そうして多くの加害者が存在し、加害しやすい状況が放置されていることや、加害者に対して社会の認識や制度が追い付いていない状況にあることを考え、加害させない、加害者を生まない仕組みを考える必要がある。
そういう仕組みを考えることなく、「SNSは危険だから使わせないようにしよう」「年齢制限を強化しよう」など、被害者の自由や生活を制限したり、被害に遭う人の年齢を制限しようとすることがよくある。しかし、それは大人が「対策をしている」というていを装って責任逃れをしているだけで、根本的な解決にはならない。加害者にとってみれば「18歳以上だから」「18歳以上だと思ったから」「14歳だとは知らなかった」などという言い訳が増えただけで、このような事件が起きる構造に目を向けた対策にはなっていないのだ。
防犯は加害しにくい社会作りから
海外では、SNS上で買春などを持ち掛けるアカウントを見つけたら警察に通報し、起訴されると通報者に報酬を出す仕組みを作っている国もある。それに対し日本では、加害者にも社会にも「犯罪だ」という認識がなく、法整備も追いついていない。
被害者が追い込まれないためには、大人に対しても子どもに対しても加害者の手口を学ぶ機会を作り、「危ないかも」「どうしよう」と思った時に相談できる大人が身近にいることが必要だ。そのためにも、私たち大人が被害者を責めることをやめ、子どもたちに信頼してもらえる大人になることが必要だ。
以前、電車内で痴漢に遭っていた6歳の少女を助けたことがある。その時、迎えに来た保護者は開口一番、「そういう時は防犯ベルを鳴らすのよ。どうして鳴らさなかったの」と少女に向かって言った。母親は「私が迎えに行かなかったから」と自分を責めていた。
悪いのは、防犯ベルを鳴らさなかった少女でも母親でもない。私は「あなたは悪くないよ。怖かったね。もう大丈夫だよ」と少女に伝え、保護者には、彼女は抵抗できない状況で恐怖で固まっていたこと、彼女を責めずにケアをしてほしいことを伝えたが、大人たちの対応を見て少女は「自分はいけないことをしてしまった」と思ったのではないかと思う。
保護者だけでなく、教員や児童相談所職員など、虐待や性暴力被害などの支援に関わる専門職ですら、その程度にしか暴力の起きる構造や社会的背景を理解していないことが少なくないのが現状だ。まずは、こうした加害は相手が抵抗できない状況につけ込んで行われることや、被害後のトラウマなど被害の影響を勉強し、理解し、ケアの視点をもって関わる大人が増えることが必要だ。そして、「あなたは悪くない」というメッセージを発し続け、それを当たり前の認識にすると同時に加害者の抑制、被害者のケアの充実に取り組まなければならない。そういう社会にならない限り、被害者は被害を訴えられない。
家出を経験した少女はこう語った
Colabo(コラボ)で活動する10代のあるメンバーは大阪の少女誘拐事件を知り、小学生の頃から家出を繰り返して生き延びてきた自身の経験に重ねて次のように語った。
「知らない人に会って何されるか分からないけど、もちろん怖いけど、知らない人に対しての怖さよりも、自分はお父さんに対しての怖さの方がでかかったから。お父さんと一緒に暮らすよりは、男の人と体の関係を持って親の支配から逃げる方がよかったから。知ってる人間とか警察とか児相(児童相談所)とかに言えば助けてくれるかもしれないけど、自分の親みたいな人かもしれないし信用できない。知らない人の方が、信用してなくても一生会わないかもしれないし、だから自分が我慢して男の人と会って生活してた。
家出とか、売春とか好きでやっているという大人が日本に多くいると思うけど、好きでやってる子なんていないんですよ。周りの大人に助けを求めても、もちろん私たちの気持ちなんて分かってくれないし、分かるわけないし。だから、知らない大人に嘘でも同情してもらった方が気持ちは楽になれるから、知らない人に頼っちゃうわけで。本当に知らない大人について行って、殺されるかもしれないけど、親に殺されるよりかは知らない人と一緒にいた方がまし。
今回の事件も、ついていく女の子が悪いんじゃなくて、女の子がつらい思いをしなきゃいけない環境を作った周りの大人たちが悪いから。ネットでは女の子たちのこと叩く人、多いですけど、お前がその環境になったら、絶対女の子と同じ行動しちゃうと思うし、周りの大人たちに助けを求めて絶対安全な暮らしができるかって言われたらそうじゃないし、何も知らないのに、そんなこと言うなって思います。
(女の子たちを責める声が大きいが)そういうニュースとか見て、経験した人は女の子に共感していると思うし、ネットで叩いてるやつらに怒りが湧いていると思うし。家出だって、家がいたいと思える場所ならしない。お金が稼ぎたいからとか、遊びでやってるとかそんなことじゃなくて、本当に好きでやってる子なんて、一人もいない。大人に寄り添ってほしかったし、話を聞いてくれるだけでもよかった。児相の人たちには家に帰すんじゃなくて、もっと安全な場所に移してほしかった。自分たちがしていることが正しいのかどうかをみんなに振り返ってほしい」
変わらなければならないのは私たち
彼女は先日、一緒に行った講演で「自分も話したい」と言い、自分の経験を伝えた後、最後にこんなメッセージで締めくくった。
「今日、この場に来ている方の中に、女の子たちを応援したい、そう思っている方がいると思います。その方たちに言います。口だけの応援なんていりません。行動で示してください」
ネットにかかわらず、家出や性被害について、被害者や子どもたちを責める風潮が日本にはあり、被害者に対するケアも十分に保障されていない。社会の側が、被害者は悪くないということと、被害に気付いたらどうしたらいいかを伝え、被害者を支える取り組みを支援していく必要がある。
もし、読者のあなたが今回の事件を受けて「なんでそんなことをしちゃったの?」と子どもを責めるような疑問を抱いたのなら、ぜひ、暴力の起きる構造について勉強し、学ぶことから始めてほしい。すでに子どもたちは、書籍で、テレビで、ネットで、さまざまな形で声を上げている。これ以上彼女たちに語らせるのではなく、自分たちで学んでほしい。そういう姿勢を見せる大人が増えてほしい。
私たちの無知や無理解が、子どもたちを追い詰めている。変わらなければならないのは子どもたちではなく、私たちなのだ。