私は少し心がつらくなり、あえて話題を逸らすように聞いた。
「そういえば、今度東京にオリンピックが来るじゃないですか」
「うん」
「どう思いますか。世間では『復興五輪』って呼ばれているみたいだし」
「そうだねえ」と木村さんはちょっと声のトーンを落として言った。「俺には『復興』はないからね。家族も地域も、もう戻っては来ない……。でも、正直に言うとね。俺、オリンピック、ちょっと楽しみなんだよね。できれば、東京に行って見てみたい」
中学、高校と陸上の中長距離走の選手だった木村さんはかつて、世界陸上の会場に9日間連続で通ったことのある、オリンピックを楽しみにしている福島県人の一人だ。
「すごいからね。できれば、陸上競技を見たいんだけれどなあ」
吹き上げてくる海風の中で木村さんが笑う。津波に洗われて基礎だけが残った自宅跡に腰掛けて、2人で簡易バーナーで湯を沸かし、カップラーメンを食べた。
眼下に広がる太平洋は宇多田ヒカルの歌詞のように凪いではいない。岩に打ち砕かれた潮風がわずか4キロしか離れていない東京電力福島第一原発からの砂塵もろとも吹きつけてくる。
この場所は今、環境省が定める汚染土の中間貯蔵施設の予定地になっている。原発を取り囲む約1600ヘクタールの敷地内に、計約1400万立方メートルもの放射能汚染土などが運び込まれる。木村さんは土地の売却を拒んでいるが、汐凪ちゃんの遺体の一部が見つかった海辺も、家族で遊んだ野原も、このままだとやがて中間貯蔵施設へと姿を変える。
「そうはさせないさ」と木村さんは立ちのぼるカップラーメンの湯気の中で私に言った。「俺は自分のやるべきことをやらなきゃ。汐凪のためにも、舞雪のためにも」
私たちは今、そんなふうにして「復興五輪」の現場を生き抜いている。
(この連載では朝日新聞記者である筆者が、移り住んだ福島県南相馬市での生活や、朝日新聞紙上で発表した記事などをもとに、オリンピックを迎え、移ろいゆく原発被災地の様子をエッセー形式で綴ります。月1回の掲載予定です)
本連載「『復興五輪』の現場」は、大幅に加筆修正し、『白い土地 ルポ福島「帰還困難区域」とその周辺』(集英社クリエイティブ)として刊行されました。書籍はこちら!