キッシンジャーの思想と半生は、歴史家ニーアル・ファーガソンの『キッシンジャー 1923-1968 理想主義者』(日経BP社、2019年)に詳しくありますが、ここでも「核兵器の段階的使用を支持する同書(*3)の冷徹な計算尽くの主張を読んでいたら、スタンリー・キューブリック監督作品『博士の異常な愛情』の主人公ストレンジラブ博士はキッシンジャーがモデルだとかんたんに主張できたはずである」としています。
監督キューブリックは人々の核への恐怖が最も高まっていた時期に、その恐怖をユーモラスに描きました。そのことが、この作品にブラック・コメディ以上の、素晴らしい批評性を宿らせています。今の時代に同じような作品、例えば新型コロナウイルスで全人類が消滅する、というような映画が公開されたら不謹慎だとして、非難されるに違いありません。
『僕たちは希望という名の列車に乗った』――「壁」以前のベルリン
冷戦は単なるアメリカとソ連を中心とした国々の対立という以上に、この冷戦構造のもとで暮らしていた人々の生活の思想や自由を強く制限するものでもありました。
東西冷戦の対決の最前線は、東ドイツに飛び地のようにして存在し、アメリカ、イギリス、フランスの占領地区からなる西側地区とソ連が占領する東側地区に分かれたベルリンでした。1948年にはソ連が、ベルリンと西側諸国との自由移動を禁止(「ベルリン封鎖」)します。これに対して、アメリカが食糧や生活必需品などを空輸することで抵抗し、米ソの直接的な対立が始まりました。今でも、ベルリンのテーゲル空港には、アメリカの空輸に協力したパンナム航空に感謝するプレートが貼られています。『寒い国から帰ったスパイ』(マーティン・リット監督、1965年)をはじめ、多くのスパイ映画がベルリンを舞台にしたのも、ゆえなしのことではありません。
『僕たちは希望という名の列車に乗った』(ラース・クラウメ監督、2018年)は、この東ベルリン郊外に暮らす高校生たちを主人公にした作品です。時は1956年、ハンガリー動乱の報を偶然に聞いた高校生2人が、その犠牲者たちの追悼を教室で行ったことで、退学処分の憂き目にあうまでの日々を追った、実話に基づく作品です。テオとクルトという、対照的であるがゆえに友情を育む2人の主人公と、彼らを取り巻く同級生たちが個性豊かに描かれる群像劇であり、ソ連の衛星国として戦後をスタートすることになった東ドイツの困難な状況を描く映画でもあります。
物語の入り口となるハンガリー動乱は、1956年10月、非共産党系の学生組織が各地で生まれ、言論の自由やさらなる民主化などを求める運動を開始したことで発生した事件です。この時、改革派と目されたナジ・イムレ首相は、学生運動を「反革命」と決めつけて弾圧する一方、国民の支持を集めるため民主化の道筋をつけ、ソ連の軍事介入を防ごうとしました。しかし、ソ連軍の撤退とワルシャワ条約機構からの脱退を表明したナジ政権をソ連のフルシチョフ書記長は許さず、赤軍がブダペストに侵攻、2700人余りのハンガリー人が戦闘死しました。東ヨーロッパに対するソ連の影響力があらわになり、西側諸国はこれ以降――冷戦が終わる実に1989年まで――ソ連と対抗するのではなく、勢力均衡を保つことを選択するきっかけを作りました。
作品の中で、高校生たちは、禁止されている「アメリカ占領地区放送」でハンガリー騒乱についてのニュースを聞くため、同級生の叔父の家に集まります。そこで隠遁生活を送る叔父は、高校生たちにこう語りかけます。
「人は何らかに従属している……しかし諸君は違うことをした……‟我々は自由に考える”と表明した。体制側はこれを嫌がる……諸君は国家の敵だ……自分で自由に考えその考えに沿って行動するからだ」
学校側は、「ファシストの反革命」を支持している学生が誰であるかを特定しようと、有形無形の嫌がらせを彼らに行い、首謀者が誰だったのか、密告するよう迫ります。
この映画が出色なのは、当時の東ドイツの人々の生活をリアルに描き出しているだけでなく(例えば、高校生は毎朝、ドイツ社会主義統一党傘下の青少年組織がさせられる「ピオネール式挨拶」をさせられます)、なぜ社会主義体制が生まれたのか、歴史的経緯を踏まえてストーリーが展開することです。ハンガリー動乱を「ファシストの反革命」だと非難するテオの父親の言葉に象徴されますが、第二次世界大戦後、ソ連と東側諸国はナチス・ドイツを打ち負かし、その上に社会主義体制を築いたことを共産党支配の正当性の根拠として求めました。これは、中国共産党や北朝鮮の労働党の一党支配が、抗日に求められる構図と類似しています。
西側諸国もナチの残党を支援して社会主義陣営に対抗しようとしました(具体的には、ドキュメンタリー映画『敵こそ、我が友 戦犯クラウス・バルビーの3つの人生』〈ケヴィン・マクドナルド監督、2007年〉で詳しく紹介されています)。つまり、米ソ冷戦といっても、それは戦後に突如として生まれたわけではなく、第二次世界大戦の影響を色濃く引きずるものだったことも映画に盛り込まれています。
首謀者を告発すべきと息子クルトを諭す父親は、「進学クラスに通う者は一族ではお前が初めてだ。他は戦死した。でなきゃ鉱山か発電所か俺みたいに製鉄所勤務か」だと、言います。彼もまた、若い頃、1953年にあった「ベルリン蜂起」に参加し、その後その仲間を裏切った経験を持つ人物であることが示唆されています。
「ベルリン蜂起」とは、労働ノルマの引き上げに対して約40万人の東ドイツの労働者がデモとストライキを行ったことで人民警察が介入し、300人近くが殺され、200人近くが「首謀者」として銃殺刑に処せられた事件です。1953年にスターリンが死んだことで、東ヨーロッパではチェコスロヴァキアやアルバニア、ブルガリアといった国でもポスト・スターリン体制をめぐって共産党内部での路線闘争や権力闘争が起こり、数十万ともされる人々が政治犯として処罰されました。
テオとクルト、そして彼らの仲間たちは、父親たちとは異なり、イデオロギーを前に仲間を裏切ることを拒否して、西ベルリンへ亡命して自由の道を歩むことを選びます。それは、過去の歴史に囚われず、自らの手で歴史を作り上げる行為でもあります。ドイツには「ビィルドゥングス・ロマン」、すなわち青少年の内的成長を描く文学作品の伝統がありますが、この映画もまたその系譜に位置付けられるでしょう。
テオやクルトのような西ベルリンへの亡命者が増えていったことに業を煮やしたソ連と東ドイツは、1961年8月にわずか3日間でベルリンの壁を完成させます。
『ホワイト・クロウ』――自由は何を意味するのか
壁が建設された1961年に起きた、やはり東西冷戦の象徴的出来事を描くのは『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』(2018年)です。監督は、自身も作品に出演しているレイフ・ファインズ。最近ではボンド・シリーズの「M」として活躍する俳優ですが、監督として『英雄の証明』(2011年)など社会派映画も世に送り出しています。主人公である実在のソ連のバレエ・ダンサー、ヌレエフを演じるのはオレグ・イヴェンコという実際のダンサーで、その踊りも作品の大きな魅力です。
ルドルフ・ヌレエフは、若い頃から「白いカラス」(これが原題となっています)と呼ばれ、向上心に溢れるものの、自意識の強い傲慢な人物として描かれています。ちなみに彼は、ソ連で民族的マイノリティであるタタール系(バシキール人)ですが、そのコンプレックスを感じさせるシーンなども挿入されています。
(*1)
『ロング・ピース――冷戦史の証言「核・緊張・平和」』(芦書房、2002年)より
(*2)
ザ・ニューヨーカー誌(https://www.newyorker.com/news/news-desk/almost-everything-in-dr-strangelove-was-true)より
(*3)
キッシンジャー著『核兵器と外交政策』(駿河台出版社、1994年)のことを指す