〝自然は神が愛をこめて創り上げた、美しいものだ。自然界のあるべきすがたは、人間のあるべきすがたと同じで、争いではなく、おだやかな平和なんだ〟※10 内村さんと足尾銅山鉱毒事件のかかわりの根っこに、このような考えがありました。自然の見方として、キリスト教にくわしくなくても、親しみやすいですよね。でもある時から、この考えはひっくり返ります。1922(大正11)年の文章を、わたしなりに今のことばに移しかえましたので、読んでみてください。びっくりすると思います。
〝人は、自然の美しさを語る。でもその美しさは、表面だけのものだ。深く観察すれば、自然の本来のすがたは「美」ではなく「醜」だ。調和ではなく混乱だ。平和ではなく戦争だ〟※11
すごい変化でしょう。この変化には、第一次世界大戦という大事件が関係していそうですが、それは次回、別のテーマの中で考えましょう。とりあえず〝このままでは世界が終わってしまうのではないか〟という、深い危機感や絶望感がかかわっていたということだけ、覚えておいてください。
世界の終わり
さいごに内村さんを離れて、〝現在〟に目を向けましょう。
「人新世(じんしんせい・ひとしんせい)」ということばを聞いたことがありますか? 人間がまだ存在しなかった太古の時代のことも、化石や地層を調べることで、なんとなくわかります。その上で地質年代というものが定められます。地球が誕生したのが「冥王代」、恐竜が絶滅したのは「白亜紀」というふうに、おおまかな歴史が描かれるのです。
2000年頃、パウル・クルッツェンという科学者が、現代のわたしたちは「人新世」という地質年代のまっただ中にいるのではないか、という意見を発表しました。これは、土器の文様によって縄文時代と名づけたり、幕府が江戸にあったから江戸時代と呼んだりするのとは、レベルが違います。人類の活動が、地球という惑星に、消えない痕跡を刻み付けている。「人新世」ということばには、そのようなとてつもなく大きな意味が込められているのです。
その痕跡って、なんだと思いますか。たくさんありますが、例を挙げれば、生物種の大量絶滅、大気中の二酸化炭素濃度の上昇、放射能による環境汚染、温暖化による海水面の上昇、それによる地形の変化、ブロイラーチキン(一般的な鶏肉)の骨……などです。ふだん、なにげなく目にしている鶏肉の骨が痕跡として残るなんて、びっくりですよね。人間が食べるために生産されるブロイラーの数は、地球上のその他の鳥類全部を足した数よりも多いそうです。人類はそれほど大量のブロイラーを消費し、その骨を捨てているのです。
どの痕跡も、「環境破壊」としてくくられるネガティブなものですよね。人類はかなり早い時期から、農耕や牧畜によって、自然環境を変えてきました。しかし、これほどの大きな影響を及ぼすようになったのは、近代化の後からでした。「産業革命」によって、再生不可能なエネルギー(化石燃料や核燃料)を使った大量生産・大量消費の暮らしをはじめたことが、一番のポイントだったのです。そこに、戦争や植民地の問題もかかわっていたことを見てきました。近代化は他にも、苛酷な労働環境、差別、貧富の格差など、現在まで続く様々な問題が生まれるきっかけになりました。
その場面に立ち会っていた内村さんの時代の人々と、それから100年以上の時間が流れた世界にいるわたしたちとでは、見ている風景が少し違います。近代化の流れが行き詰まって、もはや限界に達していることを、わたしたちは肌感覚で理解しているのではないでしょうか。言いかえれば、わたしたちは近代が終わりつつあることを、リアルに感じ取っているのです。だからこそ、〝それなら、どんなふうに終わるべきなのだろう〟ということを、考えるようになっています。
それだけではありません。今から何億年か経った頃には、太陽の変化によって、植物も動物も地球上からいなくなることが、科学的にわかっています。つまり、人間が自然環境を破壊しても破壊しなくても、わたしたち人間が知っている世界は、いつか絶対に終わる。そんなことまで、わたしたちは理解しているのです。
それでも人間は、未来のために努力すべきでしょうか。未来の誰かやなにかのための行動に、ほんとうに意味があるのでしょうか。自分が好きなものを買い、好きなものを食べ、好きなことをする。頑張って生きるのもいいけれど、もしイヤなら、いつ死んでもいい。こんな感じでじゅうぶんだ。わたしは時々、そんなふうに考えることがあります。みなさんはどう思いますか。
それぞれがそれぞれの人生の中で、自分なりの答えを出すしかないのかもしれません。だとしても、あるところまで考えると、〝わたしはなんのために存在するのか〟とか、〝そもそもこの世界はなぜ存在するのか〟といった抽象的なギモンが、やっぱり浮かびあがってきます。どれだけ科学が発達しても、人間が〝神〟や〝宗教〟や〝信仰〟という問題から離れられない理由が、そこにあるのだと思います。
この連載も、残りの回数が少なくなりました。次回のテーマは〝復活〟です。内村さんが世界の終わりについてなにを考えたのか、追いかけましょう。
※1
吉川賢『森林に何が起きているのか』中公新書 164頁

※2
石井寛治『日本の産業革命』講談社学術文庫を参考にしました。

※3
大庭健『民を殺す国・日本』筑摩選書 では、2011年に発生した福島第一原子力発電所事故も、このような流れの中に位置付けて説明されています。

※4
現在も手に入りやすい文庫本があります。興味があれば読んでみてください。(『後世への最大遺物・デンマルク国の話』岩波文庫)

※5
「理想団は何である乎」「社会改良の最良策」「余の従事しつゝある社会改良事業」(いずれも『内村鑑三全集』9巻、岩波書店)に書かれている内容を、わたしなりにまとめました。

※6
「内村氏の鉱毒問題解決」(『内村鑑三全集』10巻、岩波書店)469頁

※7
「聖書を棄てよと云ふ忠告に対して」(『内村鑑三全集』10巻、岩波書店)97頁

※8
「聖書の研究と社会改良」(『内村鑑三全集』10巻、岩波書店)107頁の内容を、わたしなりにかみ砕きました。

※9
同前105頁のことばを、現代のことばづかいに改めました。

※10
「近代に於ける科学的思想の変遷」(『内村鑑三全集』17巻、岩波書店)90頁のことばを、わたしなりにかみ砕ききました。

※11
「羅馬書講演約説」(『内村鑑三全集』27巻、岩波書店)41頁のことばを、わたしなりにかみ砕きました。
