それにしても、マスコミの予測を上回るほどの自民党の圧勝だった。一般的には事前調査で「自民単独過半数も」などと報じられると「じゃ、私が入れなくても」と投票先を変える、というマイナスのアナウンス効果があることが指摘されているが、今回はそれがプラスに作用した。
なぜなのだろう。おそらく今回の選挙で“反民主”を決めていた人の中には、「自民か、第三極か」と迷った人も少なくなかっただろう。「民主にはもうウンザリ、かと言って自民政治に戻すと、自分まで頭の古い人間と思われそう。本当に世の中を刷新したいなら、第三極を選ぶべきなのだろうが、本当に彼らで大丈夫なのか」などと悩んでいるときに、「自民優勢」と伝えられる。そこで、「なんだ、自民を勝たせるのは、“古いこと”ではなくて“新しいこと”なんだ」と自分を正当化できたような気がして、安心しながら自民党に投票した人がいたのだろう。
自民党に投票する私は多数派なんだ、古い人間でもないんだ、と自分を安心させたい、と記した。まさにいま、私たちを支配しているのはこの「不安をなんとかしてほしい、安心したい」という感情だ。あるいは、「安心できるためなら、多少のリスクもいとわない」と言ってもいいのかもしれない。
たとえば、自民党は政権公約で憲法改正と「国防軍」の保持をうたっている。世論調査ではそれに賛成する声が、反対を上回っているようだ。「本当に日本が軍隊を保持する国になってよいのか」「そのうち徴兵制も始まるのではないか」と不安を述べる声も多く聞かれるが、それよりも「いま中国などが攻めてきたらどうするんだ。それは若干の心配もあるが、やっぱり軍隊は必要だ」と“安心のための軍隊”を認めようとしているのだろう。
また、閣僚の顔ぶれにしてもそうだ。3年前、民主党政権ではじめての組閣が行われたとき、私たちは“見慣れぬ顔”が閣僚を占めることに、若干の不安を超えて大きな期待を抱いた。ところが今では、首相や閣僚経験者などが入閣しても「新鮮さがない」などと批判する人よりも、「やっぱり経験者がやってくれると安心だ」と肯定する人のほうが多い。そもそも総理大臣からして、かつていったん辞任した人が再登板しているわけだが、それに対しても「かつて見た風景だ」と安堵(あんど)の思いを抱いている人が多そうだ。
まずは安心したい。この気持ちがいま、日本の中でピークに達している。実際に「安倍政権でよかった」という安堵感が円安、株高を招いている。しかし、いったんほっとしても、現実がすぐに変わるわけではない。まずはひと安心、の次に待っているものは何なのか。「アベノミクス」と言われる大胆な金融政策や改憲といった、かつて日本が経験してこなかったような事態に私たちは直面して行くことになる。その先にあるものは本当に「さらなる安心」なのだろうか。個人的には私は安心するどころか不安がつのる一方なのだが、これからしっかり政権の行方に目をこらしていきたい、と思っている。