国内外を問わず「ヘイトスピーチ」や「ヘイトクライム」についての報道が随分と増えました。これらは、一般的に人種や民族、国籍や性的なマイノリティに対する差別扇動行為や犯罪行為を指します。日本でも在日朝鮮人子女などへのヘイトスピーチが横行したことに対して「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」(通称「ヘイトスピーチ解消法」)が2016年から施行されています。この法律ではヘイトスピーチを、外国人であることを理由として、外国人やその子孫に対し「差別的意識を助長し又は誘発する目的」で「その生命、身体、自由、名誉若しくは財産に危害を加え」たり、「著しく侮蔑」したりする「差別的な言動」と定義しています。
差別がなぜいけないかといえば、それは差別される人がかわいそうだからとか、理不尽だからといった理由だけではありません。それは法の支配が行き渡るためには、法のもとではすべての人が平等に扱われなければならないからです。だから、人種や国籍など、その人が自主的に選び取ることのできない属性を理由に差別や攻撃が行われるヘイトは、戒めるべき行為ということになります。
しかし、私たちは、それまでの経験や情報に基づいて様々な類推や憶測をしなければ、判断や決断を下せません。だから偏見やステレオタイプをなくすのは困難なのです。こうしたヘイトに基づく犯罪は、世界で増加傾向にあります。アメリカ大都市部では2017年に前年と比べて132%増となり、FBI(アメリカ連邦捜査局)によれば、3年連続で増えています。ヨーロッパでも、イスラムフォビア(イスラム教徒恐怖症)や極右活動家によるヘイトクライムは、この10 年でほぼ倍増し、イギリスでは2017年に4割、フランスやイタリアでも1割ほどヘイトクライムが増えていると報告されています(*1)。最近でも、ニュージーランドのクライストチャーチで、白人男性がイスラム教のモスクを襲撃して51人を死に追いやった事件があり、アメリカのテキサス州では、移民系市民を狙って29人が死亡するなど、大規模なヘイトクライムが続いています。
なぜ人は、人種や属性が違うというだけで、その人や集団を憎むようになるのか。三つの映画を通じて、考えてみましょう。
『憎しみ』――ヘイトが生まれる瞬間
フランスでは2005年10月に大きな事件がありました。俗に「バンリュー(郊外)」と呼ばれるパリ郊外で、二人の青年が警察の事情聴取から逃げる最中、変電所で感電死するという出来事があり、これをきっかけに、大規模な暴動が各地で発生します。時の政権は非常事態宣言を発令しましたが、各地の移民系を出自とする若年層と治安部隊が衝突し、死者二名と3000人近くの逮捕者を出す事態となりました。それ以前からバンリューの軽犯罪を繰り返す若者の不当逮捕や取り締まりが続いていたこともあり、失業した郊外の若者たちの社会に対する不満が爆発したのです。このような暴動は、現在に至っても形を変えて繰り返し起きています。
この事件を予言したかのような映画が、1995年にカンヌ映画祭で監督賞を受賞しました。今やハリウッド俳優となった若きヴァンサン・カッセル主演する、マチュー・カソヴィッツ監督『憎しみ』です。この映画では、郊外で暴動を起こした3人の若者の翌日から翌々日の早朝までの行動が描かれています。バンリューの失業率は、全国平均の倍以上の約25%とされています。この映画でも3人の若者は、ドラッグや盗品家電の売買でその日暮らしを余儀なくされています。
ヴァンサン・カッセル演じるヴィンツは、友達であるサイードとユベールに警官に殺された仲間の復讐を持ちかけます。彼は言います。「俺は毎日クソ野郎たちに全システムを破壊されているんだ」「俺が路上で学んだことはな、右の頬を出せば自分がヤられる。それだけだ」。彼らもまた、郊外に住む若者というだけで、マスコミから不審の目を向けられ、警察から理不尽な尋問にあいます。映画では「未来はあなたたちのもの」「世界はあなたたちのもの」という標語や商業広告が映し出されますが、彼らにとっては、うつろな言葉に映ったことでしょう。
面白いのは、この3人は異なるエスニシティを持っていることです。ヴィンツはユダヤ系、サイードはイスラム系、ユベールは黒人ですが、彼らはそれぞれの文化的な背景に関係なく、バンリューに住む若者という共通項が絆になっています。差別されているという感覚こそが、共通のアイデンティティになっているのです。唯一異なるのは、ヴィンツが警官の落とした拳銃を拾ったことで、警官殺しに打って出ようとするのに対し、ユベールが「憎しみは憎しみを呼ぶ」といって、報復を拒否する態度にあります。
実際、ヘイトは異民族や外国人といった、自分と異なる存在が目の前にいることだけから起きるわけではありません。あるアメリカの社会学者の研究(*2)によれば、特定集団を悪と見なすヘイトクライムは実際には全体の1%に満たず、その6割以上が自分や自分たちの力の誇示、あるいは罪を犯すというスリルを追求するために起きていると推計しています。ドメスティック・バイオレンスやパワハラも同じですが、自分よりも弱い存在に対して自分の支配力を行使したいという権力欲が、ヘイトにつながっているのです。行動心理学では、自分たちが不利な場合は異なる集団との接触を避けるものの、一端優位になると攻撃性を増すようになる、といわれています。だからこの映画のストーリーも、ヴィンツが拳銃を手にしたところから急展開していきます。
相手が黒人だから、相手がイスラム教徒だから差別や憎しみを抱くというような古典的なレイシズムは現代社会ではあまり影響力を持たなくなってきます。これに代わっていまでは「新しいレイシズム」などと呼ばれる差別が出てきました。これは、差別のない社会であるはずにもかかわらず、なぜ自分たちは今のような恵まれない状況にあるのか、それは誰かのせいに違いない、というスケープゴート探しが差別につながるものです。いわば相手中心より、自分中心で物事をみるのが「新しいレイシズム」の特徴です。社会心理学で「公正世界仮説」と呼ばれますが、世界は正しい行いをした人には正しく報い、悪い行いをした人には罰が下されるはずだと人々は一般的に考える傾向があることがわかっています。
(*1)
Institute for the Study of National Policy and Interethnic Relations et al., Xenophobia, Radicalism, and Hate Crime in Europe, 2018
(*2)
McDevitt, Levin & Bennett “Hate Crime Offenders” 2002