8月末、私たちは日本人の学生らと一緒に、メキシコシティにあるストリートチルドレンのための女子定住施設を訪れ、十数人の少女たちと工作をしたり、食事をしたりした。すると別れ際、住人の一人でホンジュラス人のアリシア(仮名・17)が、はにかみながら、こう挨拶した。
「今日はみなさんから元気をもらいました。ありがとう」
その後、私たちは彼女にインタビューをする機会を得た。施設の一室で同じホンジュラスから来た14歳の少女と二人で待ち受けていた彼女は、自身の経験を自由に話してほしいと告げる私に、身の上話を始めた。
「この施設に来て、まだひと月も経ってないの」
そう微笑むアリシアの人生の記憶は、ホンジュラスの田舎にいた2歳の頃にさかのぼる。彼女には8人のきょうだいがいるが、当時は姉と実母との3人暮らしだった。兄3人は実父と米国へ行ってしまい、結婚しているもう一人の姉は別居していた。下の3人は、後に母親と別の男との間に生まれた。
「母が病気になって、クランデーラ(先住民の伝統的治療を実践する女性)に治してもらいにいったの。2カ月ほど彼女の家に滞在して、治療を受けたわ。完治した時、母が治療費を払うお金がないと言うと、クランデーラは姉と私、どちらかを置いていけばいいと言ったの。母が、“どちらがよろしいですか?”と尋ね、私が選ばれた。まるで商品のように」
他人の家の子どもにされた少女は、そこの家の娘二人のいじめに耐えながら、3年間過ごす。その後、家を飛び出し、姉夫婦の元へ行くが、義兄がお酒に酔うと暴力を振るったため、今度は母方の祖母の家へ。
「祖母はかわいがってくれたけど、7歳になる頃、“申し訳ないが、もう学校に通わせる余裕がない”と言った。私はどうしても学校に行きたかったから、先生に“勉強が続けたい”と訴えると、“住み込みで家事手伝いをするなら、文具も何もかも援助して学校へ通わせてあげる”って」
それからの2年余り、彼女はその女性教師の家で、毎朝4時に起きては鶏小屋の掃除や餌やりをこなし、7時から正午まで学校で勉強して、帰宅するとまた家事に勤しんだ。
「大変だったけど、学校に行けるだけで、幸せだった」
その後も、別の教師の家を転々としながら、住み込みで働き、学校へ通う生活を送った。
「3軒目では、そこの17歳くらいの息子が、私にセクハラ行為をしてきた。先生に言ったけど、信じてもらえなかった。その家では、皆がごちそうを食べている時も、私だけは何ももらえなかった。寝室も与えられず、いつも書斎の机の下で寝てたわ」
人間扱いされない暮らしに疲れ果てた頃、祖母が迎えにくる。10歳になった少女は、祖母と暮らしながら学校へ通い、バナナ売りの叔母の手伝いをして、家計を助けた。そして、何とか中学進学までこぎつける。
マラスから逃れる
「中学には、首都テグシガルパにいる叔母の家から通ったわ。仕立屋をしていた叔母が、学費を援助してくれたの」
ところが、それがマラスとの遭遇のきっかけとなる。通学路にある狭い路地に、マラスの青年たちがたむろしていたからだ。学校内にもマラスメンバーがいた。
「路地を歩いていると、(二大マラスの一つ)「18(ディエシオチョ)」の連中が、“仲間になれよ”と、声をかけてきた。何とか断わり続けていたんだけど、ある時、こう脅された。“おまえの住んでる場所も家族も知ってるぞ。今日は黙って俺たちに付いてきてもらおう”」
ギャング青年たちは、彼女に目隠しをして車に乗せ、アジトに連れていく。木板とトタンで作られた小屋で、大量の武器があり、そこで一人の青年が椅子に手足を縛られ、拷問されていた。アリシアは、その正面に置かれた椅子に座らされる。青年は、18メンバーの恋人を殺害したために捕らえられた、敵対するマラスのメンバーだった。
「彼は、“本当のことを吐かないと殺すぞ”と脅され、“エル・サポ(彼のボスのニックネーム)に命じられただけなんだ”と、泣き叫んでた。エル・サポの居場所を聞かれてたけど、知らない様子だった。でも、18の連中は容赦しなかった」
彼女は恐怖に震えながらも、目をほんの少しだけ開いて、青年の運命を見届けようとする。そして、「知らない」と繰り返すたびに、青年の指が1本ずつ、その次は舌が、ナイフで切り落とされていくのを目撃する。
「最後に腕を切られた瞬間、息絶えてしまった」
淡々とした口調と残酷な事実のギャップが、聞く者の恐怖を増す。
彼女自身は、その日、特に危害は加えられなかったという。だが、彼女の言葉が本当ではない可能性もある。性暴力を振るわれても、被害者は真実を理解されない恐れや羞恥(しゅうち)心から、容易には口にしないからだ。
身の危険を感じ始めたアリシアは、まもなく実母が暮らす農園へ引っ越す。母親は、弟妹と共に、農園主の家政婦として雇われ、敷地内にある家で暮らしていたからだ。そこで弟妹の面倒を見ながら、中学へ通うことにした。ところが、しばらくして、通学路に見覚えのある男が立っていることに気付く。
「テグシガルパで私を脅したマラスのメンバーだったの」
背筋が寒くなるのを覚えた彼女は、すぐに実母の家を出て、姉夫婦の家に移った。ところが、携帯電話に「お前がどこにいるかは、知っている」というメッセージが何度も送られてきた。追い詰められた少女は、わずかなお金を手に町のバスターミナルへ向かい、偶然そこにいた友人(20)に「ギャングに追われているの!」と泣きながら助けを求めた。
「友人はお金を持っていたので、“一緒に行ってあげる”と、私とバスに乗り込んだわ」
移民少女の旅は、いきなり始まる。それから約1週間後、アリシアと友人は、ヒッチハイクと徒歩での移動を繰り返しながら北上し、ついにグアテマラ北西部とメキシコの国境を越えて間もなくの町、テノシーケの「移民の家」にたどり着く。幸い、道中、手を差し伸べてくれた者たちから、暴力を振るわれることはなかったと話す。
「とにかく用心しながら、神を信じて旅を続けたの」
年齢よりも大人びて見える少女は、「移民の家」と子ども移民のための施設に計5カ月近く滞在した末に、今いるNGOの定住施設に落ち着いた。共に旅をした友人は、メキシコに着いて1カ月ほどした頃に、他の移民たちのグループと米国へ向かった。
「今は幸せ! だって、ここでは自分の好きな勉強ができるんですもの」
少女はそうほほ笑み、苦労の連続だった幼少期の影を払いのけるかのように、きっぱりと言う。
「今の夢は、農業技師になること。とにかく大好きな自然の中で働きたい」
約2時間、語り続けた人生は、「農業技師」とは結び付かない世界だ。が、「子どもの頃から、農園で働くことに憧れていた」と言う少女は、本気で大学進学を夢見る。
アリシアの隣でずっと話に耳を傾けていたもう一人の少女は、義姉とその弟、友人の3人と連れ立ってメキシコにたどりついた、という話だった。彼女もアリシア同様、テノシーケで難民申請をして、この施設を紹介された。メキシコまでの道中で、何らかの性暴力被害に遭ったようだが、本人は語ろうとしなかった。「メッシのようなプロサッカー選手になるの」と大真面目に語る表情からは、意志の強さがうかがえる。