冬の親子
小さい子供とお父さんが、歩いていた。ただそれだけの光景に、思わず写真を撮ってしまったのは、絵になっていたから。雪があり、もこもこの服に包まれた幼子。その手を引いて、歩く父親。午後2時半。日曜日。昼ごはんを食べて、散歩に出かけたのかもしれない。買い物を頼まれて、一緒に行こうか、と外に出たのかもしれない。
前日土曜日の最高気温は2.9度。最低気温はマイナス4.9度。喫茶店で撮った新聞の写メに記録が残っていた。夜、雪が降って、積もった。その時自分はライブをしていた。
盛岡に来るなら真冬がいいと思います。真冬にぜひ来てください。
そう提案されて、ライブツアーの盛岡公演は、寒さの厳しい時期に決めた。2月22日。どんな風景が待っているのだろうとワクワクした。
盛岡に着くと雪は降っていなかった。迎えに来てくれた主催者の車に乗り込み宿へ。チェックインを済ませ、歩いて会場へと向かった。途中古い洋館があり、かつての銀行だと教えてもらう。橋を渡る時、ここがあの有名な「空に吸われし十五の心」ですよ、と言われたが、ピンと来ず、あとで石川啄木の短歌だということが分かった。
会場へはすぐに着いた。わんこそばの有名店の隣だった。隣だった、というか、その蕎麦屋の若旦那が作った別の店、だった。軽くリハを済ませ、隣の立派な控え室で蕎麦をいただいた。蕎麦好きの自分にとってはこれ以上ない、ありがたい賄い飯だった。その後お茶もいただいたが、ライブ前は1人で街でプラプラしたいので、ささっと飲み、街へ出させてもらった。
近くにアーケードがあり、少し歩いた。少し歩いただけで喫茶店を2軒見つけた。どちらにするか。会場に近い、未完成という店に入った。
先客が1人、いた。入り口に近いテーブル席で雑誌を読んでいた。紅茶を飲んでいた。自分は一番奥の席に座り、新聞を読み始めた。するとその婦人がすっと立ち、厨房に入っていった。従業員だったのか。その婦人がコーヒーを運んできた。新聞をパラパラめくりながら、アーケード街を眺めた。
外へ出るとすっかり暗くなり、気温がぐんと下がっていた。雪は降っていなかったが、冷える。控え室に戻り、着替え始めた。
ライブの前、夕景
時間になりライブが始まった。盛岡でのライブは3年ぶり。新譜『営業中』の曲中心に、汗をかきながら燃え尽きた。控え室へは裏から出て一旦外を移動するので、ドアを開けた瞬間、雪が舞っているのが見えた。お客さんからも見えたと思う。このままドアを開けて、雪を見ながらアンコールも良いなと思ったが、寒い寒いという反応だったので、やめにした。そりゃそうだ、暑くなっているのは演奏しているこちら側だけなのだから……。
無事アンコールも終わり、片付け、移動し、打ち上げへ。途中タクシーの車窓から見えた、石垣。雪で覆われ始めた城壁の石垣が、非常に色気あるものに見えた。
飲み屋に着いた。前にも連れてきてもらったことがある店だった。10年前の自分のサインが飾ってあった。こんな無名の人間の色紙を飾ってくれているなんて……。なんとも申し訳ない気持ちになる。自分の顔のイラストも描いてあったが、髪の量が多かった。新しい色紙を主催さんから渡されたので、髪の少なくなったイラストを添えてサインを書いた。誰も知らない人間のサインをすいません、という気持ちだ。
外へ出るとすっかり雪景色で、2軒目へ移動。古い味のあるスナック。ママが接客し、マスターは無言で、黙々と酒を作っていた。何も頼んでないのにシェイカーを振って、そのままシェイカーと小さなグラスをいくつか持って来て、そのグラスに順番に酒を注いだ。壁にはマスターの手書きのメッセージが書かれた紙がいくつも貼られていた。筆のようなもので書かれていて、それはメッセージというよりは格言に近かった。
会うと
やたらとやりたがる
くせに前戯は
おざなりで猿みたいだ
活字にするとそこまで迫力が出ないのだが、その筆文字、書体が合わさると、伝わってくるものがある。その他にも「作品」は色々あったが、一番グッときたのは、
今年も
よろしく
マスター
とだけ書かれた1枚。これ以上のメッセージはないだろうと思えた。スナックにしては広く、いつかここでライブがしたいなという気持ちになった。