私が代表をしているシンクタンク「新外交イニシアティブ(ND)」には、多くの国からインターンの応募がある。現在、アメリカ、ロシア、カナダ、イタリア、フランス、ウクライナ等々、約10カ国の若い世代が、日々、調査や翻訳などで力を貸してくれている。NDでは、各国がアメリカと結んでいる地位協定の国際比較を行ったり、原発政策の各国比較を行ったりしているため、様々な言語で調査をする時には本当に助けられている。
先日、アメリカからのインターンが米韓地位協定と日米地位協定について、協定改定の歴史を比較するプレゼンテーションをしてくれた。
日米地位協定は、日本に駐留する米軍関係者の立場がどのようなものであるかを決める協定で、航空機が訓練で墜落しても日本側は墜落現場に入って十分に調査することが許されなかったり、犯罪の嫌疑がある米軍関係者がいても日本の警察が逮捕できなかったり、と様々な問題をはらんでいる協定である。
長年、多くの人々が改定を求めており、世論調査でも日米地位協定を見直すべきとする声が83.7%(産経新聞社・FNN実施:2016年5月)であり、昨年(2018年)には、全国知事会が全会一致で地位協定の抜本的改定を求めている。
しかし、日本政府の態度は頑なで、これらの声に応じて米側に改定を求めるといったことは一向に行わず、日米地位協定はこれまで一度も変更されたことがない。
鈴木量博氏を知っていますか?
そのインターンの彼は、地位協定改定についてのプレゼンテーションにおいて、スライドの冒頭に鈴木量博(かずひろ)氏の顔写真を掲載した。
鈴木量博氏を知る人がどのくらいいるだろうか。
外務省担当記者でもない限り知らないだろう。
鈴木量博氏は、現在の外務省北米局長であるが、北米局長は合同委員会の代表に就任することとなっているため、彼は日米合同委員会の日本側代表も務めている。ウェブ情報によれば彼が北米局長(合同委員会日本側代表)であるのは昨年(2018年)からのようである。では、その前の日米合同委員会の日本側代表が誰かをすぐに言える人はどのくらいいるだろうか。
日米合同委員会とは、日米地位協定についてアメリカと協議する場である。日米の代表からなるこの委員会は、日米地位協定の解釈や運用についての議論を行い、米軍関係者による犯罪が起きた際にはその被疑者の取り扱いなどについても議論を行って決定している。
しかし、日米合同委員会は、民主的に選ばれた代表が出席するわけでもなく、何が議論されているのか公開もされない中、憲法を超えた決定を密室で行うとして批判にさらされている、悪名高い存在である。
韓国やドイツは冷戦終了後、地位協定の大幅改定を実現している。日本政府は、日本では協定の文言は変えていないが運用で改善しているのだと説明するが、夜間の航空機訓練の騒音をなくすための合意にしても、米軍関係者が刑事事件を起こした時の被疑者の身柄拘束の合意についても、合意したことの多くを守らせることができていない。対米従属の象徴のような組織が日米合同委員会である。
地位協定改定についてのプレゼンテーションの冒頭に、その運用を協議する場である日米合同委員会について述べ、更にはその代表者の写真と名前を掲載するのはいかにもアメリカ人らしい。
この機関が、そして、この人が、こんな状況を許しているのである、という発想である。もちろん、総理大臣、外務大臣にもその責任はあるのだが、確かに日米合同委員会における日本側代表の責任は重い。
そして、そのインターンの彼は、「合同委員会代表が韓国では任命制なのに日本では任命制ではないのはなぜなんだろう」、また、「米韓合同委員会ではアメリカと韓国の代表が共に写っている写真がたくさんネット上で見つかるのに、日米合同委員会の代表が二人そろって写っている写真が全然見つからないのはなぜだろう」と調査の過程で抱いた疑問も話してくれた。
「日米合同委員会は代表だけで構成されているのではなくて、20以上も委員会があって、かなり大きな組織なんだよ」と私からコメントをしたものの、冷静に考えてみれば、これはいかにも日本人っぽいコメントだった。
この彼の素朴な疑問は、日本政府の在り方の根本的な問題を示している。
人事が重要な国とそうでない国?
私がアメリカ政府関係者と面談をする活動を行っているからではあるが、私はアメリカにおける対アジア外交責任者であるNSC(国家安全保障会議)アジア上級部長が誰なのか、国務次官補・国防次官補が誰なのか、といったことを常に意識している。そんな日本人は多くはないだろうが、アメリカでは、政治に関心を持つ多くの人が、政権交代の際に誰が政府高官になるのかを強く意識している。
日本の合同委員会代表が任命制ではないのは、恐らく、日本が政権交代のない国であり、政権と高級官僚が常にほぼ同じ方向を向いていて変化が起きることを予定していないからではないか。アメリカでは政府高官のほぼ全てが任命制である。
もう一例を挙げよう。昨年末から、日本と韓国の関係が落ち着かない。徴用工裁判やレーダー照射の問題で揺れているからだ。テレビの討論番組では、「文在寅政権はひどい、省庁の高官を皆都合のいい人に入れ替えて!」などという批判が飛び交っている。
しかし、政権交代というのはある種そういうものである。韓国でも大統領府を中心に政権交代を踏まえた政治任用(政府の高官を政権トップが任命する制度)がなされている。韓国の識者と話をしていた時、「政権交代は、“無血入城”ですよ」と言われた。アメリカの状況に照らしてみても、まさにその通りである。政権が交代すれば、政権のトップが政府の高官を任命して入れ替え、自らが行いたい政策を実現していく。
トランプ大統領が選挙で当選した時、今後のアメリカの方針について不安に思う人が日本でも多かった。私は、かつてホワイトハウス高官を務めた経験のあるアメリカ人に、トランプ政権下で今後どうなるのか質問した。「人事が全てだ」との答えが返ってきた。人事を見ろ、それによりこれからどうなるか分かるから、という意味である。それだけ人事は大事であり、だからこそ任命制なのであり、それこそが政権交代の意味なのである。
任命された人は、大統領など上の立場に立つ者と相談しながら自らの責任において執務を行う。上位者と価値観が異なったり自らの判断で行ったことが誤っていたと分かったりすれば、自ら辞職することも少なくない。
日本では2014年に内閣人事局ができ、官僚の人事に政権が影響力を及ぼすようになったが、何か事が起きた際、任命した人も任命された側も責任を取らない。そもそも、その事を誰が行ったのかということも外部からは全く分からず、結局誰も責任を取らない……そんな日本とはだいぶ異なっている。
顔の見えない「日本政府」
先日、日米地位協定の研究で知られる前泊博盛氏(沖縄国際大学教授)と対談をした。NDから日米地位協定についての書籍を近く刊行予定であり、その中に織り込むための対談であった。
対談の中で一番印象に残ったのは、前泊氏が、「みんな、“政府が”“政府が”と批判するからいけないんですよ」「誰に責任があるのか、個人を特定して名差しで批判しなければならないんです」と述べたことだ。
日本では政府で決まる様々なことについて誰がイニシアティブを取り、どのように決定したのかが見えないことがほとんどである。