コロナ危機のさなか、元ギャングリーダーで牧師であるアンジェロたちは、ホンジュラスの首都テグシガルパで困窮者への食料支援をしている。支援を受けている人々の中には、夫や父親が服役中で元マラスのメンバーだという家庭もある。中米の若者ギャング団「マラス」の庇護を受けられる場合は生活に困らないが、服役中に信仰に目覚めてマラスを抜けてしまうと、そうはいかないからだ。
ギャング世界に育つ
2019年9月、警備最高レベルの刑務所ラ・トルバを訪れた日の夜、私たちはアンジェロの自宅へ夕食に招かれた。アンジェロの家は、いわゆるスラムとは少し趣の異なる、落ち着いた雰囲気の住宅街にあった。私たちが訪れた子ども食堂がある地域のような危険な気配は、感じられない。アンジェロは門を開け、家の前の広いガレージスペースにバイクを停めると、私たちを中へと招き入れた。
妻のシオマーラが夕食を準備する間、私は、アンジェロが呼んだ彼の教会仲間に、インタビューをすることになった。アンジェロがガレージスペースに用意してくれたテーブルを挟んで「夫はマラ・サルバトゥルーチャ(MS-13、二大マラスの一つ)のベテランメンバー」だという女性、スカーレットに話を聞いた。
今回、私は特に、マラスに関わる女性たちの声を聞きたいと思っていた。2014年と2015年の取材では、ギャング少年や青年たちの話は聞けたが、彼らとともにギャングの世界に生きる少女や女性のことは、あまりよく知る機会がなかったからだ。
スカーレットは、波打つロングヘアを肩まで垂らし、瞳にはどこかメランコリックな翳りを湛えていた。一体どういう経緯で、凶悪なギャングとされる男性と結婚をしたのだろうか。私はまず、彼女の子ども時代から話をしてくれるように頼んだ。すると彼女は、アンジェロにインタビューの話を聞いて以来、会うのを楽しみにしていたと微笑み、リラックスした様子で語り始めた。
「ウチは8人家族でした。父はタクシー運転手で、母はトルティージャ(挽いたトウモロコシを水で練り、平たくのばして焼いたもの)屋をしていました。私が長女で、下に弟が2人、妹が3人います。でも弟2人はもう死にました。別居していた母も2年前に病死しました」
弟たちは「敵に殺された」という。二人ともMS-13のメンバーだったが、敵対するマラス「バリオ・ディエシオチョ(M-18)」に殺害された。15歳と21歳という若さだった。
「私の人生は、ずっとギャングに支配されてきました。生まれ育ったスラムでは、少年たちはギャングになるのが当たり前だったので、私が付き合っていた男の子は皆、地域を支配するMS-13のメンバーでした。ガールフレンドになれば、自動的にマラスの世界に関わることになる。彼らギャングの人生の一部になるんです」
スカーレットは10代の頃から、ボーイフレンドやその仲間とともに、夜はよくストリートで酒を飲み、踊り、麻薬をやっていた。時には、彼らの縄張りの入り口で「バンデーラ(見張り役)」もやった。皆と同じようにタトゥーも入れた。学校には通っていたが、家にはほとんどいなかった。いたくなかったのだ。
愛に飢えた少女
「両親は、私がまだ10歳そこそこの時に離婚しました。それからきょうだいはバラバラに。弟と妹は、叔父の家に預けられたり、他人の手に渡されたりしました。私だけは、実の父と祖母のもとで暮らしましたが、ひどい扱いを受けました。常に暴力を振るわれ、罵声ばかり浴びせられたんです」
家にいるのが辛かった少女は、ほとんどの時間をギャングたちと過ごす。そして、15歳の時に、同級生だったボーイフレンドとの間に長男を身ごもる。それをきっかけに実家を飛び出し、彼の家族と暮らすようになった。
「子どもだった私は、祖母や父の虐待から逃れたい一心で、彼のもとへ走ったんです。そして出産。中学を出ずに子育てを始めることになりました。でも、彼の家族と暮らすようになったおかげで、初めて『愛情』というものを知りました」
安堵にも似た笑みが浮かぶ。パートナーとなった少年の両親は、敬虔なキリスト教徒で、慈愛に満ちた人たちだった。
「私のことを、実の娘のように愛してくれました。本当の両親や祖母からは一度も受けたことのない愛情を、与えてくれたんです。今でも、家族付き合いを続けています。でも、息子の父親とは、半年後に別れることになりました。彼の暴力がエスカレートしていったからです」
スカーレットの少女時代は、アンジェロたちが支援する子ども食堂で聞いた、スラムの少女がよく経験する厳しい人生そのものだった。その苦難は、更に続く。パートナーからの暴力を逃れるために、子連れで家を出て、路上生活をする羽目になってしまう。
「とにかく町を転々として歩きました。夜は雨風が凌げる場所なら、どこででも寝ました。辛くなって父のもとへ戻っても、すぐに追い出され、落ち着ける場所がどこにもありませんでした。心細く、息子が7歳の時に、また別の男性と暮らすようになったんです」
彼女は、ラテンアメリカの貧困層の少女や女性たちがよく陥る悪循環の只中にいた。男に騙されたり暴力を振るわれたりした後に、捨てられたり別れたり。その後しばらくは自力で生きていこうと試みるが、自信がないために不安に襲われ、また別の男を頼る。だが、大抵は男がだらしないうえに高圧的なので、結局いろいろと我慢しながら家計を支えるのは、自分自身ということになる。それでも懲りずに、同じ失敗を繰り返すのだ。
「そう、結局は2番目の彼もマリファナを吸っては暴力を振るい、女遊びに明け暮れていました。彼との間には次男が生まれましたが、それでも彼は態度を改めなかったので、別れました」
この時、スカーレットは21歳。日本人なら、大抵はまだ自分の青春を楽しんでいる年頃だ。
「子ども二人を連れて、再び路上生活に。それでも、私は息子たちを何とか学校に通わせようと、できる仕事なら何でもやりました」
努力の甲斐あって、息子たちは路上から学校へ通い続ける。
「この国の政府は貧乏人を助けてはくれません。特に女はそう。自力で歩むしかない。