「シミエン国立公園」の断崖絶壁の前に立つ少年
「アフリカの天井」と呼ばれるエチオピア北部の世界遺産「シミエン国立公園」を旅した。
太古の地殻変動などによって隆起した4000メートル級の断崖絶壁が続く高原地帯は、その厳しい自然環境によって守られた、希少な野生動植物が息づく「楽園」としても知られている。
2015年6月、国立公園の入り口にあたる標高約2600メートルのデバーク村から四輪駆動車で約2時間半かけて標高約3600メートルのチェネック村に到着すると、落差数百メートルの断崖絶壁が足元に広がり、崖下から吹き上げてくる風にウインドブレーカーが巻き上げられた。
崖の上には広大な草原が広がっており、エチオピア周辺の高地だけに生息するというゲラダヒヒが穏やかに草をはんでいた。ガイドによると、彼らは夜は絶壁のくぼ地で眠り、朝になると崖をよじ登って崖の上の草を食べるのだという。
「彼らは大昔にこの高地に逃れてきた。切り立った崖が外敵から彼らを守ってきたんだ」
人間が近寄っても、ゲラダヒヒは逃げようとしない。恐怖とはやはり、経験や記憶が呼び起こすものなのだろうか。
そんな固有種たちの「楽園」が長らく存亡の危機に晒されているという。
原因は国立公園内の農牧地化らしい。法律で禁じられているにもかかわらず、公園内の草地を耕して農地にしたり、馬や羊を放牧したりする原住民たちが後を絶たないというのだ。
エチオピアの野生動物保護機構によると、農牧地化は公園が世界自然遺産に登録された直後の1980年代から90年代にかけて急速に進んだ。90年代前半まで続いたエリトリア独立戦争などの影響で、公園の周辺地域に多くの難民が流入し、公園内で生活を営むようになった。すでに農牧地化で公園内の森の約8割が失われてしまっている。
政府は住民たちの法律違反を原因に挙げるが、本当のところはどうなのだろう?
公園内で羊の放牧を長年続けている古老アルベル・ミギルに意見を聞くと、首を振りながら不満を漏らした。
「高原を荒らしているのは、俺たちじゃない。『世界遺産』だと言ってこの地を観光地化し、金儲けを企んでいるヨーロッパ人や都会の役人たちだよ」
エチオピア政府は近年、国立公園の保護対策として観光産業の育成に力を注いでいる。世界有数の壮大な風景を資源として、公園内で農牧する人たちを観光の仕事に誘導することで、自然破壊を食い止めようという狙いだ。公園内にキャンプ場などを造り、2000年には約1300人だった観光客が、2013年には約2万人へと爆発的に増加している。観光客がもたらす地域への収益も2004年の約440万円から2010年の約2000万円へと4倍以上に増えており、地元住民が観光業に魅力を感じやすい環境が生まれつつある。
でも、政府が進める観光地化で、本当にこの美しい自然を守れるのだろうか?
デバーク村の古びた公園施設を見て回っていると、入域登録カウンターの上の棚にどこかで見たような色あせた顔写真が掲げられていた。
説明書きを読むと「初代公園長、Clive William Nicol」と記されている。
あっ、と私は思わず声を上げてしまった。
Clive William Nicol――日本でも作家やナチュラリストとして著名なC・W・ニコルだ。
私は電話がつながるという村の中心部のカフェに移動し、かつて長野県の黒姫高原で取材したことのあるニコルに国際電話をかけてみた。
「実はそうなんだ」と電話口に出た75歳の自然派作家は懐かしそうに言った。「若い頃、シミエン高原にいたことがあるんだよ」
ニコルによると、公園施設の説明書き通り、彼は1967年から2年間、シミエン公園の初代公園長としてこの高原地帯で勤務していた。
「それまではカナダで調査捕鯨船に乗り込んだり、イヌイットと一緒にアザラシの観察をしていたりしていたんだけれど、ある日、知り合いから『アフリカで公園長になってみないか』と誘われてね。当時はまだ公園内に道なんてなくて、馬やロバに乗って公園内を見回りながら、1年のほとんどをテントで寝泊まりしながら暮らしたんだ。夜になると、あちこちでよく山賊が出てね。治安が悪かった。銃を持って彼らと派手に闘ったこともあったよ」
後日調べてみると、彼は1972年に『From the Roof of Africa』(アフリカの天井から=未邦訳)という本まで書いている。私はシミエン国立公園の実情をおそらく日本で最もよく知るニコルに、当時と今の公園内の自然環境の変遷について尋ねてみた。
「当時はいわば未開の地だったからね、今では想像もつかないくらいに公園内には素晴らしい自然がそのままの状態で残されていた。『アフリカの天井』には見たこともない草木や花があふれ、日本語で言う、そう、まるで『桃源郷』のようなところだったよ。実は昨年、45年ぶりにシミエンを訪れたんだけれど、森がほとんど失われてしまっていてね、かつて見た美しい草花も消えていた。最大の原因はやはり家畜で、草や木の芽が根こそぎ食べられてしまっている。それは間違いのない事実だ」
私は聞いた。「やはり、観光業に移行するべきなのでしょうか?」
「どうだろう」とニコルは言った。「自然環境を保護するために、現地の人々が生活スタイルを変えていくのは重要なことだと思う。観光業はその一つになり得るのかもしれない。でも、それはあくまでも一般論だ」
彼はそこで意図的に話を区切った。
「そこから先はきっと、私がコメントすべきことじゃない。だって今、君はシミエンにいるんだろう? ならば、君が感じて、考えたことを、君の言葉で伝えればいい。なんでも専門家に話を聞いて、それを他人事のように書いて伝えるのは、日本の新聞記者の悪い習性だよ。目の前で偉大な自然が失われていく。ドルやユーロを財布に詰め込んだ白人の観光客たちが、粗悪な写真がプリントされたTシャツを着て、カフェでピザをビールで流し込みながら下品な笑い声を立てている。そんなシミエンを、現地の人たちは果たして望んでいるのかい? 自分の目で見た光景を、自分の知識と感情に照らし合わせながら、自分の内側からわき出た言葉で伝える。それが君の仕事だ。そして新しい『From the Roof of Africa』だ」
(2015年6月)