本稿の写真は、写真家の金川晋吾氏が本文テーマをイメージして選定しています
動物園を散歩する内村さん
みなさん、こんにちは。
1918(大正7)年の2月9日。この日の東京は、一足早く春がきたような、気持のよい一日だったそうです。内村さんも好天に誘われて、街に出ました。なじみの本屋で本を買った後は、ふと思い立ち、上野公園に向かいました。〝若い頃、この辺りで友達と語り合ったな〟と記憶をたどりながら、人かげもまばらな美しい公園を、ひとり静かに歩きます。そのうち、動物園の前に出ました。上野動物園は、こんなにも昔からあったのですね。内村さんは動物たちの様子を、子どもに戻ったつもりで真剣に観察して回りました。
素敵な休日の過ごし方ですよね。こちらの心まで自然と明るくなるエピソードです。56歳(当時としてはかなりの高齢です)の内村さんの足取りが軽かった理由は、お天気だけではなかったはずです。「再臨運動」に取り組むことで、みずみずしいエネルギーがみなぎっていたのではないでしょうか。この動物園のエピソードも、「再臨運動」の講演の場で紹介されたものでした。※1
前回お話ししたように、第一次世界大戦に多くのキリスト教国が参戦したことが、内村さんを深く〝絶望〟させました。醜い争いこそが自然の真のすがたなのだから、どんなに頑張っても平和なんてムリだ。そんなうしろ向きな考えにとらわれるほど、落ち込んでいたのです。
ですが、動物園を散歩する内村さんの脳裏(のうり)にうかんだのは、それとは対照的な世界でした。『旧約聖書』の「イザヤ書」に記されているイメージです。
〝狼と子羊が仲良く一緒にいたり、ライオンと子羊が並んで草を食べていたり、人間の赤ちゃんが毒蛇のすみかで遊んでいたり……〟※2
人間同士だけでなく、動物たちも、絶対に他の存在に害を加えたり、傷つけ合ったりしない。まるで楽園みたいですよね。こんな世界があったら安心だし、楽しいだろうな、と思います。
それにしても不思議です。これまでの努力や苦労は、すべてムダだった。そう打ちひしがれるほどの絶望的な闇に、どうして、こんな明るい光が差しこんできたのでしょうか。
※1
「馬太伝に現はれたる基督の再来」(『内村鑑三全集』24巻、岩波書店)89~91頁の内容を、わたしなりにかみ砕きました。

※2
『旧約聖書』「イザヤ書」11章に書かれていることばを、※1を参考にしながら、わたしなりにかみ砕きました。

※3
「謝辞」(『内村鑑三全集』19巻、岩波書店)33頁のことばを、わたしなりにかみ砕きました。

※4
教え子の矢内原忠雄「先生の涙」(鈴木俊郎編『追想集 内村鑑三先生』岩波書店)130頁

※5
「世界の平和は如何にして来る乎」(『内村鑑三全集』24巻、岩波書店)131頁のことばを、わたしなりにかみ砕きました。

※6
「基督再臨を信ずるより来りし余の思想上の変化」(『内村鑑三全集』24巻、岩波書店)389頁のことばを、わたしなりにかみ砕きました。

※7
じつは他にも、様々な理由で『新約聖書』から除外された福音書が存在しています。それらはまとめて「外典福音書」と呼ばれます。たとえば1945年にエジプトで、イエスのことばがたくさん収録された「トマス福音書」が発見されました。

※8
これについては、田川建三という新約聖書学者の解釈を参考にしています。また、『新約聖書』の日本語訳では、わたしは田川建三の翻訳をいちばん信頼し、いつも参考にしています。

※9
この有名なパウロの「回心」という出来事から、〝目からうろこ〟という慣用句が生まれました。興味のある方は、『新約聖書』に収録されている「使徒行伝」という文章の9章を読んでみてください。ただ、パウロ自身がそのような「回心」のエピソードを語った事実はありませんので、少し注意が必要です。

※10
「使徒行伝」の15章に書かれています。

※11
これについても、※8と同じです。

※12
「第一コリントス」と呼ばれる手紙の、1章23、24節のことばを、わたしなりにかみ砕きました。
