「ポスト真実(トゥルース)」という言葉がすっかり定着したように思います。この言葉が人口に膾炙(かいしゃ)したのは、2016年に国民投票でイギリスのEU離脱が可決された時のことでした。離脱を報じる英名門紙「フィナンシャル・タイムズ」のウェブ記事のコメント欄に、離脱派のなりふり構わない印象操作を批判して、「私たちはポスト真実の時代に入った」と一読者が書き込んで、一気に広まりました。同年末には、権威あるオックスフォード大学出版の辞書部門が「時代を最もよく表現している言葉」に選んだことで、世界的に知られるようになりました。
「ポスト真実」という言葉は、確かに今の時代をよく象徴しています。2017年には、アメリカ大統領選を勝ち抜いたトランプ大統領が「お前はフェイクニュースだ」とCNN記者を罵倒したことで、「フェイクニュース」という言葉までもが流通するようになりましたし、報道官がマスコミの指摘に「それは異なる事実(オルターナティブ・ファクト)だ」と批判までして、何が真実なのか、わからない時代に突入した印象があります。
デマや誤った情報が流通することは、人々の行動に大きな影響を与えます。先のアメリカ大統領選では、「ヒラリー・クリントン支持者が経営するワシントンのピザ屋で児童買春が行われている」というフェイクニュースがネット上で拡散され、それを信じた28歳の男性が店を銃撃するという事件まで起こりました(いわゆる「ピザゲート」)。ポスト真実の時代になって、フェイクニュースを真に受けて行動する人まで出てきているわけです。
ただ、果たしてこれまで「真実」だけで歴史が動いてきたのかといえば、そうでもありません。歴史的なフェイクニュースの事件として有名なものに、「エムス電報事件」があります。これはスペインの王位継承権をフランスと争っていたプロイセンの首相オットー・フォン・ビスマルクが、国王ウィルヘルム1世に謁見したフランス大使の要求を意図的に捻じ曲げて主要紙「アルゲマイネ・ツァイトゥング」ほかにリークした1870年の出来事です。フランスの強硬な姿勢が演出されたため、独仏両国の互いに対する感情が悪化し、この事件は普仏戦争勃発のきっかけになりました。
20世紀初頭からの大衆メディアの発展に伴って、数々のフェイクニュースが生まれました。その時代を生きたフランスの作家セリーヌは「売国奴までが偽物だった。嘘をつきそれを真に受ける錯乱は疥癬(かいせん)みたいにうつるものだ」と1930年代の状況を記述しています(*1)。現代になっても、アポロの月面着陸や9.11同時多発テロがフェイクだったと信じている人は少なくないという調査もあります(宇宙計画をめぐるフェイクは、1977年のカルト的映画『カプリコン・1』のテーマで、これもこうした世論を反映してのことです)。
フェイクニュースの蔓延(まんえん)に対抗するためには、「ファクトチェック」などと呼ばれる手法で、間違った情報に逐一反論し、ニュースの受け手に事実を知らしめれば良い、という指摘が根強くあります。実際に2016年にトランプ候補の演説に手を焼いたクリントン陣営は、多くの資金を投入して逐一「事実」を示し、反論を試みました。しかし、CEPR(欧州経済政策研究所)の実験では、人々に「事実」を示せば示すほどに、その反対に「フェイク」な情報を信じるようになる傾向があることが明らかになっています (*2)。人は自分の信じたいものを否定されると、余計に自分の信じていることを信じるような存在なのです。
それでは、こうしたポスト真実の時代にどう抗ったら良いのか。今回は報道と政治の攻防を描いた4本の映画を通じてみてみましょう。
『消されたヘッドライン』――既存メディアの退廃
アメリカでは、2003年のイラク戦争をきっかけにそれまでのニュース報道が批判の矢面に晒されました。これから紹介する映画の全てがイラク戦争を背景にしているのも偶然ではありません。
『消されたヘッドライン』(ケヴィン・マクドナルド監督、2009年)は、民主党議員と、架空の新聞社「ワシントン・グローブ」の古参記者との関係を題材にした、政治サスペンスです。ベン・アフレック演じるコリンズ議員は、対テロ戦争で政府が業務委託しようとする民間軍事会社「ポイント・コープ」社による情報隠蔽や贈収賄を議会で追及する正義派です。ところが彼の女性スタッフが謎の死をとげ、彼女がポイント・コープ社のスパイでもあったことが明るみに出ます。果たしてポイント・コープ社はコリンズ議員を陥れようとしていたのか、彼と不倫関係にあった女性スタッフはなぜ殺されたのか――真相は土壇場で明らかにされます。
実際の時代背景を確認しておきましょう。2004年に「ブラックウォーター」という民間軍事会社の社員がイラクで殺害されるという事件が起きました。国家同士の戦争にもかかわらず、戦地で傭兵を雇う民間会社がなぜ大々的に戦っているのかについては、「戦争の民営化」として、大きな問題となりました(*3)。映画の中でも「対テロ戦争は金脈だ」と指摘される場面が出てきますが、巨額が投入される戦争は、いつの時代も企業と政治家にとっての好機です。
映画で注目したいのは、イラク戦争と並行して起きていた既存マスコミの弱体化です。劇中では「ワシントン・グローブ」紙が、その名も「メディア・コープ」という新規企業に買収されていることが示唆されます。「ポイント・コープ」の不正を執拗(しつよう)に追うラッセル・クロウ演じるマカフリー記者に、同社の編集局長は「問題は新聞社の経営悪化なのだ」と迫り、汚職事件などより、政治家のプライベートなスキャンダルを追うブログ内容を優先報道するよう指示します。
フェイクニュースの土壌を作りだしたのは、オールドメディアでもあったのです。
(*1)
セリーヌ『夜の果てへの旅』中公文庫、2003年改版
(*2)
Oscar Barrera, Sergei Guriev, Emeric Henry, Ekaterina Zhuravskaya “DP12220 Facts, Alternative Facts, and Fact Checking in Times of Post-Truth Politics” CEPR, 2017を参照
(*3)
ブラックウォーター社をめぐる問題は、ジェレミー・スケイヒル著『ブラックウォーター――世界最強の傭兵企業』(作品社、2014年)に詳しくあります
(*4)
メアリー・メイプスの回顧録は『大統領の疑惑』(キノブックス、2016年)と題されて邦訳されています
(*5)
ハンナ・アーレント「政治における嘘――国防総省秘密報告書についての省察」『暴力について』(みすず書房、2016年)所収