果が出るまで点滴で水分補給してもらう。そういえばここ3日ほどはほとんど飲まず食わず。処置台に横たわっていると、ほかにも救急車で搬送されてくる人がいるなど、午前の外来はめちゃくちゃ忙しいことがわかり、「所長ひとりで対応させてさらに私までみてもらうなんて」と申し訳なく思うが、痛みで寝がえりを打つのもつらくどうにもできない。
45分ほどすると、所長から「先生、骨盤に膿瘍(のうよう)があるし採血の炎症所見も高いです。これは苫小牧(とまこまい)の後方支援病院に行かなくては。婦人科だと思うけど市立病院でいい?」と言われる。私は「もちろん」と力なくうなずいた。そして、「婦人科、受け入れOKだって」となり、看護師さんが呼んでくれた救急車で60キロ超離れた苫小牧市立病院へと搬送される。
到着するとすぐに採血、テキパキした明るい感じの女性婦人科医による診察と超音波検査、それから造影CTが行われ、「ダグラス窩(か)(子宮と直腸の間の腹腔〈ふくくう〉)膿瘍、両側子宮付属器(卵巣、卵管)、虫垂の炎症・腫大(しゅだい)」という診断がつく。夕方から婦人科と外科の合同手術となり、腹腔鏡下虫垂切除、両側子宮付属器切除、膿瘍ドレナージ(ドレナージ=体内に溜まった不要な液体・空気などを排出すること)が行われる。
●X+5日(水)~X+7日(金)
手術の前にわたされたクリニカルパス(診療計画表)によれば、腹腔鏡による手術なので早ければ週末には退院できるとのこと。それなら、と日曜に予定されていた講演にも出かけるつもりだったが、術後の腹水の調子や腸の動きが悪いことによる腹部の膨満や痛み、息苦しさが思いのほか長引き、絶食が続く。
●X+8日(土)
この日の朝から重湯が開始となる。おかゆのうわずみと具のない味噌汁、それにヨーグルトの朝食を口にし、「やっとここまで来た」と涙が出そうになった。講演先には事情を説明し、10分ほどのビデオメッセージを送ることとなる。
この頃になるとベッド上でからだを起こしていられる時間が増えてきたが、パソコンを持ってきていないので原稿が書けない。短いコラムはスマホで書くか音声入力をしようかとも思ったのだが、その週が締め切りだった週刊・月刊のコラム計4本は休載にしてもらった。
ビデオメッセージは、弟に頼んで買ってきてもらったシャツとカーディガンを病衣の上に羽織り、スマホでなんとか撮影をして送ることができた。
●X+9日(日)~11日(火)
年末も近くなってきて、「年内に」と言われていた取材をこれ以上、引き延ばせない時期に来た。まだおなかの張りや痛みはあったが、「座って話す」くらいならできそうということで、連日、スマホでのオンラインインタビュー、オンライン座談会に応じる。1時間以上話していると息切れがしてきて「体力も落ちているのか」と不安を覚えたが、それでもなんとか話はできた。