控え室に案内してもらい、準備していると、Kさんが紙切れを見せてくれた。「ルビアン」という歌の歌詞が書かれた紙で、初めて弘前でライブをした時に、待ち時間に入った茶店で書いたものだ。会場に戻り楽屋で曲を付け本番で歌った。すっかりなくしたと思っていたが、Kさんが保管してくれていた。手書きの字は汚く、日付を見ると2010年3月とある。もう15年も前のものだ。あの頃ルビアンという喫茶店は深夜、いや、朝方までやっていたように思う。午前4時くらいまで営業していたのではないか。せっかくだからこれをライブで歌ってみよう。曲はなんとなく思い出せる。
「ルビアン」。15年前の手書き歌詞
サイン風の名前も、「弘前にて!!」の文字も、生意気な感じがして恥ずかしい。この時は31歳。今は46歳。15年でずいぶん変わった気がする。昔は遠くを、先ばかりを見ていた。今は「現在地」という感じがする。これが人生、と呟けば、ふっと消えてしまいそうな軽さを伴い。このままいけばどんどん軽くなり、ふわっと浮き上がれるのではないだろうか。その時が、ゴール、なのだろうか。拡大コピーして持ってきてくれた紙を、歌詞ファイルに入れた。
本番まで少し時間があったので周辺を歩いた。美術館の広場の前の踏切を渡り少し歩くと、歓楽街があった。まだ明かりはついていなかったが、夜にはネオンで色づくのだろう。戻るとカフェの営業が終わりに近づいていた。機材を運び入れさっと音響チェック。天井が高く、自然な響きがする。カフェのカウンターの裏には大きなタンクがあり、ここでシードルを造っているとのこと。りんごの酒。その字面だけで、響きだけで、もう酔ってしまいそうだ。
ライブでは青森を意識して、セットリストを組んだ。青森出身の映画監督、川島雄三。彼の映画が好きで一時期よく観ていた。『喜劇 とんかつ一代』という映画のエンディングで森繁久彌が歌う「とんかつの唄」それを歌った。いい歌なのだ。
今回は『営業中』という新しいアルバムのツアーなので、もちろんアルバムの曲を中心に歌った。その中でも「マイ・フォーション」という歌には特別な思いがあった。
「マイ・フォーション」という歌は青森で作った。この連載の初回が弘前で、2回目が青森市内。その2回目に登場する「フォーション」という喫茶店が、歌の舞台だ。
雨の中歩いて商店街の中にポツンとその喫茶店はあった。客は自分ひとりだった。まだ朝早かった。モーニングを頼んだ。窓側の席に座り、雨の外を眺めた。車が走った。水しぶきが上がった。視線を店内に戻すと、ママがカウンターでうたた寝をしていた。いい時間だった。ノートにその光景を書いた。旅から戻りしばらくして、曲をつけた。
こうして誕生した「マイ・フォーション」は新しいアルバム『営業中』に入った。しかし、それを携えてラジオ局に行った折、フォーションが閉店していることを知る。アナウンサーは青森出身だった。その店知らないですね、と言って携帯で調べた。すると、地図上で「閉業中」となっていたのだ。マジですか、と思わず声に出してしまった。2022年の6月にお店に行き、2024年7月にはアルバムを出している。その間に閉店してしまったのか。至極残念に思った。
アルバムのツアーで青森を訪れ、CDを渡そうと思っていた。それが叶わなくなった。
そんなことをMCでポツポツ喋りながらのライブ。自分が歌にすると、店がなくなったりする。このツアーでよく喋ったことだが、もうそういうことを言うのもはばかられる。ただ風景を、情景を描くだけ。歌うだけ。
アンコール含め、2時間のライブは終わった。美術館のスタッフ総出で、急いで片付けをしてくれて、イベントは終わった。荷物を宿に運び、数人で飲みに出た。1軒目を出ると、急に冷え込んだ。それを予測してダウンのベストをリュックに入れておいた。コンビニに駆け込み、パーカーの下に着込む。もう少しだけ飲みたかった。付き合ってもらい2軒目を探し歩いた。いい感じの古い飲み屋があり、ママが少し顔を出したのか、客を送り出したのか、目が合った。いいですか、いいよ。パッと決まった。カウンターだけの飲み屋で、一列に並んだ。ママは豪快なキャラで、苦労話を沢山してくれた。明るく。途中いきなり服を脱ぎ出しそうになり、皆で止めた。なんだか強烈な店だったが、話を聞くと、ママは今日で仕事を引退するとのこと。隣で手伝っていた女性に店を譲るらしい。皆で「お疲れ様」と言ったのか、覚えていないが、ママが言ったセリフは、少しノートに書いた。酔っ払っていたので、なんてことないことが名言に聞こえたりしたかもしれないが。いつかノートを引っ張り出して見てみよう。いや、きっと、歌になるんだと思う。うたた寝していても、豪快に苦労話をしても、歌うように生きている、街の中では、みんなきっとそうだから。
街