にもかかわらず人目に付く場所に「若年被害女性等支援モデル事業」などと張り出していたら、本末転倒だと分からないのだろうか? もしあなた方が中高生で、そのカフェを利用するだけで「被害女性」などと思われたら、嫌ではないのだろうのか? とがっかりした。
問い合わせは全て行政窓口に……では困る
バスカフェを利用する少女たちが虐待や性暴力の被害に遭ったり、孤立困窮した少女たちとして好奇の目で見らたりすることをなくすためにも、「若年被害女性」などと掲げることは危険である。そうした危険から少女たちを守りつつ、利用のハードルを下げて本当に困っている人と出会いつながるためにも、被害に遭っている/いないにかかわらず、どんな少女たちも利用できる場にすることが必要だと考えている。
被害に遭った少女たちを隠そうとする社会や、「保護」の名の下に社会から隔絶するようなやり方で彼女たちを管理しようとする公的支援の在り方に問題と限界があるため、このような事業が始まった。開かれた場所に、少女たちが気軽に来たいと思える場所を作ることが必要で、そのためにカフェという形で「街中に、普通に存在すること」を重視してバスカフェを始めたのだ。
少女たちの利用しやすさを守るためにも「それはできない」と伝えたが、理解を得るには時間が掛かった。東京都からは、こうした行政に対するクレーム対応をColaboが引き受けられるよう業務用の携帯電話を契約し、問い合わせ専用番号を公開して、専用のスタッフを付けることもお願いされた。
彼らによると、「こうした問い合わせをされるのは高齢の方が多く、連絡手段は主に電話で、話を丁寧に聴くには面談となる」「Colaboは事務所の電話番号が非公開で、所在地も明かせないとしている。それだけで自分たちの問い合わせには答える気がない、と受け取る方が今後も出てくるだろう」という。そうして「このようにクレームを入れたり、メールは嫌なので電話で問い合わせをしたいという方々は、若者を低く見る傾向があるので、年かさの理事などに業務用携帯電話を持たせて対応担当者にするといい」「電話での問い合わせは全て行政窓口に……では困る」などと言われた。
こうした意見をある程度受け止めたり、対策を考えたりする必要はあると思う。しかし行政と違い、小さな組織で予算も人も限られている私たちは、活動に支障が出ない範囲で可能な対応をしないと本来の目的が達せられなくなる。
ギリギリまでシビアな活動なのを分かって欲しい
私たちは、虐待の加害者や買春者、性売買斡旋業者、児童ポルノ愛好家など、活動自体を良く思わない人から過去にさまざまな妨害行為を受けており、相談者やスタッフを守るため拠点の住所や電話番号は非公開としている。問い合わせはメールやホームページからできるようになっているが、レイプ予告を書き込まれたりする。また、「自分は同世代の女性には相手にされない性的弱者だ。少女を眺めて楽しむことくらい許して欲しい」「Colaboに来る子にお尻を拭いて欲しいのでトイレットペーパーを寄付したい」などと言いながら、講演会や活動現場でつきまとう男もいる。そのためスタッフは必ず2人以上で行動し、講演会などではしっかりとした警備をお願いしなければならない状況がある。
バスカフェについても、性的搾取を企む業者らが盛んに少女たちへのスカウト行為をしている場所であることなどから、暴力団対策に長けた弁護士に警備をお願いしている。カフェに入ろうとしたり、関心を持って声を掛けてきたりする人には、対象者でなくてもできるだけ丁寧に対応するが、あまりにしつこい場合や危険を感じた場合は警察を呼ぶことも考え、都や区にも相談した上で警察署の協力もお願いしている。
最近、東京都港区では児童相談所の開設に、地元区民が反対の声を上げている。困難を抱えた子どもたちに偏見を持つ大人がたくさんいる社会の中で、「モデル事業」の貼り紙をすれば、「これはなんだ」「どうしてこんな子どもたちを支援するのか」「問題を抱えた子どもをこんなところに集めたら困る」などと言い出す人も現れるのではないか。
さらに新宿区からは、「行政からの委託を受けていれば、その事業は“行政”なのです」とも言われた。でも行政からの委託を受けていようが、私たちは民間支援団体だ。私も構成員をつとめる厚生労働省の「困難を抱える女性に対する支援のあり方に関する検討会」においても、「行政だけではできない部分を民間に委託したり連携したりする場合、行政と民間との対等な関係性が必要だ」ということが今後の課題として上がっている。が、この間、モデル事業に関する行政とのやりとりの中に「対等な関係性」はほとんど感じられなかった。職員の方の個人的な人柄や想いはよくても、組織としてそういうやり方が染み付いてしまっているのかもしれない。
私たちは、民間だからできることを今後も行政とも連携しながらもやっていきたいと考えているが、行政の都合に支配されないためにはかなりの時間や労力が必要で、負担も大きいことを身に染みて感じている。このままでは行政との連携のため少女たちが支援を利用できなくなってしまう。
クレーム対応のための電話やスタッフを確保する費用、現地へ押し掛けてきた人に説明するための場所に掛かる費用、その間の警備費用、応対スタッフのケアに要する費用などを用意してくれるのなら前向きに検討する。だけどそれ以前に、こうした意見する人たちから少女たちを守ろうとするのではなく、ボランティアや寄付金で運営している民間団体にその対応まで押し付けようとする行政に疑問を抱かされた。
一番大変なのは無自覚に無理解な大人たち
バスカフェを利用する少女たちやスタッフ、また活動を見守り支えてくれる人の中にも区民や都民はたくさんいるのに、声の大きい人からの意見には過剰に反応し、声を上げられない人への配慮が全然ないのはおかしいのではないか。同時に、「こういう活動は大事!」という声を、多くの市民が行政に届ける必要もあると感じた。
活動を応援してくれている多くの人は、直接支援することも、声を上げることもなくそっと見守ってくれているだろう。そうした人々が少しでも声を上げ、少しでも支援をしてくれたなら、行政に対して一言でいいから意見してくれたなら、こういった本来の活動からずれた苦労を私たちがしなくても済むかもしれないと思った。
それとバスカフェの開催中は、活動の邪魔になるのでスタッフへの挨拶や差し入れは遠慮して欲しいと繰り返し伝えているにもかかわらず、取材や見学希望者が相変わらず後を絶たない。Colaboは活動への理解、スタッフや女の子たちへの配慮が感じられない人の取材はお断りしている。応援者の寄付金などに支えられてなんとか運営している以上、スタッフには極力負担を掛けないでもらえるよう理解を求めたいし、何より大人がたくさんいるとカフェに中高生が来なくなってしまう。
住所公開のオープンな場所に、いつでも駆け込めて、泊まれる場所を作りたいと思い続けて実現できないのは、虐待者や性売買斡旋業者などの加害者、攻撃目的や興味本位で来る人たちから女の子たちやスタッフの安全を確保するためだけではない。自分の都合を優先させる大人たちによる、無自覚な暴力を避けられないからだとも感じている。
活動していて「大変では?」とよく聞かれるが、女の子たちとのかかわりは苦ではなく、楽しくうれしいこともたくさんある。一番大変なのは、無自覚に無理解な大人たちとのやりとりだ。こんな世の中を少しでも変えたいと思うけど、途方に暮れかける。そんな繰り返しの中で、やれることをやり続けていきたいと思っている。