『レッズ』――資本主義を倒す
1本目として取り上げるのは『レッズ』(ウォーレン・ベイティ監督、1981年)です。俳優としても名の知られるベイティですが、この作品で彼はアカデミー賞の最優秀監督賞を受賞しています。
映画は、実在のアメリカ人ジャーナリストで、共産主義者でもあったジョン・リードの半生を描くものです。彼の名は、1919年に出版されて、ロシア革命をルポルタージュした『世界を揺るがした10日間』で世界的に知られることになりました。
作品の特徴は、リードともう一人の主人公、ルイーズ・ブライアント(ダイアン・キートンが演じています)を直に知っていた人々の証言映像が随所に挟まれていることです。彼らが何を思って共産主義に接近していったのか、現在ではどのように評価されているのかを観客に語る作りになっています。
物語が始まるのは、第一次世界大戦の余波がまだ色濃く残る1915年。アメリカやメキシコの労働運動を取材していたリードは、戦争は資本家の懐を肥やすためのものでしかなかった、と各地で講演会をこなしていきます。そんな中で知り合ったのが、ポートランドで女性解放運動に専念する人妻のルイーズ・ブライアントでした。意気投合した二人は、より大きな活躍の場を求めてともにニューヨークに移住します。
第一次世界大戦後の時期を描くこの映画のさらなる見せ所は、熱烈に愛し合いつつも、この二人の間に横たわる微妙な関係です。正式な婚姻関係を結ばなかったリードとルイーズは、それぞれの理想を共有しながら、自由恋愛を是とするゆえ、困難な関係に陥っていきます。ニューヨークの知識人サークルでも、田舎から出てきたルイーズの意見は傾聴されず、彼女はリードの「余り物」として扱われ続けることに不満を漏らします。政治での平等を掲げるリードと、日常生活での男女平等を求めるルイーズの姿を浮き彫りにすることで、作品が進むにつれて物語に奥行きが生まれていきます。「リードの夢は革命へと労働者を駆り立てること、君の夢は男と革命談議をして寝ること」――ルイーズに恋して破れた男性の捨て台詞です。

映画『レッズ』より 写真:AFLO
そんな二人が再び共通の理想に向かって歩み始めるきっかけとなったのは、ほかでもない1917年に起きたロシア革命でした。「ロシアの革命はドイツへ、ドイツで革命が起きれば世界で革命が起きる」――居ても立ってもいられなくなったリードは、現場である欧州へと足を運び、その内実を綴った先の『世界を揺るがした10日間』を世に問うことになります。名声を得た彼は、そのまま労働運動を支援するアメリカ社会党の党大会に乗り込み、そこで共産主義革命を掲げる「アメリカ共産労働党」を結党します。ドイツの著名な社会学者ヴェルナー・ゾンバルトは、アメリカで社会主義運動が成功しなかった理由として、そもそも封建社会ではなかったため階級闘争が生まれる土壌がなく、二大政党制の国であるため社会主義政党が介在する余地がなかったとの有名な仮説を20世紀初頭に提唱しました。リードは、そうした政治状況に果敢に挑んだということになります。
リードは、ソ連が主導し、世界革命を目指すコミンテルン(共産主義インターナショナル)からのお墨付きを得るのに加え、アメリカでの革命を支援してもらおうと、モスクワに赴きます。しかし、苦難の末に辿り着いたソ連で、彼は共産党にとっての便利なコマでしかなく、対等な発言権を得られないという現実に直面します。そう、ルイーズが日々の生活の中で経験したことを、リードも政治の場でまた経験することになるわけです。
革命の輸出に孤軍奮闘するリードですが、チフスに冒され、彼のもとに駆け付けたルイーズに見守られながらモスクワで客死することになります(彼の墓石は現在でもクレムリンにあります)。
実際のロシア革命が決してバラ色に彩られたものでなかったことは、物語が進むにつれて明らかになっていきます。物資などの欠乏、硬直した官僚制とイデオロギー、監視社会といった、その後のソ連崩壊に至る数々の要素は、革命当初から存在したことが繰り返し強調されます。
この共産主義革命が抱えた最大の限界は、リードを看取るルイーズが病院で神に祈る老婆を目撃したことに象徴的に示されています。無神論の立場をとる共産主義社会にあって、本来ならば神に対する信仰心が残るはずはないからです。かの場面においてルイーズはリードへの愛を取り戻す代わりに、自分たちが抱いた理想がついぞ実現することはないと悟るのです。
マルクス・レーニン主義は、革命家や知識人の主導する「前衛党」が鉄の規律でもって、大衆を革命に導くことを説きました。失敗に終わる革命を扱う映画であるとはいえ、『レッズ』はこうした革命における知識人の役割、共産主義が有していた国際性、党と大衆の関係など、共産主義革命が持つ特徴をあまねく描いているという点で、革命理解に資するところの大きい作品です。特に、リードとその同志たちが詩や演劇に嵩(こう)じるシークエンスなどは、今では忘れられがちな、共産主義運動が芸術的・文化的側面を色濃く持っていたことも想い出させてくれるでしょう。