「アクティーボ」から「ピエドラ」へ
もうひとつ、この頃からNGOの間で問題視されるようになったことに、「ピエドラ(スペイン語で、石の意)」の登場がある。
「子どもたちの間で、ピエドラの使用がどんどん広がっている」
ある時、友人のストリートエデュケーターが、そんなことを言い始めた。ピエドラとは、コカインのクズを集めてつくられる薬物で、英語圏ではクラックとも呼ばれる。それを小さなガラスパイプに入れて火をつけ、吸う。依存性が高いが、高揚感を味わえることで人気があった。
1990年に取材を始めた頃の路上では、出会う子どもたちのおそらく2割程度しか、何らかの薬物を使っている者はいなかった。大抵は、靴底を貼るのに使われる黄色い接着剤をビニール袋に入れて吸っていた。1998年にフィリピンの首都マニラの路上にいる子どもたちの取材を始めた時、その一部が同じことをしているのを見て、驚いた。それが最も安上がりに、空腹や嫌なことを忘れていい気分になれる方法だったからだろう。メキシコの場合だと、たまにマリファナが加わった。
90年代後半から21世紀の初めの頃になると、日に何度か「アクティーボ」と呼ばれる金属パイプの洗浄液をティッシュに浸し、口元に持っていって口と鼻から吸うことで、酒に酔った時のようないい気分になるのが、子どもたちの日常となっていた。もともとPVCという名で黄色い250ml缶入りで売られていたものを、のちに悪い大人たちがより小さく「手頃なサイズの」プラスチックの容器に分けて、日本円で150円程度の値段で売りはじめた。当時、道端で物乞いをしたり、ちょっとした芸をしたりして稼げば、1日1000円くらいのお金を手にいれるのは簡単だった子どもたちは、それを頻繁に買っていた。1瓶を仲間とシェアしながら使う者もいれば、自分で1瓶管理し、ほしい者には「ティッシュひと浸しでいくら」と、お金をとって販売する者もいた。丸めてアクティーボを浸したティッシュは「モナ」と呼ばれ、時には通りがかりの子どもや若者、大人、警察官の制服を着た者までが、子どもたちからモナを買っていった。使っていれば、シンナーのような独特の臭いですぐにわかった。

1990年代後半になると、メキシコシティの路上に生きる少年少女たちの大半が、「アクティーボ(中央の少女が手にしている黄色い缶)をティッシュに浸して吸っていた。撮影:篠田有史
当時、街のど真ん中、旧市街の公園や広場、モニュメント、廃屋、マンホールなど、あらゆる場所に数人から数十人で集まって暮らしていた少年少女のことは、警察はもちろん、日常的に近くを通りかかる誰もが認識していた。だからと言って、彼らを咎めたり、追い払ったり、強制的に排除しようとする者はほとんどいなかった。その存在は、街の風景の一部と化し、彼らに何らかの関わりを求める者は、容易にそうすることができた。そのせいで、子どもたちは数々の犯罪に巻き込まれていくことになる。
犯罪組織の気配
接着剤にせよ、アクティーボにせよ、ピエドラにせよ、子どもたちが使う理由は同じだったが、その使用がもたらす結果には、大きな違いがあった。特にピエドラが広がりはじめたことは、子どもたちの未来を完全に奪いかねない危険を示唆していた。依存性が高いからだ。しかもそれを売っているのは、末端の麻薬密売人。犯罪組織とのつながりが疑われた。
私たちが路上の友人たちを訪ねてよく足を運ぶ場所のひとつは、そういう密売人がいることで有名なテピートという地域のすぐそばだった。そこは、昔から衣料やスニーカなどのコピー商品や海賊版DVD、文具、日用品など、あらゆるものを激安価格で売る露店や店舗が連なる地域だ。そこには貧困層の暮らす長屋のようなアパートなども存在する。そうしたアパートの一室やごく普通の店の奥で、ピエドラは売られていた。子どもたちは、そんな危険な場所のすぐ近くで暮らしているのだ。ちなみに現地の日本大使館は、「テピートには行かないように」と、メキシコシティで生活する日本人に伝えている。だが、路上の友人たちを訪ねるなら、そこは避けられない地域だ。

露店街で有名な地域、テピート。ここでは、中にお菓子を入れて叩き割って楽しむパーティ用のピニャータ(手前の紙製の人形)や衣料、日用雑貨など、何でも安く手に入る。(1993年)撮影:篠田有史
ピエドラは、アクティーボに比べると値段が高かったが、ガラスパイプを使って煙を吸うと幸せな気分になり、自分は何でもできるような錯覚に陥るため、使いはじめると依存してしまう子どもが続出した。続けて使っているとハイな状態が保てるといい、その代わりに食欲はなくなるため、使用者は目に見えて痩せていった。それがピエドラに依存していることを知らせるサインだった。そうした変化を観察していないと、吸っている現場を目撃しない限り、ピエドラ使用に気づくのは時に難しかった。アクティーボと異なり、臭いはしないからだ。
よく知る少年たちも、この魔の薬物に一時ハマっていた。だが、お金がかかるのと、明らかに痩せていく自分の異常さに気づいたのか、ある時からまたアクティーボ中心の薬物使用に戻った。それがいいとは言えないわけだが、少なくとも本格的な麻薬犯罪組織に取り込まれる危険を少しは避けられたとは言えるかもしれない。ただ、アクティーボの使用は続き、しかもその販売を子どもたち自身に担わせる大人も現れる。
「10本売れば、1本タダでもらえるんだ」
アクティーボを常用する少年少女たちは、大きなビニール袋に入った大量のアクティーボの小瓶を見せながら、そう教えてくれた。その商売を子どもたちに広めているのは、テピートを拠点としている密売人らしかった。レギュラーユーザーが販売も担当することで、効率よく売れる。そんな損得勘定がうかがえた。