本連載の書籍化が決定しました! 発売は2022年春頃を予定しています。ご期待ください。(編集部)
パレスチナ自治区ガザ地区
この広い地球上に、「世界一大きな監獄」「天井のない監獄」と呼ばれ、194万人もの人々が完全に閉じ込められている場所があることをご存じだろうか?
2018年5月14日、イスラエル建国70年に合わせて在イスラエルのアメリカ大使館がテルアビブからエルサレムに移転した。このニュースは日本でも大々的に取り上げられ、きっと誰もが耳にしただろう。
これに対し、東エルサレムを将来の独立国家の首都と想定しているパレスチナ人たちが猛反発を始めた。特にガザ地区では、7月に入った現在もいまだに収まる様子のないパレスチナ人の抗議デモ隊と、イスラエル軍との間で衝突が起き、多くの死傷者を出している。死者の中には、ボランティアで負傷者の治療にあたっていたパレスチナ人の女性看護師がいる。彼女は「私には助ける義務がある」「私は白衣に守られている」と両親に告げ、救出に出かけたという。イスラエル兵に背中から胸を撃たれた時、彼女はその白衣を着ていた。
私は15年から16年にかけ、4カ月の医療支援のためにこのガザ地区に入った。福岡市ほどの広さを持つガザ地区は、地中海に面した海岸を含めて周囲をイスラエルに完全に封鎖されている。海中にはダイバー部隊がいるために、住人は泳いで逃げ出すことも不可能だ。上空には、その存在を見せつけるかのように、常に戦闘機が飛んでいる。そして、そこに閉じ込められている住人たちは、イスラエルによって戸籍のようなものを徹底的に管理され、治療目的など、よほどの特別な理由がない限り、一生その場所から出ることができない。
この「パレスチナ問題」、あるいは「中東和平問題」を、根本から理解することは容易ではない。何千年も遡り、この間に積み重ねられてきた歴史を振り返らなくてはならない。
ここではただ、「パレスチナ自治区ガザ地区は194万人のパレスチナ人が閉じ込められている場所なのだ」ということだけを知ってもらえればと思う。今回は、この現場で見てきた人々の姿を伝えたい。
ガザのイメージと現実
2010年より「国境なき医師団」の手術室看護師として働く私は、シリアやイエメン、南スーダンなど、いくつもの紛争国や地域で過酷な現状を目の当たりにしてきた。その多くは紛争の暴力によって血を流している人々の姿だった。彼らは腕や足がもげていたり、爆弾の破片が全身に突き刺さっていたりするような状態で運ばれてくる。これが紛争地で医療活動をする際の日常だった。
しかし、15年、初めてガザに足を踏み入れた際、そこにはそのような人々はいなかった。
その前年のガザ侵攻は戦争そのものだった。侵攻中は51日間にわたってイスラエルによる大規模な空爆が続き、パレスチナ側は2000人以上が命を落とし、1万人以上の負傷者が出た。全半壊した家屋は約1万8000戸に達し、電気・ガス・上下水道などのインフラが破壊され、農地もまた徹底的にダメージを受けた。この時、「国境なき医師団」のチームも緊急医療援助に入った。現地に派遣されていた友人の医師からは、激しい空爆にさらされている、というメッセージが届いた。
しかし侵攻が終わって1年が経過した後では、血だらけの子どもを抱きかかえて逃げまどう人々や、瓦礫の前で泣き叫ぶ人々の姿はすでになかった。私が事前に抱いていた「世界一大きな監獄」に対するイメージも打ち砕かれた。ガザの中心部には店が立ち並び、人々が笑顔を見せながら自由に歩き、買い物をしている。カフェやアイスクリームショップでくつろぐ姿もあった。正直に言うと拍子抜けした。