ネットの発展もあり、硬派なニュースや手間と時間のかかる調査報道ではなく、安易で簡単に耳目を引くニュースを経営上、優先せざるを得なくなったことが、既存の報道やニュースに人々が信頼を置かなくなったことの素地を作り、フェイクニュースが流通する隙を与えたと言えるでしょう。
報道において「真実こそが大事」と強調して、「お前の自尊心など時代遅れだ」とコリンズ議員に馬鹿にされたマカフリー記者はこう啖呵(たんか)を切ります。
「なぜだ? もう誰も新聞など読まないから? 数日間は売れて後はただのゴミになるからか?だが、臆測だらけの三流ニュースと真実の報道を人は見分ける。地道に事実を追って記事にする努力を評価するはずだ」と。果たして私たちはそのような真実の報道を評価しているでしょうか。
『大いなる陰謀』――「真実」とは何か
アメリカでは2004年以降、地方の1800紙が廃刊し、「ニューヨーク・タイムズ」「シントン・ポスト」「ウォールストリート・ジャーナル」といった名門新聞社の部数も2012年から18年の6年間で3割近く減少していると報道されています。産業別にみた場合、2000年代に最も雇用数を減らした割合が多かったのも新聞社だとされています。
約90分という短い作品でありながら、ワシントンの議会、アフガニスタンの戦場、カリフォルニアの大学という三つの舞台を同時進行して緊張感ある物語を展開するのは『大いなる陰謀』(ロバート・レッドフォード監督、2007年)です。物語は、真実に固執する昔かたぎの記者を演じるメリル・ストリープが、彼女にアフガン戦争で遂行中の新しい作戦をリークする共和党上院議員(トム・クルーズ)にインタビューするところから始まります。
この映画は、戦争状態にあるにもかかわらず、政治に対するアメリカ国民のシニシズムと、それゆえ政治家たちに踊らされるマスコミの弱腰を強く非難するものになっています。議員はイラク戦争開戦時にはマスコミも賛意を示したではないかと迫り、対イラク・アフガン戦争を批判するメディアを「風見鶏だ」と言い切ります。そうであれば、戦争を一気に収束させる新作戦を大々的に報道し、政府の姿勢を支える責任があるのだ、と。
絶好のスクープネタにもかかわらず、女性記者は議員からのリークを報道することに局内で反対します。スクープに飛びつく上司に対して彼女は「ガセネタの感じがする」「開戦の時と同じように乗せられている気がする」と言って、首を縦に振ろうとしません。確かに、議員のインタビュー中に明かされた新作戦は、事実です。しかし、その作戦が道義的に正しいものなのかどうか、成功する見込みがあるのかどうか、作戦を正当化するために議員がにおわせるイラクとイランの接近が本当かどうか――これらが明らかにならなければ、作戦が実行されているというニュースが「真実」に値するのか定かではありません。つまり「事実」だけでは「真実」にはならないのです。「こういう事実がある」ということに加えて、それが一体何をもたらすのか、社会的にどのような意味があるのかという解釈や意見が伴わなければ、「真実」は生まれません。だからこそ「ポスト真実」の時代はなお一層のこと、厄介なのかもしれません。
『ニュースの真相』――「勇気」を持つこと
事実を解釈することの難しさを思い知らされる作品が、その名も「Truth」という原題を持つ『ニュースの真相』(ジェームズ・ヴァンダービルト監督、2015年)です。この作品もイラク戦争に際して、当時のジョージ・W・ブッシュ大統領がベトナム戦争時に、コネを利用して兵役逃れをしたのではないかという実際の報道をベースに、主人公である女性プロデューサー、メアリー・メイプスの著作を基にしています(*4)。
ブッシュ大統領についての疑惑を追及したCBSのニュース番組「60ミニッツII」はアメリカの有名な番組で、アンカーを務めたダン・ラザーは時代を象徴するニュースキャスターとして知られています(映画では、ラザー役を先のロバート・レッドフォードが好演しています)。日本でも「筑紫哲也 NEWS23」がCBSニュースを参考にしたとされ、「60ミニッツ」も、TBSが吹き替え版を放送していた時代がありました。
メイプスは、ブッシュ大統領の関連企業にビン・ラーディンの資金が流れているのではないかとのうわさから、兵役回避疑惑へとたどり着きます。チームを組んでの数カ月に及ぶ調査や裏取りの末、大統領の州空軍歴がほぼ皆無だったこと、上層部もそのことを知っていながら見て見ぬ振りをしていたことを突き止め、報道するに至ります。これはブッシュの再選を懸けた大統領選を目前に、大きなスキャンダルとして世界中で報道されました(このスクープが世間を騒がす中、映画では「報道について報道するという新しい報道が生まれている」と揶揄するシーンが出てきますが、いまのニュース報道の姿勢を言い表しています)。
問題は、あるブログの指摘によって、取材過程で入手した空軍の内部文書が偽造ではないかとの疑惑が持ち上がったことでした。時の大統領に関する大スクープ、それもダン・ラザーによる報道がフェイクだったとしたら――疑惑は、今度は報道する側に向けられることになります。文書そのものは本物であることが証明されたものの、提供元が不明だったり、情報提供者が証言を撤回したりしたことで、最終的に報道の正確さに疑問が残り、メイプスとラザーは実質的に解雇されます。
関係者の証言をいくら集めても、文書が本物であっても、過去に実際何があったかを、完全に再現することはできません。事実を積み重ねても、何が真実であるのかは、結局明らかになりません。だから、「真実」を形にするには報道する側の解釈の余地が残ります。それだけに、その解釈に疑問符が付けられれば、報道そのものが信用を失うことになります。「ニュースを伝えるのは義務であり信頼だった」とラザーはメイプスに漏らしますが、報道機関に信頼がなくなれば、フェイクニュースだけが残ることになります。
CBS局内に設けられた調査委員会で、メイプスはこう切り返します。「ニュースの主旨が気に入らないと最近はみなが指摘してわめき、政治傾向、客観性、人間性まで疑ってかかり、スクラムを組んで真実を葬り去る。異常なほど騒いですべてが終わった時には主旨は何だったか思い出せない」。
(*1)
セリーヌ『夜の果てへの旅』中公文庫、2003年改版
(*2)
Oscar Barrera, Sergei Guriev, Emeric Henry, Ekaterina Zhuravskaya “DP12220 Facts, Alternative Facts, and Fact Checking in Times of Post-Truth Politics” CEPR, 2017を参照
(*3)
ブラックウォーター社をめぐる問題は、ジェレミー・スケイヒル著『ブラックウォーター――世界最強の傭兵企業』(作品社、2014年)に詳しくあります
(*4)
メアリー・メイプスの回顧録は『大統領の疑惑』(キノブックス、2016年)と題されて邦訳されています
(*5)
ハンナ・アーレント「政治における嘘――国防総省秘密報告書についての省察」『暴力について』(みすず書房、2016年)所収