フレンドリーな人々との交流
ガザは人々に溶け込むのには時間がかからない場所だった。私は「国境なき医師団」が運営する二つのクリニックの看護師長を務めながら、多くの人々と交流した。昼に日替わりで立ち寄るいくつかのサンドウィッチ屋さんや、夕方に立ち寄るスーパーでも知り合いがたくさんできた。ここではただ道を歩くだけで簡単におしゃべりする相手が見つかる。すれ違うみんなが話しかけてくるからだ。内容はたわいのないものである。
「どこから来たの?」
「名前は?」
「ガザで何をしているの?」
向こうも英語を話してくれたし、私も勉強中のアラビア語を使えるのが嬉しかった。なんてフレンドリーな人々なのだろうとはじめは思っていた。
ただし、この時の私には、笑顔の奥で流れ続けているガザの人々の血と涙が見えていなかった。滞在するうちに、彼らはただ単にフレンドリーなわけではないということが少しずつわかってきた。
紛争中のシリアで活動していた時、人々が挨拶がわりに「今日はどこそこに戦闘機が現れたらしい」と言葉を交わすのを何度も耳にした。ガザはシリアに比べ、一見平和に思えたが、人々の挨拶がわりの一言は「次の戦争がいつごろ始まるらしい」というもの。戦争がすぐそばにあることは、シリアもガザもほとんど変わらなかった。
ガザではみんながギリギリのところで負の感情をせき止めていた。封鎖され、「塀」の向こうに出ることができない彼らは、「外界との繋がり」を渇望していたのだ。外からやってくる人間がいれば飛びつき、私たちと話すことで、彼らにとっての外界への「出入口」を見出そうとしていたのだろう。
ガザに「ハマム」があるなんて!
到着してまだ2週間も経たない頃、フランス人の女性スタッフから「ハマム」に行こうと誘われ、耳を疑った。まさか、ガザにハマムがあるのか。私の胸は高鳴った。ハマムとは、蒸気風呂を備えた中東の伝統的な公衆浴場だ。身体を清潔にするだけが目的ではなく、女性たちにとっては貴重な社交の場、憩いの場だと聞いていた。古代ローマが起源で、オスマン帝国時代に中東地域のイスラム社会全体にこの風習が伝わったという。
「ハマム」という、エキゾチックな響きに心は躍った。人生初のハマムをガザで体験できるとは、思ってもみないことであった。
半信半疑で実際に出向いてみた。すると、そのハマムは聞いていた通りの伝統的な造りで、地下空間に存在した。建物の中には教会やモスクを思わせる厳かな雰囲気を放つ巨大な空間が広がっている。天井を見上げながら「ここは空爆で壊されなかったんだな」という思いを抱いた。
番台で貴重品を預け、案内された方向の狭い通路を抜けていくと、大きな脱衣所にたどりついた。
私がそこで見た光景は、圧巻だった。30人はいただろうか。女性たちが腰布を纏っただけの姿で、真ん中に設けられた大きく長いベンチにひしめきあって腰かけ、おしゃべりに精を出していた。中には果物を分け合って一緒に食べているグループもある。マッサージを施されている女性もいる。熱気に溢れた、壮大で、エキゾチックな光景だった。
脱衣所の壁にはロッカーと、洋服がかけられるフックが一面にしつらえられていた。ここで私たちも衣服を脱ぎ、腰布を纏った。
いよいよ、浴場に入る。心地の良い蒸気が身体を包んできた。中はドーム状になっていて天井が高く、窓はなかった。壁には掛け湯用の蛇口がいくつも備えつけられていて、蛇口の下にはお湯が溜められる大きな洗面台がある。女性たちは洗面台の周りを何人かで陣取り、それぞれお気に入りの石鹸やシャンプーを使って身体や頭を綺麗に洗っていた。
普段から路上やスーパーなどで地元の人々に話しかけられることに慣れていたので、私たちがここの女性たちの注目の的になったのは想定内のことだった。