先日、Colabo(コラボ)とつながる女子高校生たちと、滋賀・京都へ3日間の合宿旅行に行った。Colaboでは年4回、ほぼ季節ごとに合宿をしていて、2016年は元ストリートチルドレンの青年たちと交流したタイ研修、企画展「私たちは『買われた』展」の準備合宿、夏祭り合宿に続いての開催となった。これまでも私は出張講演に高校生たちを伴い、各地の福祉施設や子どもの居場所づくりをする団体などを訪問してきたが、今回は滋賀県で活動する「こどもソーシャルワークセンター」代表の幸重忠孝さんがが機会をつくってくださった。
いつもは朝集合が基本で、朝が苦手な人はColaboに前泊したり、モーニングコールで起こすことが多かったが、今回はスケジュールの関係で夕方出発とした。高校生たちは乗りなれない新幹線に少し緊張したり、駅弁にはしゃいだりしていた。これまで家族などと遠出をする機会がなかったり、修学旅行に行けなかったり行かなかったりしたメンバーもいて、安心できる関係性の中で、みんなでお出かけするというのは、それだけで楽しく嬉しいものだなあと思った。
くつろげる、地域の居場所
滋賀では「こどもソーシャルワークセンター」に宿泊させていただいた。センターは一軒家で小さい子どもが遊べる部屋、小中高生が勉強できるような部屋、一人になりたい時に過ごせそうな部屋、みんなでくつろげそうなリビングなどがあった。センターの中をひと通り案内してくれた幸重さんが、「お風呂や洗濯機、キッチンや冷蔵庫の中の物も自由に使ってね。部屋もいろいろあるから好きなところで寝ていいよ」と言ってくれた。
その時にはもう高校生たちは、リビングにあったビーズクッションに埋まるようにして座ったり、寝転んだりしてリラックスしていた。そんなふうに自然とくつろげたのは、幸重さんがつくる雰囲気や、高校生たちの関係性の中にグイグイ入っていくのではなく、受け入れ見守ってくれる姿勢を彼女たちが感じたからなのではないかと思う。
荷物を置いて、近くの銭湯へ行った。初めての銭湯に彼女たち戸惑っていると、地元の女性が「どこから来たの?」「何しに滋賀に来たの?」などと話しかけてきた。湯船の中でも、顔見知りなのかどうかはわからないが別々にやってきた女性たちが、「明日の天気は?」とか、他愛のない会話をしていた。
高校生の一人は、知らない女性から声をかけられることや、地元の人たちが銭湯で交流する様子に衝撃を受けたと言いながら「こういうの、なんかいいね。すでにこの合宿で初めてのこといっぱい経験したわ。人見知りなのに知らないおばさんと話したし」と話していた。
帰りに、近くのコンビニでアイスやジュースを買った。いつもはなんでも買ってあげるというようなことはしないが、合宿――しかもお風呂上がりは特別。私もコーヒー牛乳をおごりたい気持ちになる。普段の活動でもそうだが、甘えたり、頼ったり、ご飯を食べさせてもらったり、泊めてもらったりしても見返りを求められない関係性もあること、そういう大人もいることを知ってほしいなと思う。
翌朝、5時ごろに誰かが玄関から出て行く音がして目が覚めた。前日、「早起きできたら琵琶湖のまわりを散歩しよう」と高校生たちが話していたので、健康的だなあと思いながら二度寝した。7時ごろ起きてみると、キッチンのゴミ箱にカップ麺の空き容器が捨ててあった。彼女たちはぐっすり寝ている。朝、出ていったのは朝まで寝ずにいて、お腹がすいたのでカップ麺を買いに行って食べたということだったらしい。私は、捨ててあった容器が水でゆすいであったことを、他の人のことを考えてのことだと思い、嬉しく感じた。
普段から昼夜逆転していたり、慣れない場所が怖くてなかなか寝られないという人、もともと不眠症気味であるという人、みんなとのお泊まりで楽しくて夜更かししたという人もいる。でも最初は違う部屋で寝ていた人たちも、朝、私が起きるとリビングに集まって寝ていて、なんだか微笑ましかった。
わがままを言える関係性
この日は滋賀と京都を観光した。それぞれが行きたい場所を提案し、大津祭り、伏見稲荷、錦市場、清水寺と回ることになった。「行けなかった修学旅行のリベンジ!」と言う人もいた。実は私も中高時代、修学旅行に行ったことがなかった。
前日あまり寝てなかったことや、歩き疲れたり、お腹がすいて、途中で不機嫌になる人もいた。普段は食欲がなかったり、「太りたくないから」と食べなかったり、食に関心を持たなかったりする人も、「お腹すいたー、ご飯まだ?」と大合唱。せっかく京都にいるのに、「もうファーストフードとかチェーン店のうどんでいいから早く食べよー」と騒ぐ高校生たち。テイクアウトのお団子で空腹をしのいだり、京都を案内してくれた女性たちが慌ててお店を探してくれたりした。
「動けばお腹がすくんだなあ」と、私は嬉しく思った。
彼女たちと一緒に過ごしていると、「もー!」と思ってしまうこともある。が、そう思えることは幸せだなあと思う。家では支配されていたり、暴力を受けていたり、いろいろな大人に遠慮しながら生活している人もいる。出会ったころの緊張した表情や、こわばりを知っているから、わがままを言ったり、眠さや空腹で機嫌が悪くなって八つ当たりされたり、疲れた時に「疲れた」「お腹すいた」と言ってもらえるのは、いいことだなあと思う。
だからといって、わがままや不機嫌のすべてに付き合うわけではないけれど、喜怒哀楽を表現したり、自分の気持ちや意思を押し殺したりしなくていい関係性でありたいなと思う。私も彼女たちから「疲れている時とか、話に興味がない時の夢乃さんはこうだよね」と思われているかもしれないし、私が焦って失敗した時にはフォローしたり、許してくれたり、見ないふりを彼女たちはしてくれている。
子どもに寄り添う大人もいる
合宿最終日は、「こどもソーシャルワークセンター」のイベントで、幸重さんと「貧困を背負って生きる子どもたちの声に寄り添って」というテーマで対談を行った。
幸重さんの活動発表を聞いていたある高校生が、「スクールソーシャルワーカーって何?」と聞いてきた。「学校の中に入って、いじめとか教室になじめないとか、貧困とか、虐待とか、いろいろ困っている子どもの話を聞いたり、その子どもをどうやって支えていくかってことを学校の先生や役所の人、地域の人、家族の人と話し合ったり、つないだり、考えたりする人」と説明すると、「へー。いいことやってんだね」と言っていた。
「子ども食堂って何?」とも聞いてきたので、全国で広がり始めたその取り組みについても話した。また別の高校生が、幸重さんの活動の一つである「トワイライトステイ」や就労訓練の活動について聞いてきた。
「トワイライトステイは、子どもたちの夜の居場所づくり。放課後、家に帰っても親が仕事でいないとか、病気や障がいを抱えていてご飯をつくってもらえないとか、そういう状況にある子どもたちが来て一緒にご飯を食べたり、過ごせる場所をつくっているんだよ。昨日行った銭湯へもみんなで行くみたい。親にしてみても、仕事から夜遅く帰ってきて子どもがお風呂やご飯をすませていたら、少しでもゆっくり話す時間が持てるかもしれないよね」と話した。すると、「すごいいいね。うちが小学生の時にもほしかったわ」と言っていた。
貧困を背負って生きる子どもたち
イベントでは、幸重さんが作成したヴィジュアルノベル「貧困を背負って生きる子どもたち」の3つの物語が上映された。いじめ、病気、障がいのこと、周囲からの冷たい言葉、わかってもらえない気持ち、寄り添ってくれる大人との出会いや素直になれなかったこと、貧困を背負って生きる子どもの体験や気持ちが物語にまとめられ、同時に地域として何ができるのか、寄り添うとはどういうことなのかを考えさせられる動画である。
3つのうち2つの物語はネットにアップされているので、ぜひ見てほしい。