性売買がより身近になった2024年
年が改まり2025年となった。思えば昨年も、すさまじい勢いで少女たちを取り巻く状況が悪化した1年だった。コロナ禍以降、少女や女性たちの貧困が深刻化するとともに、性売買業者の動きも活発化し、この数年間で性売買はより女性たちにとって身近なものとなっている。20年にはお笑い芸人がラジオ番組の中で「コロナが収束したら美人さんが風俗嬢をやります」「なぜなら短時間でお金を稼がないと苦しいから」というような内容の発言をして批判されたが、以降の日本の若年女性を取り巻く環境は、このお笑い芸人の予想以上に深刻化している。
世界屈指の性売買スポットとして知られるようになった東京都新宿区の大久保公園周辺や、家出少女の集まる「トー横」(新宿東宝ビル横の広場)等、新宿・歌舞伎町に集まる少女たちの低年齢化が進み、私たちが活動を通して出会う中にも12~14歳くらいの年齢の少女たちが増えている。そして、彼女たちにとって身体を売って宿や生活費を確保するのは当然のこととなっている。
しかし、性売買は少女の中でだけ広がっているのではなく、大久保公園周辺では幅広い年齢の女性たちが身体を売っている。10代や20代が中心だが、50代以上の女性たちも増えている。これまで性売買に関わる少女や女性たちは、虐待から逃れるために家を出た先で性搾取の被害に遭ってきた人が多かった。が、コロナ禍以降は、家族との関係は良好でも、生活が苦しく、学費や生活費のために身体を売っている学生や、会社員としての収入だけでは生活できないという女性、生活が困窮した中年女性が性売買することが増えた。そのことが性売買のそばにいる少女たちに与える影響も大きい。
平気そうに振る舞う子どもたち
コロナ前、Colabo(コラボ)とつながる少女たちの中には、性売買せざるを得ない状況に置かれていることに「なんで私だけこんな思いをしなければならないのだろう」「なんで友達が学校に行ったりカフェでお茶している間に自分はおじさんと性行為をしなければならないのか」「こんな生活は本当はしたくない。自分の家、暮らせる場所が欲しい」と涙を流す人が多くいた。彼女たちの多くは10代後半だった。
しかし、それから数年が経ち、性売買が女性たちにとってより身近なものとなった今、中学生以下の年齢で性売買を始めた少女たちの多くは、そのように思うことすらできない状況にある。親が頼りにならなかったり、生活が苦しかったりする時に身体を売るのは当たり前になっていて、「周りもみんなやっている」という状況があるので、「なんで私だけ」と思うこともない。
そこには深い諦めがあり、自分がそういう生活をしなければならないのも仕方ないこと、というより当然のことなんだと思わされている人が多い。他に選択肢も用意されていない中で、そうすることを自分で選んだと思わされている子がものすごく増えている。「うち、今の生活に困ってないよ」「私にできること、このくらいしかないし」「みんなもやってるし」と、彼女たちは「平気」そうに話す。
だけど、彼女たちが傷ついていないわけではない。腕はリストカットの傷あとだらけ、自殺未遂を繰り返し、死にたい気持ちを抱えながら、こんな社会や大人への諦めのその先を生きている。「こんなこと何でもない」というように振る舞うことで、自分を保とうとしている。自分の痛みに気づかないふりをしていないといられないほどの状況なのだ。
性売買が身近になった理由について
どうしてこれだけ性売買が身近なものになったのか。それは、女性や子どもたちのせいではない。女性たちを性売買に誘導する社会の構造から目を背け、経済的支援や生活支援を含めた脱性売買支援を行わない政治や行政、少女や女性たちに責任があるかのように「援助交際」「売春問題」「立ちんぼ問題」などという差別的表現を平然と使って問題を覆い隠してきたメディア、それらに疑問を抱くこともなく受け入れてきた市民の意識が下支えしてきたからだ。
先日、ホストクラブのがさ入れ(捜索差押)で、ホスト向けに店が作成したマニュアルが見つかったと報じられた。そこには、日中は会社員や学生をしていて夜の街に慣れていない女性たちをいかに取り込み、「彼氏」になる(ふりをする)ことで女性をはめ、多額の金を巻き上げるため消費者金融や風俗店、売春へと斡旋していく手口がまとめられていたそうだ。こうした手口は十数年にわたって続いてきたが、問題とされてこなかった。
そしてコロナ禍以降、業者が「一般」の女性を狙う手口は成功し、性売買を一般化することに成功した。それによって多くの「一般男性」たちが買春という利益を享受し、その経験を共有している。
今、ホストや性搾取の問題が注目されつつあるのは、性売買がこれまでのような頼れる家族がおらず、学歴もなく、児童福祉や教育からもこぼれ落ちた女性だけでなく、「一般」の女性たちにも広がってきたためだ。被害女性の親や家族が自分ごととして、「うちの娘がそんな目に遭うなんて」と行政や警察に相談したから問題視されたのである。従来、頼れる親も家族もいない女性たちは、被害を訴えてもまともに取り合ってもらえず、そもそも相談することすらできないまま「ないもの」とされてきた。
結局、この社会では性売買から「女性を守る」といっても、それは人権擁護や尊厳の遵守に基づくものではなく、結局は「うちの娘が」的な誰かの所有物としての保護に尽きるのだろう。そのことにも私は憤りを覚える。
堂々と女性を選び買っていく買春者
昨年1年間で特に変わったと感じるのが、買春男たちの堂々とした姿だ。大久保公園の周辺では買春者が常に50人ほど集まり、何周もしながら女性たちを「いくらかな」という様子で、舐め回すように見て、声をかけている。
18年に私たちがバスカフェの活動を始めた頃は、私たちの姿を見ると、おどおどしたり、目をそらして逃げるように立ち去る男が多かったが、この2年間で女性支援団体が嘲笑の対象となり「おっ、仁藤さんじゃん。お疲れ様でーす」とニヤニヤ声をかけてくる男がいたり、「お前らなんて誰も守ってくれねえぞ」と言われたり、嫌がる女性にしつこくしている男を追い払おうとした時に暴力を振るわれることも増えた。
私は10代の頃に家へ帰れず街をさまようようになってから、歌舞伎町の様子を20年間見続けてきたが、今、歌舞伎町には驚くほど多くの買春者が世界中から集まっている。英語圏をはじめ、中国語、タイ語、韓国語、それ以外の言葉を話す買春者もいる。自分たちの国ではできないが日本ではできる、しかも、円安で「安く」買えると知られているのだろう。
日本に暮らす男性たちにとっても、これまで以上に買春は身近なものになっており、同僚や友人と、仕事や学校帰りにふらりと気軽に買いに来ている。「声かけて来いよ」「あの子がいいんじゃない?」などと言いながら、女性たちを見世物のように消費し、「いくら?」「ゴムなし、中出しはできる?」「3Pは?」などと女性たちに持ちかけ、買春経験を友人や同僚たちと恥ずかしげもなく、むしろ自慢げに共有している。風俗店が合法的に存在する日本では、これは今に始まったものではないのだろう。
そういう大人たちの姿に影響されたらしき16、7歳くらいの少年たちが、3人組で女性たちを物色していることもあった。
女性を対象化し、消費する目線をどう変えるか