ある人が言っていた。「以前なら、『公務員の給与が高すぎる』という事実があれば、だから民間も賃上げを、となりましたよね。でも、今はもう民間で働く人たちはあきらめているのでしょう。だから『公務員の給与を下げろ』となるわけです」
これは「雇用の安定」という面についてもそうだ。「公務員は失業の心配がないから恵まれている」というのも、最近よく耳にすることだが、その先、「だから民間でも安定雇用を」とはならず、「公務員を削減しろ」となる。自分たちを引き上げるのではなくて、公務員を引きずり下ろすことでしか公平さは実現しない、ということなのだろうか。
たしかに、公務員にまったく問題がなかったとは言わない。給与水準や仕事の仕方がいまの日本の実情にあわなくなってきていることも事実だろう。また全体からいえば割合はごくわずかだが、不祥事もたしかに起きている。
とはいえ、公務員が全員、「安定した地位と高い給与に支えられ、ラクな仕事で怠惰な毎日を送っている」というわけではない。いや、地方自治体でも官庁でも、どの公務員にきいても「それはどこの世界の話ですか?」と言われる。かわりに彼らが訴えるのは、慢性的な激務と人手不足。それに加えて、窓口に来る市民から、あるいはメールや電話で“公務員バッシング”にあい、心の調子を崩してしまう人も少なくない。
とくに深刻なのは、被災地であるいは被災地外で震災や原発問題に対応している公務員にまで、バッシングの嵐が押し寄せようとしていることだ。彼らは3・11以降、ほとんど休みなしで働き続けている。被災地で、いまだに土、日も仕事に出続けている人、自分も家族や家を失ったのに、それへの対応がほとんどできず、住民のために尽力し続けている人に会ったこともある。
それなのに「あなたたちは仕事があっていいよね」「どうしてもっと早く対応できないんだ」という声が寄せられたり、休日に地元の居酒屋に行っただけでウワサとなって、それが駆け巡ったりすることもあるのだという。しかも、地元の人からならまだしも、他の地域の見知らぬ人からも「何やってるんだ」といった非難のメールが届く。ただでさえボロボロの心身がさらに痛めつけられ、うつ病やパニック障害などが起きて、業務に支障が出る危険性もある。
もちろん、変えるべきところは率先して変えてもらう。ときには“大ナタ”や“テコ入れ”も必要なのかもしれない。しかし、「私だって生活が苦しいのに」といった不満がつのったあげく、それを怒りにかえて公務員にぶつけたところで、何かが良くなるわけではない。たとえ彼らの給与が大きく削減されたり、リストラされる人が出てきたりしても、「これでこそ平等」とうっぷんが晴れた気になるのは一時のことだ。
また、被災地でたいへんな業務を続ける自治体職員などの公務員に対しての心ないバッシングの動きは、何としても避けなければならない。それは、公務員の健康を守るためというより、そこで暮らす住民のためでもある。公務員が倒れたり業務が停滞したりすれば、それだけ復興のスピードも落ちて誰のためにもならないからだ。
ただ、いまの限度を超えた公務員叩きが終わったとしても、怒りの矛先がまた次のターゲットに移るだけ、というのでは意味はない。うさ晴らしをする前にすべきことは何か、と考えてみたい。