WW1で起きたのは、19世紀の戦争を戦ってきた貴族やブルジョワの時代から、代わって総動員によって権利を手にした大衆や労働者の時代への変化です。1905年にはロシアのオデッサで、戦艦ポチョムキンの水兵による上官に対する反乱が起きています(これは有名なエイゼンシュテイン監督『戦艦ポチョムキン』の題材ともなりました)。こうした労働運動は勢いを増し、WW1中にロシアでは共産主義革命が起こり、敗戦直後のドイツでも兵士たちによるドイツ版ソヴィエト(共産主義に基づく評議会)が各地で設立されます。
こうした社会的な構造変動の背景には、19世紀末から貴族中心だった政治が、一般市民や労働者などが投票権を持つ、民主化の経緯があります。選挙権が拡大し、ドイツでは1871年の選挙の投票率は50%に過ぎなかったのが、1912年には80%を超えます。産業の発展もあって、イギリスの労働組合員の数も1890年代の150万人から1914年には400万人へと増えます(*4)。当時のイギリスの人口は4300万人ほどでしたから、国民の10人に1人以上が組合員だった計算になります。さらに、男性が兵隊にとられたために工場で働くようになった女性たちが女性解放運動に参じ、WW1後には多くの国で女性参政権が認められることになります。一兵卒も本当は立派な人たちなのだ、というボアルデューに対してラウフェンシュタインは「フランス革命の皮肉な遺産だな」と皮肉ります。
ただ、それまで王政や貴族だけの間で戦われていた戦争に大衆も動員されることで、戦争のダメージは、より大規模かつ多様なものになります。過酷な戦争が社会を平等にしていったのと同時に、平等な社会によって、戦争はより過酷なものとなっていきました。かくしてボアルデューは「この戦争がどう終わろうとも、我々貴族階級はもう終わり」と言い残します。
『大いなる幻影』は、20世紀の偉大な映画ランキング常連の名作です。それは戦争を題材に、当時の社会で起きていた大きな構造の変化を活写しているからでしょう。
『ザ・トレンチ』――労働としての戦争
『大いなる幻影』が、大衆の担う「労働者」という存在が、歴史の主役に躍り出たことを印象付けたとすれば、塹壕での彼らの姿を描くのは『ザ・トレンチ(The Trench)』(1999年)です。イギリスの作家ウィリアム・ボイドが監督を務めたこの作品には、後にジェームズ・ボンド役に抜擢(ばってき)されるダニエル・クレイグ(ちなみに監督はボンドの小説シリーズも手掛けています)や、イギリスの人気ドラマ『ピーキー・ブラインダーズ』の主人公役で注目されたキリアン・マーフィなど、イギリス映画界の新世代も出演しています。
前線と銃後が地続きになったことで、戦争はもはや非日常ではなく、日々の生活の延長線のものとなります。WW1は1914年7月に勃発しますが、『大いなる幻影』でも触れられているように、国を問わず、年内に終わるものと想定されていました。それが前線での膠着(こうちゃく)状態が続き、4年もの長きに渡って戦われることになりました。
こうした兵士の終わりのない戦争生活を描くのが、『ザ・トレンチ』です。
『大いなる幻影』と異なって、この作品は前線が舞台ですが、やはり派手な戦闘シーンはありません。描かれるのは1916年7月1日の「ソンムの戦い」と言われる、2時間でイギリス兵6万人が戦死した悲惨な戦いに至るまでの、死と隣り合わせでありながらも、退屈な3日間です。
WW1が想像以上に長引いた理由の一つは、ドイツ軍がベルギー経由でフランスに侵攻(「シュリーフェン計画」)した後、補給線が延び切ったために退却、その結果、仏独国境線で両軍のにらみ合いが続いたからでした。「掩蔽壕(えんぺいごう)」とも呼ばれた塹壕から一度出れば、近代兵器たる機関銃や大砲でもって、すぐに殺されてしまう。それゆえ塹壕に篭ることが各軍の合理的な戦略となりました。このため、戦闘と生活が同居することになったのが、仏独国境にある「西部戦線」の特徴でした。
この状況を当時のある兵士はこんな風に日記に書いています。「塹壕でかちかちのパンを食べていて、横にいた仲間が銃弾に当たって死んだとしよう。ちょっとの間、静かに彼をみているだろう。そしてすぐまたパンを食べはじめるのだ。だってどうすればいい。できることはなにひとつないのだ」(*5)。
『ザ・トレンチ』でフォーカスされるのも、350メートル先のドイツ軍の塹壕を見据えつつ、どうしようもなく弛緩(しかん)した日常です。10代で徴兵された若い兵士は、当時まだ禁断だったヌード写真を取り合い、上官の文句を言い合う。現場を預かるハート中尉は重要な決断を何もできず、クレイグ扮するウィンター軍曹はノルマ達成のため、兵士を叱咤激励する中間管理職として振る舞います。戦闘が起きない中では、塹壕掘りや偵察を命令しておかないと士気が落ちてしまうからです。まるでブラック企業の職場と変わらない風景が塹壕内で淡々と繰り広げられます。
この前線でドイツ兵として戦い、後に作家として有名となるエルンスト・ユンガーは、「労働としての戦争」を書き綴った人物でした(第二次世界大戦時にナチ将校として徴兵されたユンガーの姿は映画『シャトーブリアンからの手紙』で見ることができます)。彼は自らの戦闘体験から、個性を持たず、目的も持たない、ただ単に塹壕を掘り、そこで生き残ることだけを目的とした「労働者」を戦争に見出しました。そして「ここに騎士道精神は永遠に消滅した。あらゆる高貴な人間的感情とおなじように、それは戦闘の新たなテンポと武器の法則に屈したのだ」(*6)と書き、ここに戦争を通じた「新しい人間」が生まれたのだ、とも記します(*7)。
『大いなる幻影』が不可避的に消え去っていく19世紀の高貴さを描くものだとしたら、『ザ・トレンチ』は、そのことで生まれていった、戦場をも覆った労働世界を描くものです。映画の中の「鉱員を辞めてまで来たというのに」という若い労働者階級(アクセントで分かります)の一兵卒が発する言葉が、それを物語っています。
それだけに、映画のラストを飾る、上層部が業を煮やして7月1日に命令をする総攻撃の悲惨さが強調されます。ウィンター軍曹は、それが自殺行為だということを知っています。それでも命令に従わざるを得ない。日常と死が一直線に並びつつも、それが大きな断絶によって隔たれている――ここに総動員戦争であったWW1のもう一つの特徴があります。
(*1)
ジェームズ・ジョル『第一次世界大戦の起原』(みすず書房、2017年)
(*2)
ハンナ・アーレント『全体主義の起源3 全体主義』(みすず書房、2017年)
(*3)
ジョージ・オーウェル『新装版 オーウェル評論集4 ライオンと一角獣』(平凡社ライブラリー、2009年)
(*4)
リチャード・J・エヴァンズ『力の追求(下) ヨーロッパ史1815-1914』(白水社、2018年)を参照
(*5)
モードリス・エクスタインズ『新版 春の祭典 第一次世界大戦とモダン・エイジの誕生』(みすず書房、2009年)より
(*6)
モードリス・エクスタインズ『新版 春の祭典 第一次世界大戦とモダン・エイジの誕生』(みすず書房、2009年)より
(*7)
エルンスト・ユンガー『労働者』(月曜社、2013年)