『戦場のアリア』――国民を超えた連帯意識
熾烈(しれつ)を極めた塹壕戦ですが、戦争の始まる1914年から翌15年くらいまで、仏独両国の兵士間の敵対意識、つまりナショナリズムは、さほど強烈なものではありませんでした。実際、ノーマンズランド(両軍の塹壕を隔てる緩衝地帯)は数百メートルほどしかなく、敵の顔が目の前に見えたり、偵察中に敵と出くわしたりすることは日常茶飯事で、互いに冗談を言い合ったり、くだんの缶詰を交換したりすることもあったようです。こうした現象は当時「敵兵との交歓」と呼ばれ、士気に関わると、各軍上層部の神経を尖らせていました。
総動員戦争であるにもかかわらず、否、むしろ総動員戦争だったからこそ成り立つ兵士たち同士の友情関係を描くのが、クリスチャン・カリオン監督『戦場のアリア(Joyeux Noel)』(2005年)です。この作品は1914年のクリスマスに、各前線で実際に見られた「敵兵との交歓」を題材にしています。戦場で敵兵同士がともにクリスマスを祝う、というのは非現実的に聞こえるかもしれませんが、記録によるとベルギーとフランス北部に展開していた英独軍の兵士の4分の3が経験したとされています。
映画はかなり脚色されていて、デンマークのオペラ歌手役で、実生活でも英語、ドイツ語、フランス語を喋る美しきダイアン・クルーガーと、夫であるドイツ人将校との間のラブロマンスが主軸になっています。彼女は前線にいる夫に会いたいがためにクリスマスに兵士たちを慰問することを提案し、ここからドイツ軍の塹壕にクリスマスツリーを飾る計画が持ち上がります。
対するフランス軍とイギリス軍(映画ではスコットランド軍)の塹壕内の兵士たちも退屈しています。『ザ・トレンチ』のシーンにもあったように、クリスマスには自国に帰れると誰しもが思っていたため、郷愁も募ります。そこに聴こえてくるスコットランド軍のバグパイプと合唱(「故郷を夢見て」)に、ドイツ軍のテノール歌手が讃美歌(「きよしこの夜」)で応えます。祝祭ムードに包まれた戦場で、将校たちは自分たちだけは一時休戦することで合意をします。これ以降、3国の兵士はともにミサに参列し、サッカー試合をし、ノーマンズランドに広がる死体を回収するといった風景が広がります。そればかりか、休戦が終わっても、後方陣営から砲撃があることを相手に通告し、自らの塹壕に敵軍を招き入れるまでの協力関係が育まれます。
ここまでではなくとも、1914年12月のクリスマスに、サッカー試合や物資の交換などが敵国兵士同士であったことは史実です。ただ戦争に勝つことが目的だった過去の戦いに対し、WW1では誰しもが当事者になったために、国に関係なく、生き残ることこそが共通の目標となったからです。戦死に国籍は関係ありません。だから、クリスマスという共通経験を経て、兵士たちにとって戦争の意味は大きく変わったことでしょう。「ドイツ人を殺せと叫ぶ連中より、ドイツ軍の方が人間的だ。私の戦争はあの塹壕なのだ」という、「敵兵との交歓」を経験したフランス軍将校のセリフがその心象を表しています。
ナショナリズムと、それを支える大衆という構図を生み出したWW1という前代未聞の戦争を経験してもなお、私たちは戦争の世紀を超えるだけの知恵をまだ見出せていません。
(*1)
ジェームズ・ジョル『第一次世界大戦の起原』(みすず書房、2017年)
(*2)
ハンナ・アーレント『全体主義の起源3 全体主義』(みすず書房、2017年)
(*3)
ジョージ・オーウェル『新装版 オーウェル評論集4 ライオンと一角獣』(平凡社ライブラリー、2009年)
(*4)
リチャード・J・エヴァンズ『力の追求(下) ヨーロッパ史1815-1914』(白水社、2018年)を参照
(*5)
モードリス・エクスタインズ『新版 春の祭典 第一次世界大戦とモダン・エイジの誕生』(みすず書房、2009年)より
(*6)
モードリス・エクスタインズ『新版 春の祭典 第一次世界大戦とモダン・エイジの誕生』(みすず書房、2009年)より
(*7)
エルンスト・ユンガー『労働者』(月曜社、2013年)