「男らしさ」と戦争神経症(1)からの続き。
軍隊では「弱さ」を克服するために、様々な訓練を用意している。戦争神経症を研究する中村江里さん(前出)は言う。
「初年兵は私的制裁という名のリンチを兵営で受け、徹底的に痛めつけられます。暴力性は肯定されつつも、上官に歯向かわないように服従を植え付けられます。その一方で、暴力を敵に向かって発露させるよう訓練します。デーヴ・グロスマンの『戦争における「人殺し」の心理学』(2004年、筑摩書房)が有名ですが、あの本の主要な主張というのは、人間はもともと人を殺すことに抵抗感があるんだと。それを乗り越えるためにいろんな訓練をするわけですが、日本の軍隊で一番残酷だったのは、中国で行われていた実的刺突(じってきしとつ)といって、中国人の捕虜を生きたまま木に縛りつけて銃剣で刺し殺す訓練です。日中戦争に従軍した井上俊夫さんが『初めて人を殺す―老日本兵の戦争論』(2005年、岩波現代文庫)の中で実的刺突について書いていますが、最初は抵抗感を持つ兵士たちも、上官から“腰抜け”と言われて暴力をふるわれることを恐れたり、仲間内の競争意識から率先して命令を遂行していく様子が生々しく描かれています。また、その中でこうした『苦難を乗り越えること』=『男らしい』という合理化が行われていることも重要ですね」
そうやって「人を殺せる」兵士を育て上げて行く。戦時中には暴力が許されるだけでなく、暴力は自らが生き延びるための手段でもある。が、そんな訓練を受けた兵士が戦後、「平和な市民社会」に戻ってくるにあたっての「適応のための訓練・教育」などは一切ない。ある意味で戦後の日本は、軍隊で徹底的に暴力を植え付けられ、トラウマを抱えた男性たちが一斉に「野に放たれた」時代でもあった。軍隊生活から戻ってきた男性たちには、PTSD症状だけではない様々な不調が表れ、アルコール依存や薬物乱用などの嗜癖も見られるようになる。妻や家族への暴力もしばしば見られたということだ。
「先のアジア・太平洋戦争では、軍隊から帰ってきた兵士が、どういうふうに元の日常に適応していくかということには関心が払われてきませんでした。戦争による帰還兵の精神的な影響についての調査も、ほとんど存在していません」と中村さん。そのうえで日本は「敗戦」という傷も負った。
「アメリカ軍に占領されて、アメリカ兵を相手とする街娼になる女性もいました。それは日本の男性にとって、すごく屈辱的な体験だったと思います。でも自分が傷ついたことを認められていないというか、新たな男らしさとして、高度経済成長期には『企業戦士』という言い方が出てきます。軍隊と似通った言い方ですよね。戦後の日本は、軍国主義は表面上否定するけれど、今度は経済で戦っていこうという方向にシフトしました」
そうして経済成長にまい進する中で、戦争は忘れられていく。特に「心の傷」などは、まっ先に忘却されたのだろう。というより、もっとも見たくないものだったのかもしれない。やはり戦争神経症について取材をしている朝日新聞編集委員の松下秀雄氏は、戦後の日本の復員軍人の「イメージ」を以下のように書いている。
「過労死が問題になるほど働き続け、家族との時間をないがしろにした。家では寡黙でよく酒を飲み、しばしば暴力をふるった――」「心の傷に触れると痛むから、傷に触れないようにする。戦争を思い出さないよう、ひたすら働く。そして『経済戦争』に勝つことで、敗戦の憂さを晴らす。精神科医や心理学者に聞いたら、これはPTSD患者によくみられる『回避』という対処法だと教えてくれた」(雑誌『Journalism』2015年11月号、朝日新聞出版)
こうして見ると、日本社会全体がいまだトラウマを克服できていないように思う。松下氏は、日本軍の加害に触れた時、日本で激しい論争が起きることについて、「心の傷が、触れれば痛い状態のまま残っているからだ」と指摘する声を紹介している。
中村さんは言う。
「そういう意味では日本の戦争のトラウマというものは、加害体験はもちろんのこと、被害体験ともほとんど向き合ってきませんでした。兵役があった人だけでなく、民間人にもたくさん被害者がいるわけじゃないですか。沖縄戦のトラウマは研究も始まりましたが、本当に最近ですよね。そういうものに戦後向き合ってこなかったことが、もしかしたら別のところの暴力につながってるかもしれないと思います」
話を聞きながら、戦後、暴力や軍隊というものと向き合ってこなかったツケが、現在の様々な生きづらさにつながっている気がしてきた。例えば、どんなに長時間労働をしても倒れない強靭な肉体と、どんなにひどいパワハラにも病まない強靭(きょうじん)な精神を持った即戦力しか必要としないマッチョな企業社会とか、そんな企業社会で働く男性の、「みんなで風俗行こう」的なホモソーシャルなノリだとか。なんだか軍隊っぽいけれど、それがもう日常の光景になりすぎているから、いちいち問題にすらならないような……。
「そういう『軍隊ノリ』は、現在も日常の様々なところに引き継がれているように思います。そういうことに疑問を持たないっていうことと、戦時中の性暴力と長らく向き合ってこなかったことには関係があるのかなって。先日、日韓政府間で慰安婦問題の『合意』がありましたが、被害を受けた当事者にとってトラウマは、外から『終わりだよ』って言われて終わるものじゃない。すごく暴力的だなと思いました。あの『合意』は、日常生活の中での性暴力を許容するという姿勢と、すごく結びついている感じがします」
中村さんと話しながら、自分の中でばらばらに存在していた問題意識をつなぐ糸が、少しずつはっきりしてきた気がした。私たちが、そして戦後の日本社会が向き合ってこなかった、見ようとしてこなかったものたち。そんな膨大な70年分の「見て見ぬふりをしてきたものたち」をさらに覆い隠すようにして15年9月に安全保障関連法制は成立し、16年3月29日に施行された。
中村さんは言う。
「今後、自衛隊が海外に派遣された時、戦時中の日本の軍隊とはまた違った問題が出てくるかもしれませんが、やっぱり、自分が大切にしていて自分自身を支えてくれているような価値観を徹底的に破壊しないと、戦争とかできないと思うんですよね。『世界は安全である』とか、『他者は大切にしなければいけない』とか、今まで生きてきた世界を支えていたものを徹底的に破壊しないといけない。そういうことがどんなツケを払うことになるのか、よく考えてほしいですね」
おそらく、誰かが戦場に行く社会は「男らしさ」が至上の価値とされる社会だ。そこでは「女性や徴兵検査で合格基準に達しない者、訓練や私的制裁に耐えられない『女のような男』」(「戦争と男の『ヒステリー』 十五年戦争と日本軍兵士の『男らしさ』」)などは排除され、死を恐れる者、「命を大切に」なんて言う者、「死にたくない」と抵抗する者などはバッシングにさらされるだろう。
「皇軍の将兵には、戦争神経症にかゝるやうな、意志薄弱、そして戦争の現実に対し、恐怖心を起すが如き弱虫が、一人だつて居るはずがない」
この言葉は、自らが戦争で傷を負った兵士のものだ。が、断言するが私は戦争は怖いし、死ぬのも怖いし、何よりも、弱い。そして弱いことが悪いことだとは、ちっとも思っていない。むしろ自分自身の弱さを大切にしているし、人間の弱さに寛容な社会であってほしいと思っている。だけど、「戦争」は弱さを徹底的に嫌うことも知っている。
公的な「戦争の記憶」にはほとんど残らない戦争神経症。そこから今、私たちが学ぶべきことは無数にあるのだ。
次回は7月7日(木)の予定です。
「男らしさ」と戦争神経症(2)
(作家、活動家)
2016/06/02