ジョン・ボルトン前大統領補佐官が出版した回顧録で、2019年7月にドナルド・トランプ米政権が日本に対し、在日米軍駐留経費(思いやり予算)をこれまでの4倍超に当たる年額80億ドル(約8500億円)支払うよう求めていたことが分かり、このところニュースになっている。思いやり予算の根拠となる協定は2021年3月末に期限を迎えるため、改定交渉はこの秋にも本格化する。日本政府はこの要求を受け、どう対応するのか。
日本は多額の在日米軍駐留経費を米国に支払ってきた。2016年度からの5年間の総額は9465億円で、年平均1893億円である。防衛省は日本の負担は在日米軍の駐留経費の86.4%(2015年度分)に当たるとも試算する。2004年の米国防総省統計では、他の米軍受入国全てを合わせた負担額より日本の負担額は多いとされる。批判を避けるためか、その後この統計は発表されていないが、未だ日本が他国との比較でも多額の駐留経費を支払っていることに間違いはない。
そこへ、さらに4倍増しの要求である。
先行する米韓交渉
お隣の国韓国も米軍基地を多く受け入れているが、トランプ政権は韓国にも駐留経費の大幅な増額を要求している。2019年度予算分から増額要求は続き、ほぼ途切れることなく今年度(2020年度)の交渉が昨年夏に始められた。これまでの5倍増しを求める米国に韓国が強く反発。13%増しという韓国側提案も米側が蹴って今年3月末になっても交渉はまとまらず、米国予算だけで基地を運用せざるをえなくなり、在韓米軍は今年4月から韓国人基地従業員の半数を無給休職にした。6月、韓国政府が韓国人従業員の給与を年内分は負担するとしたため基地従業員らは基地に戻ったが、過剰な増額要求に対する国民の強い反発を受け、文在寅大統領はこれ以上の譲歩をしない方針にあり、今後の交渉は見通せない。交渉入りしていた今年1月には米国務長官・国防長官が連名で米紙に「韓国は同盟国で、扶養家族にあらず」との寄稿を行ったが、このような強硬姿勢が韓国で猛反発を招いている。
「同盟」についての考え方
トランプ氏の持論は、2016年の大統領選挙時の「駐留経費を全額支払わなければ米軍を撤退させる」というものから変わらない。「我々が日本を守っている」のが同盟であるという考え方である。ボルトン氏は、トランプ氏が日韓への要求を実現するためには駐留米軍を撤退させると脅すのが効果的と述べた、と話している。実際、今年7月中旬にはトランプ氏の意向を受け、国防総省が在韓米軍の削減案をホワイトハウスに提示している。トランプ政権は、2018年7月からアジアのみならずNATO加盟国にも国防費負担増を求めており、これに応じないドイツに対し、今年7月には、在独駐留米軍を3万4500人のうち9500人を削減すると伝えた。
日韓やNATO諸国に対するこれらの措置が同盟国軽視であるとの反発は、歴代米政権を支えてきた政権担当者や議会の重鎮などからも上がっている。日米同盟の守護神ともいわれるリチャード・アーミテージ元国務副長官も、負担増しについて問われ、「日本の支援や負担をよくみれば、非常に良くやってくれているという結論に至るはず」と述べる。
なお、米国の軍事予算を決定する「国防権限法(2020年度)」は、日米・米韓同盟について日本および韓国がどのくらいの貢献をしているのかドル建てで試算せよ、と米会計検査院(GAO)に命じており、目下、会計検査院が報告書を作成中である。この法律の条文については、同盟国に過剰請求を繰り返すトランプ政権に対し、両国が一定貢献していることを示したい議員の意図があって挿入されたと評価する人もいるが、実際にその数字が出てきたときにトランプ氏が満足する保証はない。
いずれにしても、トランプ氏の増額要求は外交・安保政策としてではなく国内の支持者向けであり、政権が続く間に方向転換する余地はなさそうである。
喫緊のニーズは何か
日米間の思いやり予算の水準は5年毎の特別協定で定められ、先述したように現行協定は2021年3月末に更新期限を迎えるため、この夏から交渉が開始される。ただでさえ現在の重い負担への批判が続く中、日本の財政状況は新型コロナウイルスの対応で逼迫(ひっぱく)している。
米国の要求である「年額約80億ドル(約8500億円)」とはどういう額か。コロナで医療従事者に十分な手当が払えない、医療機関が破産に追い込まれたという話が出ているが、ノーベル平和賞を受賞したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の川崎哲氏による防衛費についての試算を参考にすると、米国の要求8500億円は、ICUベッド1万1500床余、人工呼吸器1万5400台、看護師5万4000人弱と医師7700人の給与が支払える計算になる。思いやり予算の増額と医療充実と、どちらが喫緊のニーズだろうか。
韓国と連携しての交渉を
この間、日本は米韓交渉の様子を横目でうかがってきた。昨冬の時点でも、ワシントンでは、日本政府は「韓国がどの程度やれるものか様子を見てやろうじゃないか」といった姿勢にあるとの見方が一般的だった。
もっとも、韓国の専門家に話を聞くと、先行する韓国との交渉を基に、トランプ政権は日本やNATO各国との交渉を行っていく、とのことである。即ち、韓国の交渉状況や交渉結果は今後交渉に入る日本にも大きな影響を与えるということである。また、1カ国で米国に対峙するのは容易ではないが、地域における対中の要である日韓が調整を図りながら共に交渉すれば、そのインパクトは小さくない。日韓関係の悪化が叫ばれて久しいが、こんなときこそ韓国と手を組んで米国と交渉をするのが、本当の「国益」に資するというものである。
米大統領選と増額請求
また、米国では今年11月に大統領選が控えている。ジョー・バイデン大統領になると、この増額請求はどうなるのか。
現在、バイデン陣営の外交・安保チームにはバラク・オバマ政権時の政権担当者が名を連ねている。バイデン氏自身がオバマ政権の副大統領であり、さらに外交を得意とする政治家であることからすると、バイデン政権となった際の外交政策はオバマ政権時代に近いものになるとの推測が可能である。既に同陣営の外交担当シニアアドバイザーが、在独米軍削減も含め、トランプ大統領が下した決断全てを見直す、と述べている(7月8日)ことからすると、駐留経費増額請求も見直される可能性があるといえるだろう。従って、日本側としては、まずは、交渉を大統領選後まで引っ張ることが重要ということになる。
もっとも、中国の世界における存在感も米国内の状況も大きく変化し、バイデン大統領が4年前に針を戻そうとしてもそう簡単ではない。米国の財政もコロナ禍でさらに逼迫しているし、トランプ支持層が国内で引き続き一定の影響力を維持するだろうことも忘れてはならない。
その中にあっては、経費4倍増しがバイデン大統領によって撤回されたとしても、何らかの負担増要求が続く可能性もあるだろう。
今回の増額請求を、なぜ日本は米軍を受け入れているのか、どのくらい受け入れるのかといったことを考える良い契機にせねばならない。
川崎哲氏による防衛費についての試算
戦闘機購入や護衛艦いずもの空母化などの新規契約分の1兆1000億円〔2020年度〕がICUベッド1万5000床と人工呼吸器2万台、看護師7万人と医師1万人の給与に相当すると計算