このほど東京地裁で下された判決で、裁判長は「発作の危険性を軽視しており、厳しい非難は免れない」と述べ、懲役5年を言いわたした。「発作」というのは、男性が約30年前から患っていたてんかんの意識障害発作のことを指す。裁判長は、「医師から運転しないよう注意されていたにもかかわらず、持病を申告せずに免許を更新して運転を続けていた」と男性を強く批判した。
2014年に施行された新しい法律である自動車運転処罰法では、新たにてんかんや統合失調症など特定の病気の影響で「正常な運転に支障が生じる恐れがある状態」にあるにもかかわらず故意に運転し、発作などで死傷事故を起こした場合には、この危険運転致死傷罪に問われ、それまでより重い刑罰が科せられることとなった。その前、13年には道路交通法も改正されていて、てんかんや統合失調症など一定の病気症状があり車の運転に支障を及ぼす可能性のある人が、免許の取得や更新時に病状を虚偽申告した場合の罰則が盛り込まれた。
遺族やケガを負った被害者のみならず、一般の人たちも、「てんかんなどの病気があるなら、免許更新時に申告してもらわなければ困る」「発作の危険があるのに運転を続けるなんて危険きわまりない」と考え、重罰を科せられても仕方ないと思うかもしれない。ただ、そこにはむずかしい問題が潜んでいる。
もちろん、服薬していても発作を止められない状態なのであれば、運転すべきではないのは当然のことだ。しかしそれは、てんかんに限ったことではない。極端な話、たとえばカゼで激しい咳込みが止められない場合でも、運転するのがとても危険なのは変わりない。それなのに、なぜ「てんかん」「統合失調症」など精神科領域の特定の病名があげられ、交通事故の際には通常より重い罪が科せられなければならないのか。これは特定の病気の人を差別する法律なのではないか。
わが国の精神科医たちを代表する組織である日本精神神経学会は、これらの法が改正されたり成立したりする際に、一貫して異議を唱えてきた。実は、こうした規定は差別にあたるだけではなく、特定の疾患を持つ人が一般人よりも事故を起こしやすいというデータはないため、医学的根拠にも乏しいのだ。
道交法は今年(2017年)から、認知症の疑いがあると判定された75歳以上の運転者には医師の診断を義務付けるようにも改正されたが、これも同様にはっきりしたデータに基づいたものではない。一律に運転に制限をつけることで、事故防止のメリットよりもむしろ高齢者の社会生活に支障を来たすデメリットのほうが大きいのでは、という声が医師らから上がっている。
もちろん、医師にも交通事故を防ぐ義務はあり、担当している患者さんが運転している場合、その能力が低下もしくは喪失した状態にないかどうかを判定して、必要ならその結果を患者さん自身に対してはっきり伝え、運転を中止するよう指示しなくてはならない。服薬による副作用のチェックも必要だ。
しかし一方で、特定の疾患の人たちの運転をやみくもに禁止することで患者さんの生活が大きく制限されたり、「この病気の人たちは運転もできないくらい危険な状態なのだ」といった間違った偏見が広がったりすることがないよう努めるのも、医師の義務であることは間違いない。
今回の裁判で弁護側は、「被告はてんかん発作を抑える薬を飲んでおり、発作の兆候はなかった」と主張していた。もし本当にそうであれば、運転を全面的に禁じる必要はなかったことになり、心臓発作などと同じような完全に突発的な発作による事故でも危険運転致死罪を問われるのははたして妥当か、とさらに議論が続きそうだ。
交通事故は防ぎたい。しかし、特定の疾患の人が差別や不必要な制限を受けてよいわけはない。むずかしい問題だがしっかり考えていきたい。