「先生は私みたいにならないでね。結婚もして子どもも産んでね」
20代のとき、勤務していた札幌の精神科病院から別の病院に異動することになり、担当している患者さんたちにそれを告げたとき、当時、40代だった女性から言われた言葉がいまも耳の奥に残っている。彼女は10代でその病院に入院し、精神障害と知的障害があるということを理由に強制的に不妊手術を受けさせられていた。「私みたいに」には、「子どもを持てない」という意味が強く含まれていたのだろう。
わが国では、1948年に作られた優生保護法という法律の下、主として遺伝性の肉体的・精神的疾患のある人や、知的・精神障害者、そしてハンセン病患者などに対し、「優生手術」という名の不妊手術が行われてきた。優生手術が必要かどうかは、医師の診断と申請に基づいて各都道府県の「優生保護審査会」が判断し、場合によっては本人の同意もなく強制的に施術することが認められていた。
いったい何人に対して同意なしの手術が行われてきたのか、実態は不詳だが、いま明らかになっている強制手術件数は全国で1万6000件あまりで、都道府県別に見ると、北海道が2593人と、ワースト2位の宮城県の1406人を大きく引き離してワースト1位である(旧・厚生省「衛生年報」より)。私の勤務していた札幌の病院でも、かなりの数の女性患者さんがその手術を過去に受けていた。根底にあったのは、「不良な子孫の出生を防止する」という優生思想だ。この思想が差別につながるなどと批判され、優生手術の項目を削除し、母体保護法へと改定されたのはなんと96年になってからのことである。
最近になって、神奈川県相模原市の障害者施設で19人もの入所者が殺害された「津久井やまゆり園事件」(2016年2月)の加害者の、「障害者は不幸を作る」といった考えも優生思想であるとさかんに報じられたことをきっかけに、旧優生保護法や強制不妊手術にも再び注目が集まるようになった。17年6月の日本精神神経学会学術総会では「旧優生保護法と精神科医療―津久井やまゆり園での殺傷事件がつきつけたもの」というシンポジウムが開催され、私も登壇した。しかし、国は「当時は適法だった」などとして公式の謝罪も補償もしておらず、実態調査すらまだ行われていない。
そのような中、宮城県に住む60代の女性が、10代のときに強制的に不妊手術をされたことは憲法違反であるとして、国を相手に1100万円の支払いを求め、旧優生保護法をめぐる初の国家賠償請求訴訟を起こした(2018年1月)。女性は、「子どもを産み育てるという憲法13条で保障された自己決定権や幸福追求権を侵害された」としている。
しかも、今回提訴した女性の障害は遺伝性ではないことが、宮城県が開示した資料に明記されている。しかし同様に開示された「優生保護台帳」には、手術理由が「遺伝性神経薄弱」と記載されていた。女性は理由を偽って強制手術されたのだ。
昔のことを思い出してみると、私に「先生は私みたいにならないで」と言った女性も、遺伝性の疾患ではなかった。また、受け入れ先がなかったためにやむなく病院で生活する、いわゆる社会的入院を続けていたが、もし今のようにデイケアやグループホームでトレーニングできれば、十分、退院も可能であっただろう。そう考えると、彼女が望めば結婚して子どもを産み、育てることもできたのではないか。いずれにしても、強制不妊手術が行われるべきではなかったと考えられる。
民法は、不法行為が行われてから賠償請求権が失われるまでの期間(除斥期間)を20年と定めており、宮城県の女性の裁判では今後そのあたりが争点になりそうだという。国側は、旧優生保護法が失効し、母体保護法が成立した1996年から20年以上が経っており、すでに除斥期間を過ぎていると主張している。一方の原告弁護団は、2004年に当時の厚生労働大臣が国会で「(強制不妊手術の)事実を今後どうしていくか考えたい」と答弁しているにもかかわらず、立法するに十分な期間を経ても救済措置が講じられていないことを理由に、国の不法行為が始まったのは07年ごろであると主張している。万が一、裁判所が国側の主張を認めた場合、この手術の不当性を示す手立てはなくなるのだろうか。そんなことがあってよいわけはない。
私自身、はるか昔はこの手術を受けていた人たちがあまりに多かったので、逆にそれほど疑問を持つこともなかった、という苦い思いがある。残念ながら子どもを持つ機会には恵まれなかったが、「私みたいにならないで」というあの女性の切実なひとことを忘れずに、あまりに遅きに失したとはいえ、今後は患者さんたちの権利回復のために何ができるかを考えていきたい。