喫茶店らしきものは見つからなかったので、ダイニングカフェのようなところに入った。コーヒーとティラミスだったか、アップルパイだったかを頼んだ。自分が入った時は2人組の先客しかいなかったが、次から次へとお客さんが入ってきて、あっという間に満席になった。周りにコーヒーを飲める店がないのだろう。ありがたかった。
店を出て宿に行き、チェックインを済ませる。それから会場に行くと、店の入り口で人が待っていてくれた。挨拶すると、こちらです、と言って地下に案内された。店に入ると、たくさんのスタッフがいて、きらびやかな店内。昭和の良き時代のベルベットな雰囲気。キャバレーとか、ダンスホールとか、そういう雰囲気をまとった、2024年に出来たばかりの店。ちょっと信じられなかった。こぢんまりとしているが、上品な空気が漂う。誘ってくれた店主に挨拶し、さっそくリハ。OK。控え室は4軒隣にある店主のもうひとつの店、南インド料理の店へ。
荷物を置いて街を少し歩いた。知らない街を歩くのは好きだが、日立は少しむずかしい感じがした。街の中心地にあったデパートは閉店し、銀座通りという名前の商店街も、閉まっている店が多かった。それでもやっている店は元気に営業していて、少し離れたところで見つけた古本屋ではおじいさんから色々な話を聞くことができた。
日立、という街がどういう街か、まったく調べないで来たので、おじいさんの話はぜんぶがありがたかった。50年ここで古本屋を営んでいるらしく、それこそ日立をずっと見てこられた。元々は鉱山の街で、それで栄えた街。その関連で日立製作所という会社が出来て、さらに栄えていった。一時期はものすごい数の人が住んでいて、お店もたくさんあった。だいぶさみしくなった、と言っていた。お店には日立や茨城関係の本がたくさん置いてあった。鉱山の写真が載っている写真集をぱらぱらめくって見せてくれた。鉱山が閉山し、人も減って、お店もどんどんやめていった。ただ建物が残っているので、なんとなくさみしい感じがするのかもしれない。外からふらっとやってきた一見に、街の歴史のことなんて分かるわけないだろうけど、街の「声」は少し聞こえる。茨城のうた、という歌本を買って、店を出た。
古本屋
おじいさんの話を聞いた後だと、街の様子も少し違って見える。くねーっとした道、これはもしかしたら鉱山へつながる線路だったんじゃないだろうか。あとでライブハウスの店主に尋ねると、そうですね、と教えてくれた。街に着いたばかりの頃は、茶店が見つからない、とブーブー言っていたが、この街は自分にとって重要な気がする、と気分が変わっていた。
控え室に戻って準備をし、迎えにきてくれたスタッフの方と会場に向かった。外に出ると、冬のピーク、強く冷たい風が、全身にぶち当たる。小走りで会場へ。地下に降り、少しここでお待ちくださいと言われる。中で店主が前説をしてくれていた。ようく見ると、黒のスーツ上下、白いシャツに黒の蝶ネクタイ。スタッフの方もみんな揃えている。ニクい演出。促され中に入ると大きな拍手歓声。お客さんもこの会場があたらしく生まれたことを祝福しているような感じがした。
ライブは『営業中』というニューアルバムのツアーなので、その曲を中心に。あとはお客さん、店主、スタッフの方のリクエストなどを交えて2時間。やり切った。「営業中」という曲には、まっ赤な営業中の幟(のぼり)旗を見てたら元気が出てきた、という意味合いの歌詞がある。自分は店をやったことがないので、店をやることの重さ、軽さ、はまったく分からないけど、ひとつの店が街に誕生することは、特にこの日立のような街にとっては、重要なことなのではないだろうか、と勝手に想像する。「カルチャー」とか「文化」という言葉は自分にはうまく扱えないけど、自分にとっては、熱が生まれる場所が出来たのは確か。住んでいないので偉そうなことは言えないが、旅の人間が言っても差し支えないだろう。
打ち上げで美味しいものをいただきながら、しかし、次の日は街ブラしてもむずかしそうだなとぼんやり考えていた。街を一望できたら面白そうだけど、山の方の遊園地まで行かないと見られないかな、と教えてもらったり。自転車だったら行ける、いや、けっこう遠いよ、など。時計を見ると、夜中の2時半を回っていた……。
つづく
あたらしく出来たライブハウス