彼は貧しい生い立ちながらも、名門キーロフ・バレエ団に所属、オペラ・ガルニエ座での公演のためパリを訪れます。共産党の政治局員の監視の下、初めて訪れるパリで彼はキャバレーや音楽会に行き、フランスのダンサーたちと門限を破って交流するなど、自由奔放に振る舞います。「‟社会主義者だけで固まって黙ってろ”(と言われる。でも)僕には務めがある。できる限り見て学ぶこと」――情熱を傾けるバレエという芸術のために、彼は文化の都、パリで貪欲なまでに文化と芸術を吸収しようとします。
中でも、早朝のルーブル美術館でロマン派の草分けテオドール・ジェリコーの大作『メデューズ号の筏』にヌエレフが見とれるシーンが印象的です。なぜこの作品をフィーチャーしたのか、監督の意図はわかりませんが、1816年にフランス海軍「メデューズ号」の難破を描いたこの絵画は、復古王政下の政権の失政を告発するものだと当時解釈され、世間で賛否両論を引き起こしました。芸術の力で体制に挑んだジェリコーの姿と彼の作品に、ヌエレフが強く共感したことを示したかったのかもしれません。
5週間に及ぶパリ公演を終え、バレエ団が次の目的地であるロンドンへと移動する間際、ヌレエフは、一人モスクワに帰朝するよう命じられます。自身の破天荒な行動から当局に罰せられると本能的に悟った彼は、政治亡命を決意します。空港のロビーで展開されるラスト30分は、スパイ映画のごとく緊迫感に満ちています。亡命を手引きしようとするガールフレンドは彼にこう問います。「あなたはどうしたいの?」。ヌレエフは答えます。「自由になりたい」。
ヌレエフの学生時代の師匠で、彼を自宅に置いてまで面倒をみたプーシキンは、政府に呼ばれて、なぜ彼の愛弟子が亡命することになったのかと問われ、「ダンスのためです」と返します。『ホワイト・クロウ』は、冷戦という、芸術すら政治に利用されるイデオロギーの時代にあって、バレエを徹底的に極めようとして反体制的にならざるを得なかった一人の芸術家の運命を描くものです。
先に紹介した歴史家ギャディスは、アメリカとロシアほどイデオロギー的であった国はなく、イデオロギーは経済的な対立などと異なって、極端になるゆえに、これこそが平和の阻害要因になっていたと論じています。観念や思想は、いつの時代も人々を突き動かします。他方でイデオロギーは人から考える力を奪い去り、その自由を抑圧することにもなります。イデオロギーの束縛を乗り越えるためには、自分にとっての真実を見つけ出し、それに忠実に生きることが必要だということを、『僕らは希望という名の列車に乗った』と『ホワイト・クロウ』という二つの作品は教えてくれます。そのメッセージは、冷戦が終わり、「新たな冷戦」が始まったとされる今日でも、有効であるはずです。
(*1)
『ロング・ピース――冷戦史の証言「核・緊張・平和」』(芦書房、2002年)より
(*2)
ザ・ニューヨーカー誌(https://www.newyorker.com/news/news-desk/almost-everything-in-dr-strangelove-was-true)より
(*3)
キッシンジャー著『核兵器と外交政策』(駿河台出版社、1994年)のことを指す