この裁量労働制は、基本的には自分の裁量で働き方を決められるような人が対象とされ、具体的には研究開発などの「専門業務型」と事務系の「企画業務型」に限って導入されてきた。安倍政権の成長戦略にはかねてから「裁量労働制の拡大」がうたわれていたのだが、このたびその具体的な内容が明らかになった。近々、国会に提出される改正労働基準法案では、裁量労働制のひとつ「企画業務型」の対象業務が、一部の現場の営業職にまで拡大されることがわかったのだ。
ただ、この制度に対して労働組合は「制度を導入しながら、実際には裁量のない働き方をさせている企業も多い」「長時間労働を助長しかねない」として異議を唱えていた。おそらくこの「現場営業職も」という動きにも反対の声が上がるだろう。
これに対してもちろん政権は、「裁量労働制はあくまで働く人たちの成果を重視し、時間にとらわれずに働いて競争力を上げるためのもの」と目的を説明し、これが「長時間労働の増加」や「残業代カット」につながるものではない、と強調すると思われる。しかし、安倍政権には“前科”がある。第一次安倍政権の時代、2007年に「みなし労働による支払い制」ではないものの、時間にとらわれない賃金という点では同じ「ホワイトカラー・エグゼンプション法案」を国会に提出しようとし、「残業代ゼロ法」との批判を受けて断念したのだ。そのため、今回の「裁量労働制の拡大」を、結果的には「ホワイトカラー・エグゼンプション法の復活」だとして批判する声が上がるのも当然だろう。
この手の規制緩和の話は、すべて「うまくいった場合」が前提で語られるのが問題だ。「労働時間より成果を重視」という言葉は聞こえはよいが、中には期待された成果を上げられない労働者もいる。そういう場合は、ひたすら約束した成果が出るまで際限なく長時間の労働を続けることになる。もちろんそのときも賃金は「みなし労働時間」により支払われるので、残業代も出ないということになる。
労使関係で力を持つのは、何といっても雇用者側だ。採用のときに「あなたは裁量労働制で契約します。これだけの労働時間とみなし、その間にこれだけの成果を上げてください。どう時間配分して働くかはあなた次第でけっこうです」という申し出を、「自信がないので『一日8時間労働で、それを超えたら残業代を支払う』としてください」と拒絶することはできるだろうか。おそらく「それだけの成果は無理なのでこのくらいに」と交渉することさえできず、条件をのむしかないだろう。また、いったん働き始めたら、「私は裁量労働制だから、週末と夜中だけ働き日中は出社しない」などと言うこともむずかしい。
終身雇用、年功序列がほぼなくなり、多くの企業が成果主義を導入してから、うつ病などで長期休職する労働者が激増したのは統計が明らかにしている。この裁量労働制の拡大がそこに拍車をかけることにならなければよいが、と願うが、実際には診察室では早くも「裁量労働制のはずなのに朝8時には出社し、夜遅くまで仕事」「残業代も出ず成果ばかりを問われる」という働き方をする中で過労うつなどに倒れるケースが散見されている。仕事の現場をぶっ壊す、ではシャレにもならない。政策は希望的観測ではなく、現実を見すえて講じられなければならないはずだ。